――螺旋⑩ 颯馬の香り
――螺旋⑩ 颯馬の香り
「ゆず葉、さきにシャワー浴びてええよ」
颯馬の部屋は、とても広かった。一階と二階が使える社宅で、清潔でキレイに整えられている。玄関を入ると、一階はキッチンや小さなリビング、浴室や脱衣所がある。二階へ続く階段を登ると、小さな廊下とお手洗い、ドアを開ければ寝室だ。
「さきに浴びていいの?」
「ああ。だって汗だくやろ」
颯馬の家まで駅から歩いてきたので、たしかにビッショリだ。暑いからタクシーで帰ろうと颯馬には提案されたが、チケット代まで出してもらっているのにそこまで甘えられないと、駅から歩くと私が頼んだのだ。
そうして十五分ほど歩いて帰ってきた今、私たちの髪も服も汗でピタっとしている。
何だか、悪いことしちゃったな……。
「颯馬の部屋だから、さきに浴びてきて……」
「シャワー浴びたあと、近くのお好み焼き屋に食べ行くから、さきに浴びて準備しててええよ。時間かかるやろ?」
「わかった……」
颯馬の言葉に甘えて、浴室で汗を流す。お仕事で忙しいはずなのに、どこもかしこも、キレイで清潔感が漂っている。はじめての知らない部屋で、颯馬も一緒の空間にいると思うと、ドキドキして心臓が早鐘を打っていた。
すこし冷たいシャワーを浴びて、しばらく頭を冷やした。身體はもう充分、爽やかな肌触り。早々に切り上げて部屋に戻ろう。
脱衣所をあとにすると、クーラーの効いた涼しいリビングで颯馬は待っていた。ソファーに腰かけている。
「あ、ありがとう。シャワーあいたよ」
「早かったな。もっとゆっくりしてて良かったんやよ」
「だ、大丈夫。もうサッパリしたから」
「オッケー」
颯馬は何か雑誌を読んでいたのか、その手を止めて、私を二階の寝室に案内してくれた。荷物もいつの間にか運ばれている。寝室もあらかじめクーラーで凉ませていたようで、彼の氣遣いを感じる。
「ゆず葉の荷物、そこに置いておいたで」
「あ、ありがとう」
そうして、彼はドライヤーまで準備してくれて、寝室で休んでていいと一言残して、一階へ降りていってしまう。
颯馬のベッドに腰かけて、改めて部屋の中を見渡すと、浴室と同じように清潔で整頓された居心地の良い空間だ。必要なものだけでそろえられている感じで、窓辺にはデスクが置かれており、パソコンや小さい本棚がある。テレビ電話のとき、与那春樹さんを調べていた光景が思い出された。
ここには、颯馬のやさしさと思いやりの香りが漂っている。純粋で素朴な男らしい空氣感。
本当に颯馬と二人きりの生活がはじまるのだと、しみじみしてしまう。
ドライヤーで髪を乾かし始める。ちょうどクローゼットとベッドの間に姿見があるので、その前にちょこんと座っている。知らない空間では、なぜか正座になってしまう。
髪を乾かし終えたら、荷物を開封して夜に出かけられる服を探した。
――コン、コンッ。
「ゆず葉、入ってええか?」
「あ、うん!」
どうやら颯馬はシャワーを終えたみたいで、寝室に私の様子を見に来たみたい。
「準備できたか?」
「ごめん。まだ……。それより、颯馬の部屋だからノックしなくて大丈夫だよ」
颯馬はニ、三回瞬きしてから、
「もしゆず葉が着替え中やったらどうするん? 入ってええんか?」
「そういうわけじゃないけど……」
「高校のときみたいに、部屋入ってごっついビンタされとうないからな、ノックするようにしとるの」
「あれは、着替え中だったのに突然ノックなしで入ってきたからでしょ」
そうだ、あの時は下着姿をみられて恥ずかしくて思いきり颯馬をビンタした。確か高校一年生のころ。そんな昔のことを覚えていて、わざわざノックしてくれたんだ。思い出したら恥ずかしくなるじゃない。
「ゆず葉がノックしなくてもええ言うんやったら、ワザと着替え中に入ってこられるな」
颯馬はすこし悪戯な表情だ。
「ダメに決まってるでしょ」
「俺の部屋やから突然入ってきても悪く思うなよ」
「わざと入ってきたらまたビンタするから」
「冗談や。リビングで待っとるから、準備して来いよ」
颯馬は相変わらず爽やかな面持ちで、一階へ戻っていった。
また私たちが高校時代に戻ったかのようで、こういう言い合いもちょっと楽しい。このあと、お好み焼き屋さんに出かけるのだ。早く支度を済ませよう。
準備を終えて、彼の待つリビングへかけていった。
「準備できよったか?」
「うん、お待たせ」
颯馬は何か本を閉じると、ソファから立ち上がった。
「さて、出かけよか。お腹すいたやろ?」
「もうペコペコ」
そうして、颯馬の部屋をあとにした。私たちは夜の町を歩く。と言っても、にぎやかな通りからは離れた住宅街だ。すこしだけ風が吹くと涼しい。
「大阪の夜道は物騒なとこもあるからな、離れんなよ」
颯馬が隣で歩調を合わせてくれているのがわかる。
「東北もある意味、夜道は物騒だよ」
「せやな。熊が出るかもしれへんからな。大阪も熊出るで〜」
彼は少し怖そうに喋る。
「え、そうなの!?」
「んなわけないやろ。この辺には出えへん」
「なんだ〜ビックリした」
「まあ、熊みたいな人はおるかもしれんけど」
「颯馬だってそれだけ背が高いんだから、熊みたいなものじゃん」
「なんやて?」
彼は熊の真似をして、私の上から覆い被さりそうに、熊の手を作って威嚇しはじめる。
「きゃ〜熊だ〜」
熊が出たとは思えない笑顔で、冗談めいて小走りすると、
「あ、こら。ちと待ちや」
後ろから私を追いかけてくる。夜道でこんな風に走るのは初めてで、なんだか楽しかった。颯馬がついに私の腕を掴むと、二人の短い追いかけっこが終わった。
「ほら、もう森のくまさんゴッコは終わりや。道知らへんのに、よう走るわ」
颯馬はおかしく笑っていた。
「夜にこんな風に走ることないから、ちょっと楽しくて」
なんだかんだ少し息が上がっている。颯馬は余裕な表情だ。
「ほんなら、今度は夜の海でくまさんゴッコしよや」
彼は私の腕を掴んだまま、目的のお店へと歩いていく。
心躍る感覚に黙って浸った。颯馬が案内してくれるまま、ただこの時間を味わいたい。
「そういえば、前に一度だけ夜の海に、日の出見に行ったことあったよね」
「せやな」
「颯馬も覚えてるんだ」
「あたりまえやろ」
二人はまた黙って歩き続けた。きっと、当時の日の出の景色を、思い出していたのかもしれない。
あの日の夜はすこしだけ肌寒くて、だけど今夜は蒸し蒸ししていて、颯馬が触れている腕がやたら熱かった。二人の歩く音が心地よく胸に響く。
いつの間にかお店に到着して、ようやく私の腕は解放された。
颯馬が静かに私を見つめる。私も彼の目をのぞいた。
二人が粉もののいい香りに包まれて見つめ合っていると、お腹がグーと鳴りだした。颯馬がそれを聞いてクスクス笑い出した。なんとベストなタイミング。
言うまでもなく私は恥ずかしく顔を染めていた。
いつか修正します。




