早くも折れた悪役令嬢フラグ
乙女ゲームや小説、漫画に登場するヒロインのライバルたる令嬢――即ち、悪役令嬢に転生した、という話がある。それを知った時は精々、物語の中での話。と思っていた。だがしかし、そんなことはないと知ったのは、三歳の時だった。
わたしが転生したスカーレット・フォン・ベルンシュタインは、とある恋愛漫画に登場する悪役令嬢である。縦ロールにした金髪に紅い瞳、輝かしく整った顔立ち。豊かな胸元に反してくびれた腰は艶かしく、真紅のドレスがよく似合う。「おーっほっほっほっ」という高笑いも似合う。
スカーレットのビジュアル、実はわたしの好みドストライクだったので、ぶっちゃけ見た目はヒロインやヒーローよりも好きだった。よって、最初は自分好みの美少女になれたことを喜んだのだが……。悪役令嬢なので勿論、断罪されて破滅する。現実を思い出して、膝から崩れ落ちたことは懐かしい。
というわけで、これから悪役令嬢に転生したわたしの断罪回避が始まる――
――といったことはなく。
え? 回避しないの? と思った? わたしもしないと、と思った。だが、なんということだろうか。そもそもわたしは漫画のヒーローたる王子、シルヴェスターの婚約者には選ばれなかった。どうして?
それは、わたし自身のスペックが低過ぎたのだ。
実家のベルンシュタイン家は公爵位を賜っており、父は宰相の役職についている。その上、母は元王女。現在の国王陛下の妹に当たる。つまり、わたしとシルヴェスターは従兄妹同士。
家柄良し、血筋良し、見た目良しのわたし。だが、ここからが問題だった。わたしは前世から馬鹿で、運動音痴だった。特技、趣味は共になし。
特に、英語がダメダメだったわたしは今世でも外国語を話せず……。母国語は前世の記憶を思い出す前にマスターしていて良かった。そうでなければ、母国語すら喋れず、書けないという、とんでもお馬鹿が出来上がるところだった。
尚、漫画内のスカーレットはめちゃくちゃハイスペック。かつては神童と呼ばれ、厳しい王妃教育も見事マスター。乗馬も得意で足も速い。令嬢が走ることあるの? と思うだろうが、彼女はヒロインを虐めて逃走する際に使っていた。社交的だし、魔法も得意だし……。性格以外は完璧だった。
そうそう、魔法。この世界にはなんと、魔法が存在する。魔法は生まれながらに持つ魔力の有無と量で使えるか、使えないか別れる。基本的に、王侯貴族はほぼほぼ皆、魔法使いだ。だからこそ王族、貴族になれたと言っても過言ではない。わたし達はこの魔法の力で国を豊かにし、民の暮らしを良くし、民を護るのだ。つまり、平民はほぼほぼ使えない。たまに、実はどこかの貴族の血が入っていたりして使える人がいたりするのだが。
そして、この世界の魔法は使える属性が限られている。わたしは火属性と光属性の二つ。二つ以上の属性を持つ者は珍しい。その上、光と闇属性自体も稀少。特に王家は光属性持ちを見つけると真っ先に王子や王女と婚姻させ、取り込んでしまう。
まぁ、わたしの場合、二属性にして光属性持ちでも、馬鹿で無能過ぎて取り込む旨みはねーな、と婚約者に選ばれなかったようだが。
とはいえど、わたしは特にシルヴェスターは好みでもなんでもないので良いのだが。断罪・破滅フラグも回避出来そうだし。
というか最早、わたしはそちらを気にするよりも、婚約者探しをしなければならなかった。わたしは今のところ、ベルンシュタイン家の一人娘。王太子の婚約者に選ばれなかった今、婿を取り、ベルンシュタイン家を継ぐ立場なのだ。
目指すは、わたしの代わりに執務を行ってくれる、真面目で優秀なお婿さん。それが当て嵌まるならば、生理的に無理なほど好みから脱却した男以外、大歓迎。と父には伝えておいた。
