――螺旋⑨ 空港
――螺旋⑨ 空港
伊丹空港の到着ゲートをくぐると、たくさんの人が行きかっていた。高く広がる美しい空間やシャイニングするフロアから、都会の煌めきが伝わってくる。お洒落な人たちのそれぞれの時間が、流れるように交差している。
飛行機が到着して空港内へ降りてきたばかりで、まだ誰にも連絡していない。スマホで電話をかけてみようかと、ふと、辺りに目線を配った際に、颯馬の人影がみえた。立ちながら壁にもたれて、片手にはスマホを握り、あたりを見回している。
颯馬を呼び、手を振ろうとしたとき、見知らぬ女性二人組が颯馬へ何か話しかけている。その様子を静かに眺めた。
何を話しているのだろう? 颯馬の知り合いかな……。
しばらく話したあと、颯馬は壁にもたれるのをやめ、しっかり立ち上がってスマホをズボンのポケットにしまい、彼女たちへ軽く手を振ると、まっすぐ歩きだした。女性たちは残念そうに、いや、それでも嬉しそうな表情でどこかへ行ってしまう。知り合いではなかったように思えた。
ぼーっと立っているうちに、颯馬は私のことを発見して大きく手を挙げた。
「ゆず葉」
颯馬のそのしぐさに、なぜか一瞬、ドキッとした。
あれ? 颯馬、なんだか雰囲気がちがう……。
彼はこちらへゆっくり近づいてくる。
「よ、ゆず葉。久しぶり」
彼がよりそばに来てみると、一層その様子がはっきり映り、三カ月前に卒業した颯馬とは何かがちがっているようだ。
「颯馬? 別の人かと思った……」
「ん? なんで?」
なぜなのか、わからない。声も見た目も、彼の優しそうなオーラも、いつもの颯馬のはずなのに、どうして今日はこんなにかっこよくみえるのだろう?
「雰囲気変わった感じする」
「三カ月ぶりやからな。新鮮に見えるんちゃう?」
「そうなのかな……。なんだか、ずいぶん大人っぽくなったというか、男らしくなったというか――」
「なんや、やっと俺の魅力に氣づいたん? もしかして、三番目の恋か?」
「なんでそうなるのよ。そんなわけないでしょ」
颯馬は高い背中を折り曲げるように、私の目線に合わせてくれている。そうして、嬉しそうにニコニコする彼をみて、なんだかほっとした。
「颯馬。なんか、背伸びた?」
「ああ、ちと高うなったわ。一八六やったかな」
「ええ……まだ成長してるんだ」
彼の存在を大きく感じたというか、度量が広くなったというか……寛仁大度な大人のようだ。
それはきっと、ただ背が高くなったからだけではない。
「そういえば、さっき女の人たちと話してたけど、誰か知り合い?」
「ただのナンパや」
「え、ナンパ⁉」
「よくあることや。ゆず葉が早う来てくれへんから、4人くらい声かけてきはったわ」
「そんなに⁉」
颯馬が中学や高校時代から人氣があることは知っていたが、まさか空港でも女性から声を掛けられるなんて……。でも、ふつうのことなのかもしれない。私ですら、すこしドキッとしてしまったのだから。颯馬とはじめて会う女性がいたら、話してみたいと思うのかも。私が、与那春樹さんに見とれてしまったように――。
「いまは女性から男性に声をかける時代なんだね……」
「ゆず葉はやっちゃダメ」
そう言って、颯馬は私の持っているキャリーケースを静かに奪って、持ってくれた。
「なんて声かけられたの?」
「ご飯いかへん? 言うとった」
「そうなんだ。それでオーケーしなかったの?」
彼はすこし困った表情をして、
「なんでや。ゆず葉を迎えに来たんやから、他の人と遊んでる暇ないねん」
その言葉に「私は特別だから」という意味が込められているような氣がした。いままで、颯馬からそんな風に男らしさを感じたことがないのに、いったい今日の私はどうしたのだろう。照れくさくなって、きっと赤くなっているだろう顔を下に向けた。
「それよりゆず葉、お腹空かへん? ごはん、行くか?」
「ああ、さっき機内でおにぎり食べたから、軽食で大丈夫」
「ほうか。俺も起きたの遅かったから、そないお腹空いてへんねん。ここの四階に展望台と、軽食カフェがあるさかい。噴水もあるらしいで、そこ行ってみよか」
「うん」
彼は私に背を向け、エスカレーターの方へ歩き出そうとする。すこし私の方へ視線をよこすと、「ほら、いくぞ」と見守ってから歩き出す。キャリーケースも引っ張ってくれている。
その後ろ姿は、いつの間にかこんなにも頼もしくなっていた。ゆっくりそれに付いていく。
しばらく歩いていると、何人かの女性や男性は颯馬をみて、瞳をキラキラさせているのがわかった。それから後ろに付いている私をみて、女性たちはすこし残念そうな表情にもなっていた。
