番士の仕事 ~阿蘭陀人たちが、遠歩から帰ってきたようです~
文化七年卯月一三日(一八一〇年五月十五日)、七つ(十六時四十五分)。
出島と長崎の街を繋ぐ橋に、人の姿はない。十間(四十m)ほど先には、急勾配の地形に沿って軒を連ねた長崎の家々。その向こうには、山に沈みかかっていく太陽が見える。
上空では、背黒鴎や海猫が鳴いている。
まるで夏のような暑さだ。出島表門の番士である俺、二十三歳の橘頼母鉄杖は、袖で汗を拭うと、眩しさと眠気で閉じそうになる目を瞬いた。
「おい、寝るな」
出し抜けにそう言われ、俺は出そうになった欠伸を、なんとか噛み殺す。
後方を振り向くと、番士頭である五十平が、二間ほど左に立っている、同輩の新太をじろりと睨んでいた。右側を見ると、三十代の中堅番士、彦六が、探棒で新太を突いていた。どうやら、五十平が『寝るな』と言ったのは、新太に対してらしい。
番士は俺を含めて四人。橋に面した門の左右に、二人ずつ待機していた。門に向かって、左が俺と五十平、右が新太と彦六だ。
新太は、今年十六歳の、俺の従弟だ。日に灼けていて、良く動く瞳とくっきりした顔立ちの青年で、今年の初めに、番士の職を得たばかりである。長男である新太は、これからは自分が家族を支えるのだ、と意気込んでいた。
しかし今は、春の陽気に眠気を誘われ、うとうとしていたらしい。五十平に叱られ、危うく探棒を落としそうになっていた。
「もうすぐ阿蘭陀人たちが戻ってくる。しっかり務めろ」
五十平が番士全員に向かって言う。俺は橋の袂を見遣った。見者衆が、だらけた姿勢で屯している。反して、橋の袂に出店をしている太平餅屋は、忙しそうだ。
阿蘭陀人たちが返ってくる時刻は、大幅に遅れていた。今は七つだが、本来であれば、八つ半(十五時二十八分)を過ぎた頃、戻ってくる予定だった。新太が待ち草臥れるのも、無理はない。番士とはこうして暇を持て余すのが仕事なのかもしれない。
時折、波の音と混じって聞こえてくるのは、ペーロンを練習する男衆の掛け声と、銅鑼の音だ。ペーロンは、百五十年ほど前、唐から長崎に伝わったとされる船競争だ。
毎年、町ごとに、八人から五十人ほどの屈強な若衆たちが集って組を作り、一つの舟を漕いで速さを競う。ペーロンの日は、長崎中が祭りのような活況を呈する。
その時、やおら、橋の袂にいた人々が騒めきだした。橋の袂、曲がり角から現れた一行を見て、俺は、ハッとして体勢を正した。
遠歩に出かけていた阿蘭陀人たちと通詞たちが、ようやく帰って来たのだ。
五十平も、すぐにそれに気が付き、背筋を伸ばして、探り棒を真っ直ぐ立たせる。新太が、門の内側に待機していた、残りの番士たち六人を、直ぐに呼びに行く。
列をなして歩いてくる、出島の住民たちの行列は、何度見ても圧倒された。
駕籠を伴った百人程の行列。
その真中には、煌めく赤毛と、襟の高い妙な着物を着た阿蘭陀人が十数人。阿蘭陀人の召使である、黒い肌の黒坊は、白い貫頭衣に、赤い手拭を頭に巻いている。遊女たちもいるはずだが、籠に乗っているのだろう。姿は見えない。
先頭の駕籠に乗っているのはきっと、年番小通詞の本木庄左衛門だ。そのあとに数人の通詞が、徒歩で此方に向かって歩いている。その後ろの駕籠には、阿蘭陀商館長のズーフや、副商館長ブロンホフ、他の商館員たちが乗っているはずだ。
行列の前後左右を、通詞や町使、散使らが護送している。その数およそ五十人程。
周りには、珍しく出島から姿を現した阿蘭陀人たちを、一目でも見ようと、見物衆が溢れ、歓声を上げていた。
しかし、出島を目の前にした紅毛人たちの顔は、陰鬱そのものだった。気持ちはわからないでもない。これからまた、狭い牢獄に戻されるような心地なのだろう。
今日、彼等が外に出ていたのは、公務のためではなかった。「薬草採取」と銘打った、つまりは散歩だ。出島で一年を過ごさなくてはいけない彼らに配慮し、一年に数度、このような日が設けられていた。
他方、阿蘭陀人にとっては気晴らしでも、通詞や、他の役人たちにとっては、気苦労の絶えない日でもある。彼ら通詞の顔には、無事に紅毛人たちを出島に届けられた安堵の色が滲んでいた。
日本人と阿蘭陀人が、各々列をなし、門の前にずらりと集まった。幅二間(三・六m)、長さ十八間(三十二m)ほどの橋は、人でひしめき合う。
番士の仕事は、彼らが怪しいものを持っていないか、一人一人に尋問し、取り調べをすることだ。頭から足の先まで、探棒を相手の身体に沿わながら、文字通り『探って』ゆく。
しかし、それはいつものやり方であって、今日は違った。今、『探り』は形式だけのことで、その際、決して探り棒が阿蘭陀人らの体に触れてはいけない、と五十平には言われている。
俺は阿蘭陀人の一行を検めた。阿蘭陀人たちが目の前に立った途端、五十平の言った言葉の意味が分かった。
阿蘭陀人たちは、出ていった時とは比べ物にならないくらい太っていた。