え? お前自分で婚活しないん? とか思った? いやー、無理だな。わたし、人見知りな上にコミュニケーション能力ないから。その上、あがり症。お婿さん探しは両親の伝手で、お見合い形式で行きます。いや、お見合いも想像するだけでお腹が痛いのだが……。
それから十五歳になったわたし、スカーレット・フォン・ベルンシュタイン。原作は魔法学園三年生となる今年から始まるのだが……。なんと、始まらなかった。
それは何故か。ヒロイン、ヴァイオレットが我が家に引き取られていないから、である。ヒロインのヴァイオレットは我が父、ジョザイア・フォン・ベルンシュタインがしこたま酔った挙句に作ってしまった庶子。しかもわたしと同い年という。
元は平民の母親と共に市井で暮らしていたのだが、スカーレットが王家に嫁入りするとベルンシュタイン家の跡取りがいなくなる為、ベルンシュタイン家の次期女当主となるべく呼ばれた。そこで学園に編入し、ヒーロー・シルヴェスターやその周囲の人々と出会い、仲を深めていく。
……そのはずだったのだが、わたしが王太子の婚約者に選ばれなかった為、わたしはベルンシュタイン家に留まり、次期当主に内定。ヴァイオレットがベルンシュタイン家に迎え入れられる理由はなくなった為、ヴァイオレットは今も市井で母親と暮らし続けている。
恋に落ちるはずのシルヴェスターとヴァイオレットの出会いを無くしてしまったことに罪悪感はある。が、下手にヴァイオレットを呼んで断罪・破滅フラグが再建しても嫌なので、わたしはなにも知らないフリをした。それが正しいのかわからないのだが、わたしは我が身が可愛い。取り敢えず、ごめんね、と心の中で謝っておいた。
そして、わたしはとうとう婚約者候補が決まったらしい。良かった。実は今まで、父はわたしの婚約者探しに手間を取っていた。わたしが無能過ぎるからだろうか……。なんか、申し訳ない。
で、明日が顔合わせ当日。わたしがお相手を気に入ったら、晴れて婚約が結ばれるとか。どんな方がいらっしゃるのか……。少しでもわたし好みならば良いのだが。まぁ、一番は優秀であればいい。
気合いを入れて、一番似合う真紅のドレスを着た。腰まである金髪は縦ロールにしっかりと巻かれ、化粧もバッチリ。ちょっと派手かな? と思ったが、侍女や両親も褒めてくれたので、まぁいっか、とこのままで行くことに。お気に入りの黒いレースがついた扇子を持って、いざ、顔合わせへ。
ソファーに座るわたしの目の前には、サラサラの金髪に澄み切った青い瞳を持つ男性が。白い服がよく似合う。白馬も似合いそうな王子様。
そう、王子様。目の前の御方の名は、シルヴェスター・フォン・アードラー。漫画のヒーロー、ご本人である。
何故、殿下がこちらに? なーんて、わたしは緊張で言えなかった。ヒロイン不在なのに、断罪か破滅がやってきた!? わたしなにもしてないよね!? と内心パニック。
「久しぶりだね、スカーレット嬢」
シルヴェスター……いや、不敬だな。殿下が口を開く。うん、久しぶりだ。最後に会ったのがいつか、全く覚えていないけど。
尚、学園では同級生だが、クラスが違う。同じでも寄りつく気は皆無だが。わたしはそこらの令嬢方のように、殿下と親しくなろうと頑張る気はなかった。従兄妹だから、繋がりはあると言えばあるし。
「はい……。お久しゅうございます」
お父様よ。本日はわたしのお婿さんとのご対面ではなかったのか。とも言えない。こんなところで。
「ずっとこの日を心待ちにしていたよ。公爵閣下からは聞いたかな?」
なにを? 怖過ぎてこれも聞けない。
「シルヴェスター殿下が我が家に婿入りしてくださるそうだ」
殿下のご登場に混乱するわたしに、お父様が仰った。むこいり。むこいり……むこ入り……婿入り!?
