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温室

作者: 角谷

ちょうど煙草に火をつけたとき、イヤホンから着信音が聞こえた。

深夜の公園。

画面を見ると予想通りの名前が表示されている。

吸ったばかりの煙を吐き出しながらスライドして応答する。

「…もしもし?」

遠慮がちな声を聞きながら煙草の火を灰皿に押し付けて消す。

彼女にはまだ喫煙を明かしていない。

「どうしたの?」

「連絡ないから。何かあったのかと思って。」

メッセージアプリに通知が来ているのは見た。

それが彼女からのメッセージであることも、内容が他愛もない連絡であることも知っている。

近くを車が通って、その音が聞こえたのだろう。

…外にいるの?

「何もないよ。」

「大丈夫?どうしたの?」

意識していつも通りの声を出した。

それでも隠し切れないのは、自分で思っている以上にこの時間を邪魔されていらだっているんだろう。

「どうもしないよ。ちょっと疲れてて人と話すのが億劫になってるんだ。心配かけてごめん。」

今度はもっと上手くやった。自分が思ういつもの声よりも少しだけ高く、元気に。

「そっか。ごめんね。そんなときに電話して。」

自分の声に察しが良い彼女はそれだけで騙される。

「大丈夫だよ。回復したらこっちから声かける。」

「わかった。じゃあ待っているね。おやすみ。」

「うん。おやすみ。」

こちらから切らないと切れない電話を切り、時間を見て口元だけで笑う。

1時20分。

彼女にとってはこれが「おやすみ」という時間なのだ。

もう一本煙草を咥え、火をつける。

吸い込んだ煙を肺に入れないまま吐き出す。

人を害する煙が空に消えていく。

そのまま適当に音楽を流しつつベンチに腰を下ろす。

一日一本。馬鹿みたいな決まりで最近始めた手軽な自傷行為。

不満があるわけではない。時々同じ日々を繰り返すことに飽きてしまうのだ。

深夜の公園は昼間に比べれば静かだが音が無いわけではない。この時間でも時々ランニングや散歩をする人や二人並んで歩くカップルなんかが通る。

起きている人間が自分一人ではない実感に安堵する。自分は逸脱していないと、特別ではないと思えるから人の多い街が好きだ。

「やあ。」

年甲斐もなく浸っていると声を掛けられる。

最近聞きなれたその声に振り替えると女性が一人、トレーナーにハーフパンツというラフな格好で歩いてくる。

「こんばんは。」

「君も今日は煙草か。隣いいかい?」

「はい。」

返事をしながら少し動いて隣を空ける。

彼女は礼をいいながらベンチに座り、慣れた手つきで煙草に火をつける。

自分ではまだ、こうは吸えない。

「今日は何があったんだい。」

「今日は特に、何も。何もなくて、そのまま終わるのが少し寂しくて。」

「そうか。喫煙者が板についてきたな。」

笑いながら彼女は煙を吐き出す。

自分もそれに倣って煙を吸い込む。

少しだけ心地よく、自分が吸い込んだものの毒性を実感する。

「てっきり私に会いに来たのかと思ったが。」

「それもあります。」

彼女は毎夜1時過ぎにここで煙草を吸っている。

時間さえ合わせればまずまずの確率で会えると思った。

「気分がいいなそれは。」

声を出さずに彼女が笑う。

そのまま煙草2本分の時間だけ近況を語り合う。

この関係は、煙草を初めて3日ほど経った頃、寒さに震えていた自分が煙草を咥えて公園を訪れたときから続いている。

その時は今よりもっと遅い、朝の気配を少しだけ感じる時間に彼女は一人でベンチに座り煙草を吸っていた。

木の陰に隠れてすぐそばに行くまで気づかなかった自分は、声を上げるほどびっくりして、引き返そうとして、呼び止められた。

そして彼女は煙草を吸い終わるまで話してから帰っていった。

「ではまた夜の1時に。」

とだけ告げて。

追いかける気も湧かなくて、次の日の1時に公園に行くと彼女は来た。14分遅れで。

「あの時と同じ顔をしているよ、今日の君は。」

胸の内を見透かされたような一言にも驚かなくなった。

「そんなにわかりやすいですか。」

彼女は察しが良いわけではない。

「時々ね。いつもは、君は自分で思っているよりずっと器用な嘘つきだよ。」

そうかもしれない。今も隠しているつもりなんて自分に嘘をついて、無意識に気づいてもらえるようにしていたように思う。

「なんだかそれはかっこ悪いですね。」

「そんなことはない。いつも潔癖な君の唯一のチャーミングポイントだ。」

言葉のチョイスが古い、気がする。

たまに彼女の年齢が知りたくなる。同年代に見えるが、10歳ほど年上でも納得はできる。

自分と彼女は互いに年齢も名前も知らない。

「君が抱えているその穴はどうしたって埋まらないものだ。」

「わかっているつもりです。どうしようもない時があるだけで。」

「知っているよ。」

だから私はこんなものを吸っているんだ。

笑いながら言う彼女に罪悪感を覚える。

きっと誰でもいいのだ。

この穴を、傷を持っているならだれでも。

「行きます。」

いつもは彼女が吸い終わってから帰るが、今日は自分が先にベンチを立つ。

「もういいのかい。」

「はい。喉が渇きました。」

「そうか。」

煙草の火を消しながら彼女はこちらを見ずに笑う。

「じゃあ、また。夜の1時にここで。」

「ああ。またな。」

ひらひらと手を振る彼女に背を向けて来た道を帰る。

少し遠回りをして、道に置かれた自動販売機の横を通り過ぎ、角を曲がって家に戻る。

鍵を差し込みドアを開けると、来るときに消した部屋の灯りがついている。

そのまま奥へ進み、蛇口をひねる。

水はまだ出てこない。

何度かひねってようやく出てきた水を浴びるように飲む。

夏の夜。生ぬるい水。

その感触が渇きを潤していく。

満ち足りることはなかった。

口元をぬぐい、手を拭いて床に座り込む。

周りを見れば散らかった部屋。

一度座り込んでしまったから腰が重いが、夜の内に片づけなくてはならない。

朝や昼間よりも夜の方が作業効率は上がる。

なんとか立ち上がり、部屋を掃除する。

終わったのは3時だった。

このまま寝る気にもなれなくてもう一度外に出る。

夜風が涼しくて、さっきまで胸の内にあった温かさがほどけていくようで、急に怖くなる。

角を曲がり、自動販売機に照らされた夜道を歩く。

寒い。

震える手で何とか煙草に火をつけ、煙を吸い込む。

それでも寒い。

半ば癖のように通いなれた公園へ。

見慣れたベンチには。

「やあ。」

彼女がいる。



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