9.毒霧
「どう……して……」
敵魔法使いが放ったファイアーアローが、立て続けにおばさんの背中に突き立った。
一瞬燃え上がって、かたちを失う炎の矢。
「おばさんっ、どうしてわたしを庇ったりしたの!!」
驚きに、悲鳴のような声しか出なかった。
おばさんは、抱きつくようにして魔法の矢からわたしを庇った。
わたしにしがみついていたおばさんの体から、ゆっくりと力が抜けて崩れ落ちる。
泣いたちゃ駄目だ。
泣いたら、レッドの姿が見えなくなる。
(早く……治癒魔法をかけないと……レッドの脚がっ……)
だから、視界を涙で曇らせるわけにはいかない。
これくらいで、泣いたら駄目だ。
(駄目、なのに)
レッドに対して、死にも等しい命令を下したわたしには、他人の死に涙する資格なんかない。
(わたしは、自分の命を惜しんで、従者を犠牲にするような、非道な主人なのだからっ)
名前も知らないおばさんも、仲むつまじかった家族連れも、一生懸命働いて帰途についたのだろう男性たちも、楽しそうに話していたカップルも、おばさんの同僚の女性も、誰にも何も、殺されなければならない理由なんてない。
運悪く、わたしと同じ馬車に乗り合わせただけだ。
「全員殺せという指示だ。二人とも殺せ」
盗賊の頭目と思わしき男が、おもむろに指示を下した。
「……誰の命令?」
ふいに口をついて出たのは、裏で糸を引いている人物を問いただす言葉だった。
このとき初めて、言質を取りたいと強く思った。
何年もずっと命を狙われ続けていながら、見て見ぬふりをし続けてきたツケが、今まわってきたのだ。
あの人たちが消したいのはわたし一人。
わたしさえ我慢すれば、それで済む。
そう思って、何もしなかった結果がこれだ。
状況証拠なら腐るほどあったのに、信じたくなかっただけだ。
義母のイーリースがわたしの食事に毒を盛っていたことも、異母妹のシャーリーンがナイフで切りつけてきたことも、全部何かの間違いだと思いたかった。
刺客が送られてきて殺されそうになったことも、誘拐されそうになったことも、ギルドに圧力をかけて依頼の達成を妨害されたことも、全部何かの間違いでただの偶然なのだと思いたかった。
(いいえ――)
正面切って対決するのが怖かったのだ。
イーリースは父の後妻だが、つまり腐っても現伯爵家当主の夫人である。
断罪が通るとは思えなかった。
立ち向かったところで勝ち目はないから、と口実をつけて逃げていただけだ。
わたしはおばさんの亡き骸から離れ、頭目に向き直った。
「命乞いもしないとは、いい度胸だ」
「命乞いしたところで、どうせ殺すのでしょう?」
頭目はククと嗤った。
「そうだ。盗賊の仕業に見せかけて、この馬車に乗っている亜麻色の髪の娘を殺せという依頼だ。その娘の左目は薄紫、右目は髪で隠しているだろうとのことだった。目標を殺たら、目撃者も全員殺して証拠隠滅だ」
盗賊は、第三者の指示で動いていることを認めた。
「アリア! ――逃げろっ」
そのとき、レッドが頭目に向かってファイアーボールを投げつけた。
隙を作るから逃げろというのだ。
立ち上がることができなくても、まだやれる。最期の瞬間まで戦わせろという意思表示だった。
斬り飛ばされた脚もそのままに、治癒魔法を乞おうとさえしない。
這ってでも時間を稼ぐから、少しでも遠くへ逃げろというのだ。
(どこへ逃げろというのだろう)
ぼんやりと頭に浮かんだのは、そんな思いだった。
女の足では、森の中を走って盗賊たちを撒くことはできないだろう。
撒けたとしても、一人ぼっちでどこへ行けというのか。
(レッドが一緒でなきゃ、意味ないのに)
続けざまにレッドの火球が放たれる。
しかし、魔法使いが放つより、ずっと小さくて威力も弱い――よく言っても派手な火花程度のそれは、頭目の剣の一振りでなぎ払われた。
近くにいた賊の一人が、レッドの胸に長剣を突き立てた。
「――!!」
レッドが、口から血を吐いて動かなくなった。
治癒魔法を使われる前に始末しようと、頭目がわたしの頭上に剣を振り上げる。
「『短縮詠唱、三十三番』」
独り言のように、ぽつりと呪文を口にした。
最短に縮められた詠唱と同時に、周囲にどす黒い霧が展開した。
立ち込めた霧は、盗賊たちを片端から飲み込んでゆく。
もういい。
もう、自重しなくていい。
巻き込むことを心配しなければならなかった乗客たちは、一人残らず殺された。
――お前たちも全員、死ねばいい。
「『追撃、紫の蹂躙』」
大毒蜘蛛の上位種、紫大毒蜘蛛の毒素を追加する。
例の毒蜘蛛スタンピードを止めた、近隣住民も冒険者も裸足で逃げ出す猛毒魔法だ。
バフ/デバフ系魔法は、基本的に無属性なのだ。
便利だからとデバフ系の毒魔法を多用していたら、いつの間にかアイリスは毒蜘蛛の魔女と呼ばれるようになっていた。
短縮詠唱の三十番台には、人を殺せる毒魔法が割り振ってある。
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