あんまりにもビックリしたので、あんぐりと口を開けてしまった。慌てて扇子を開いて隠す。はしたない真似を殿下の前でしてしまった。
「し、失礼致しました……」
声が小さいっ。と自分でも思ったが、羞恥と混乱で頭がしっちゃかめっちゃか。掠れた声しか出ない。
「いや。構わないよ。我々は夫婦になるのだから」
初耳なんですけど。ハッ! まさか、物語の強制力というやつでは!? いやでもヴァイオレットはどのように我が家へ現れるのだろうか……。わたしが跡を継ぐのに。
と思ったら、父が口を開く。
「公爵位はシルヴェスター殿下に継いでもらおうと思う。お前は……あまり向いていないし」
ちょっぴり言いにくそうに父が言う。良いんですよ、お父様。事実なので。むしろ、馬鹿な娘でごめんなさい。
殿下が継いでくださる。その言葉に、わたしは肩の荷が降りたような気がした。ずっと、分不相応な未来の肩書きに恐れをなしていたから。まぁ、公爵夫人も大変だが、当主よりも遥かにマシだ。
いや、待てよ?
「……殿下は、王位を継がれるのでは……?」
「継がないよ」
殿下はしっかりとした声調で否定なさった。何故……? なにかやらかしてしまったのだろうか。それに――。
「コルネリア様は……」
コルネリア・フォン・シュネルドルファー公爵令嬢。殿下の婚約者のはずの人。彼女はどうするのだ?
「コルネリア嬢とは婚約を白紙にする。彼女は外交官になりたいらしいよ」
知らなかった。まぁ、わたしは滅多に社交界に出ないから、疎いんだけど。あぁ、でも、コルネリア様は国外に興味がありげだったかもしれない。わたしとは反対に外国語が堪能で、国外の書物を読むのが趣味だとか言っていたような。ともかく、彼女も納得してのことなら……いい、のかな?
「王位はシリウスが継ぐ」
シリウス・フォン・アードラー第二王子殿下。言わずもがな、シルヴェスター殿下の弟である。彼もまた、シルヴェスター殿下同様に優秀らしいから、どちらが継いでも問題がないのだろう。
「スカーレット・フォン・ベルンシュタイン嬢」
殿下が不意に立ち上がる。そして、わたしの傍らへ来ると、片膝をついた。突然のことにギョッとする。王子様が、身分が下のわたしに跪いている!? 慌てて両親に助けを込めて視線を送るが、意味がなかった。父は厳しい目で、母は微笑ましげに殿下とわたしを見ているだけ。
殿下は懐からサッとなにかを取り出す。その箱の蓋を開けて、わたしの前へ。
「どうか、私と結婚してほしい」
……はい?
箱の中身は指輪だった。ダイヤモンドがリングを囲むようにいくつもあしらわれている。所謂エタニティリング。
これは確か、漫画内でも、シルヴェスターがヴァイオレットに求婚する際に持っていた。あれ? わたし、ヴァイオレットに成り代わっちゃってない? 受け入れても良いの?
と思っても、小心なわたしは断れない。
「……はい……。喜んで……」
戸惑っていることに気付かれないよう、笑っておこう。そんなわたしに殿下はとても嬉しそうな顔をし、わたしの手を取って左手の薬指に指輪を嵌める。高そうだからちょっと引けちゃうけど、綺麗で、嬉しくないわけではない。
よくよく思えば、割と条件良いのでは? 殿下は国一番の美男子と名高い超イケメン。聡明で博識。次期王に相応しい器を持つ。魔法も稀少な雷属性と光属性持ち。剣術や体術にも優れ、噂ではそこらの騎士などよりもよっぽど強いとか。つまり、めちゃくちゃハイスペック。漫画のスカーレットとは違い、性格も良いし。超のつく優良物件。しかも、婿入りしてくれたらわたしの代わりに公爵位を継いでくれる。良いこと尽くしでは? ヴァイオレットもいないから、多分、断罪・破滅フラグは折れただろうし。
わたしの心は今更ながら決まった。わたしなんぞが殿下を支えるなど烏滸がましいし、本当に出来るからわからないが、出来うる限り尽力しよう。うん。
あれよあれよという間にわたし達の婚約は世間に発表された。王族どころか公爵家にとっても異例の速さで、半年後に結婚。殿下……いや、シル様はベルンシュタイン公爵位を継ぎ、わたしは公爵夫人に。二男三女にも恵まれた。
なんと、彼は元から私のことを見初めてくださっていたらしい。その為に王位も弟に譲るとか……。初めて聞いた時は戸惑ったが、嬉しくもあった。そこまで想われていたとは。
悪役令嬢のはずだったスカーレット・フォン・ベルンシュタインは、見事、ハッピーエンドを迎えたのだった。