うう……ごめんなさい。私はただの幼馴染です。
一緒に歩くのが恥ずかしく、だけど誇らしくも思えた。
エスカレーターのすこし前まで来ると、颯馬は足を止め、
「ゆず葉、さき乗ってええで」
そう言って、私を先に進ませてくれた。そのあとをすぐ、彼が付いてくる。私はエスカレーターのステップ左側へ乗って、足を休める。
「あ、ゆず葉」
颯馬が慌てた声を出したので、どうしたのか振り向こうとすると――
突然、腰のあたりを颯馬の両手で挟まれた。かと思うと、ふわっと体が宙に浮く。私を宙に持ち上げたまま、エスカレーターの右側のステップへ移動させる。
「すまん、ゆず葉。関西は、右側に乗るねん。言うの忘れとった」
キャリーケースを私の一段下のステップに置いたまま、彼は私を持ち上げて移動させたのだ。あまりの力持ちに驚いて、うまく言葉がでなかった。
「あ、ありがと……」
「ビックリしたか?」
「だ、大丈夫」
内心はすごく驚いた。やわらかい力で苦しくもなく、空を飛んだようなふわふわした感覚がまだ残っている。エスカレーターに乗っている周りからは、「わあ」と感嘆のまなざしが注がれていた。
どうして今日はこんなにドキドキすることばかり……。まともに颯馬の顔をみられないかもしれない。
四階の展望デッキへ到着すると、むんわりとした暑い風が肌を包んだ。関西の夏が、開放されたデッキをまぶしく彩っている。
颯馬はキャリーを引っ張りながら先に進んでいく。そうして、ダイニングカフェへ入っていった。空いてる席を案内され、腰を下ろすと、もう午後三時近くを回っていた。
正面の彼を見ると、穏やかに微笑んでいる。
「荷物ありがとう」
「これくらい大丈夫や。ゆず葉より軽いわ」
颯馬はそれからメニューを手に取り、渡してきた。
「あのとき言ってくれれば、私ちゃんと右側に寄ったのに……」
メニューを受け取りながらも、エスカレーターでのことで顔が熱い。
「言葉よりさきに手が出てもうた。ビックリさせて悪かった」
「力持ちなことに驚いただけ」
「今日のゆず葉、いつもよりオシャレしてはるし、ずっと赤面しとって、なんや可愛えかったからついな……」
彼はメニューをみながら、さらっとそんなことを言うのだ。
「な、なにそれ……赤面なんかしてない」
「いまも顔赤いで」
今度はメニューを見ないで、ニコニコしながら私に視線を合わせてくる。
「関西が暑いからだよ……」
実際に東北の夏より暑く感じる。そのせいもきっとある。
「ほうか。あと、俺が力持ちなだけやないで。ゆず葉が軽すぎなんよ。ちゃんとご飯食べとるんか心配になったわ」
颯馬はすこし怒ったような表情をしてから、またいつものやさしい笑みを向けて、
「今日は遠慮せんでたくさん食べや」
「うん」
そうして私たちはお好みのメニューを決めた。
注文を終えると、また颯馬がこんな提案をしてきた。
「ゆず葉、八木のおっちゃんに着いたって連絡したか?」
「あ、まだだ……」
お父さんだけでなく、まだ誰にも到着したことを連絡していなかった。
「ほうか。せやったら、一緒に写真撮るで。こっち向き」
颯馬はスマホの内カメラで、私の姿も一緒に収めようとしている。
「ええか、撮るで」
そうして押されたシャッターで、画面に二人の笑顔が残される。彼もすごく嬉しそうだ。きっと卒業以来の二人の写真だろう。二度と来ないこの時間を、また共有できたことが何よりの記念だと思う。
「写真、おっちゃんに送っとく。ゆず葉もちゃんと、連絡しときよ」
「うん、いま送る。利佳子にも連絡したいから、私にも写真送ってほしいな」
「オッケー」
しばらく私たちはスマホに意識を向けた。
スマホの影からすこしだけ颯馬へ視線を向ける。すると、彼も同じように私を見ている。互いの目線が交差して、時が止まったように錯覚した。慌てて視線を外す。
お父さんからはすぐに返事が届いた。
メッセージ:父【颯馬くんと仲良くやりなさい】
すると利佳子からのメールも届く。
メッセージ:利佳子【よ! ラブラブ夫婦♡】
父の返事のあとに利佳子のメッセージを読むと、まるで二人から公認の夫婦のように思えて、また熱が上がってきた。そんな風に意識したことはないけれど、颯馬が触れてきたり、視線が交わったりしたことで、私たちが高校生の頃より成長して大人に近づいているとわかる。
大人のようで子供、子供のようで大人。まだ未熟な私たちがいつか成熟したら、いままでの関係はどうなってしまうのだろう。
颯馬もなぜかスマホをみたまま、顔がほてったように赤くなっている。父からのメッセージを読んでいるのだろうか?
