6 戸惑い
アベリアが婚約者として屋敷へやってきたその日の真夜中。フェイズは自室の机の前に座り、机に肘をついて目の前で両手を握りしめ考え込んでいた。
悪役令嬢と名高いアベリアが、まさか舞踏会の日に妹を助けてくれたご令嬢だったとは。精霊公爵の妹というだけで、シャルロッテは周囲から浮いていた。友達はおらず、社交界に出ても一緒に踊ろうとする令息もいない。ただただ、近寄らないようにと遠ざけられていたのだ。そのせいで、シャルロッテは人と関わることを諦め、むしろ人を嫌うようになっていった。
そんなシャルロッテを、見ず知らずのご令嬢が手を差し伸べ助けてくれた。それだけでも驚きなのに、人嫌いなシャルロッテが嬉しそうにそのご令嬢のことを話すのだ。どんなに美しかったか、どんなに気高かったか、どんなに優しかったかを意気揚々とはしゃぎながら話している。そのことが兄として嬉しくて、もしもそのご令嬢に会えたとしたらお礼を言いたいと思っていた。
だが、会えることはないだろう。舞踏会に出席しても兄弟揃って疎まれ、誰も近寄ってはこない。しかも精霊公爵としての噂はどれもこれも酷いものばかりだ。自分と関わればきっとそのご令嬢にも迷惑がかかってしまうだろう。
すでに現役を退いた両親にそろそろ縁談をと言われた時も、本当は結婚するならシャルロッテを助けてくれたご令嬢が良いと思った。そのご令嬢ならきっとシャルロッテとも仲良くなれるだろうし、もしかしたら噂を気にせずちゃんと向き合って俺自身を知ろうとしてくれるかもしれない。そんな風にまだ見ぬそのご令嬢のことを思って、いつの間にか胸を淡く色づかせたりもしたものだ。
でも、そんなことは夢のまた夢だ。精霊公爵として生きている以上、噂は永遠に付き纏い、誰も俺を知ろうとはしてくれない。だったら、白い結婚で構わない。
そう思っていたのに。まさか、その本人が目の前に現れるだなんて一体どんな奇跡だろう。
美しい艶やかな黒髪に金色の瞳は綺麗な顔立ちをより一層惹き立たせていた。紺色の上質な生地に金色の刺繍とエメラルド色のスワロフスキーが少し散りばめられた控えめなドレスも、気品あるアベリアに似合っていた。それに、そのドレスから見える白い素肌も美しく男心をそそられる。
(って、俺は一体何を考えているんだ)
フェイズは机に突っ伏して唸る。まさか会いたいと思っていたその人に会えるなんて。それなのに、自分は開口一番とても酷いことを口にしたのではないだろうか。
(噂に振り回されることにうんざりしているのはアベリアも同じなのかもしれないな)
シャルロッテの言葉に、アベリアは嬉しいと言って涙を流した。もしかしたら、彼女も謂れもない噂に傷つき、心を閉ざし、それでも懸命に生きてきたのかもしれない。
(噂を鵜呑みにして相手を知ろうともせず、勝手に人物像を作り上げるなんて、一番やられて嫌なことを俺がしてしまっている。馬鹿すぎるだろ、最低だな)
机に顔をつけたまま、窓から見える月を見つめた。
(どうやったら俺は挽回できる?きっとアベリアは一方的にあんな酷いことを言った俺なんかのこと、嫌いになったに決まってる)
はああああ、と盛大なため息が部屋に鳴り響いた。