99.ドレスはどこへ行った?③古着と裁縫魔法
レッドのほうは、まだ荷造りが終わらなくて悩んでいた。
「だからそれ、絶対に魔法鞄の容量を超えてるわよ」
魔法で容量を拡大された魔法鞄とはいえ、安物である。容量の限界が訪れるのは、予想より早い。
「けどさあ……」
見ると、馬車が襲われた日――レッドが瀕死になった日に着ていたシャツまで置いてある。
浄化魔法はかけたけれど、破れたところは直らないから、最早ただのボロ布同然の代物だった。貧民街の子供だって、もう少しマシなものを着ているだろう。
繕うにしても、限度というものがある。
繕い物専用の生活魔法もあるけれど、糸や当て布などの材料が必要になる。今はその材料がないし、あっても服の状態が酷いから、魔法は発動しないだろう。
裾なんて、包帯を作るために破ったから、布地そのものがもう残っていない。
丈は短くなっているし、穴が空いているのはもちろん、ファイアーボールの火花で焦げた跡まである。
「古いのは捨てるしかなさそうね」
わたしの靴はそうした。
買ったその場で履き替えて、古い靴は処分してもらった。
「このシャツ、最初のころアリアに買ってもらったやつだ」
「気にしなくていいわよ、そんなこと」
契約して間もないころ、レッドに服を買ってあげたことがある。
その前から着ていたものが、だいぶ擦り切れて傷んでいたから、見かねて古着屋に連れて行ったのだ。
年齢の近い子と、あれこれ言いながら服を選ぶなんて経験はしたことがなかったから、ちょっと楽しかったのを覚えている。
与えたものを大事にしてくれるのは嬉しいけれど、それと旅の荷造りとは別である。
レッドは、ボロボロになったシャツを手に取って、名残惜しそうに見つめていた。
捨てる決心がつかないらしい。
気持ちはわかる。
貧乏暮らしが長いと、必然的にそうなるものだ。
わたしも、買い替えたものが靴ではなく服だったら、同じように悩んでいたかもしれない。
それでもわたしは、一応は貴族の家の生まれだ。
地位ある家では、見栄のためだけに衣類や調度品を買い替える習慣があることを知っている。
見た目を取り繕うことこそが、内面の充実よりも重要な場合があることを知っている。
内面よりも、身分と外見で判断されることのほうが多いという現実を、身につまされるほど知っていた。
だから、古くなった靴を手放すことを厭わなかった。
躊躇いがないと言えば嘘になるけれど、最低限の身なりを整える必要性を理解しているから、機会があれば身の回りの品を入れ替えるようにはしている。
(せいぜい、限界まで着潰した古着Aが、買ったばかりの古着Bに変わる程度のことだけれど……)
例えば、ギルドで採取依頼を受けたとして、奴隷然とした粗末な格好をした者と、中古の安装備で身を固めてはいるけれど、一応冒険者の端くれに見える者とでは、明らかに買い取り価格に差が出るのだ。
(本当は、そんな差別はあってはならないことだとしても……)
世の中は理不尽なのである。
レッドにはまだ理解できないかもしれないけれど、“奴隷”ではなく“従者”になるなら、いずれは理解してもらわなければならない。
「それならボタンと、無事な部分の布地だけ切り取って保管しておけばいいわ。端切れとして持っていれば、別の服の補修や装備の手入れに使えるでしょう? 繕ったり、仕立て直したりするには素材が必要だもの」
「仕立て直すこともできるのか?」
「できるわよ。新しく仕立てるのじゃなくて、大人のお下がりを子供用に作り直したり、裾や袖の丈を詰めたり、端切れを利用して巾着を作ったり、家庭でできる程度のお裁縫だけれど」
複雑な術式が必要だし、素材の相性や適性も考慮しなければならない面倒くさい魔法だから、今ではおばあちゃん世代の人しか使わない。でも、確かに生活魔法の一種ではあるのだ。
魔力の少ない平民や獣人族の女性の中には、魔法を一切使わずに、手仕事だけで服を仕立て直せる器用な者もいるそうだから、驚きである。
わたしは偶然、古い文献に記載があったのを見つけて習得できたおかげで、寄宿学校在学中はずいぶんと助かった。仕送りなんかなかったから、お裁縫チートがないと死活問題だったのだ。
貴族女性の嗜みとされている刺繍やレース編みの授業では、魔法を使うわけにはいかなかったけれど、基礎は楽しく学ばせてもらった。
へえぇ、とレッドが感心したようにこちらを見た。
「言っとくけどそれは無理よ。素材が足りないもの」
わたしは、レッドが持っているシャツの残骸を指差した。
レッドは「わかってるよ」と言って、いそいそとボタンを取り外し始めた。盗賊の七つ道具には、鍵開け用や罠の細工用なのか、先端の細いピックやナイフなどが揃っているから、いったん取りかかれば作業は早い。
あっという間に、ばらばらになった小さなボタンは、丁寧に釣り針のケースの中に仕舞われた。
「疑似餌はまた作れる。針だけでも釣れる魚はいるし、食いもんの心配はいらねえよ」
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