いったい、何と返事が来たのだろう?
「颯馬どうしたの?」
「な、なんや?」
「顔赤いけど大丈夫? お父さん、なんて?」
「いや、その……ありがとう、て」
明らかに何か動揺している颯馬。さきほどは私の顔が赤いなんて茶化していたのに、今は彼のほうがりんごのようだ。父のメッセージを読んでから、急に何かに照れているみたいだった。
「颯馬も赤面してる。何か変なこと考えてるんだ〜」
「そないなこと、あらへん‼ 大阪が暑いだけや……」
まだ顔を火照らせながら、彼は冷や水を飲みほす。はははと、笑う私。しばらくそんな雰囲気で、颯馬との久しぶりの再会を楽しんだ。
食事を終え、店を後にするともう時刻は夕方を回っていた。私たちは展望台から飛行機の様子を眺めている。 向こうの空に大きな夕焼けが真っ赤に染まっていた。日は沈もうとしていても、外の熱風はまだ容赦なく肌を焼いてくる。
隣で飛行機を眺める颯馬の首筋から汗が流れていた。私も、背中を冷たいものが伝っていくのがわかる。
それでも、私たちはただ静かに夕日と、ダイナミックな離陸の瞬間を目の当たりにしている。
異国の風へ飛び立っていく大きな鳥だけが、力強く惹きつけるばかりだ。
どうして、何も話さないのか、互いに氣にすることもない。ただ、隣にいることがずっと当たり前だったように、私たちが感じているものが音を伝わずして手に取れるからだ。
赤い空から一羽の黒い鳥が今度は視界の端で、近づいていた。
するとそのカラスは、私の隣に舞い降りてきた。
「わっ」
すこし驚いて、颯馬の方によろけた。彼はその様子に氣づいて、転ばないように支えてくれた。
「大丈夫か?」
「う、うん。ビックリした。こんなに近くにカラスが降りてくると思わなかった」
「ほんま、めずらしいな」
カラスは、しばらく私たちを眺めると、ぴょんぴょんと近づいてきて、一声、二声をあげた。そのときに、かすかにカラスの言葉が響いた。
――よう、こそ……ニシの……ソラへ。
「ゆず葉、もしかしてカラスが何しゃべっとるんか聞こえたん?」
「うん。ようこそっていってる。私のこと歓迎してるみたい」
「すごいやないか。まだ、言葉わかるんやな。小さいころと、変わらんな」
颯馬が微笑んで、私の顔をのぞき込んでくる。支えてくれてた腕から離れても、肌に触れた熱がピタリと離れない。
「でも、だいぶ聞こえなくなってきてるような氣がする」
「誰でも理解できるわけやないからな。力は弱くなってるかもしれんけど、ゆず葉の特別な能力や。大事にしときや」
「そうだね」
カラスは私たちの会話を聞いてから、また空へと帰っていった。動物が助けてほしくて、私のところへよって来ることは昔から何度かあった。久しぶりに近づいてみると、人よりも利口な生き物たちのように感じる。もっとも、カラスに歓迎されたのははじめてだったが。
颯馬が、そろそろ帰ろうと促してきたので、私たちはバスに乗り、颯馬の社宅の最寄り駅まで向かうことにした。東北の景色とはちがい、空も街も空氣も、そして生き物たちも賑やかな夜を迎えようとしていた。
再度、修正予定(20240930)




