82.裏事情を知らない二人①
屋外で食事をすることに抵抗はない。
普通の貴族令嬢だったら、招待されたディナーの会場が、ガーデン・パーティーもないのに屋外で、しかも調理場の真ん前となれば、従者ともども猛然と抗議するところだろう。
けれど生憎、こちらは冒険者稼業に片足を突っ込んだ元貴族――も真っ青なほど、貧乏暮らしが長いのだ。
清潔な卓に席が用意されていて、座って食事ができること、温かい場所にいられること、まともに食べられるものが供されることが、どれだけ有り難いか理解しているつもりだ。
市井の食事処なら、鍋のかかった暖炉の前は一等席だ。
それ以前に、レッドと一緒に席について食事できることが、とても嬉しかった。
いつもは屋台で買ったものをその場で食べたり、採取に行った先の森で保存食をかじったり、薄暗いアトリエの中で食べることが多かった。
世間一般では、ちょっとした食堂であっても、テーブルと椅子があって給仕がいるような店では、奴隷は主人と同席することができない。人間の従者なら、店によっては同伴可能だけれど、獣人は駄目だ。獣人の奴隷が、座って一緒に食事ができる店はない。あるとしたら、ギルドの酒場くらいのものだ。
(でも酒場は、ベテラン冒険者たちのものだから……)
新人や、初級レベルの者がうろうろしていたら、すぐに絡まれる。
なぜ知っているかというと、以前、ギルドに短期の手伝い募集の依頼があって、厨房で皿洗いや芋の皮むきをしていたことがあるからだ。
わたしも食器を下げに行って絡まれたことがあるし、イキがって飲みに来た新人が、絡まれて逃げ帰って行くところも見た。
全ての冒険者が、新人をからかって酒の肴にしているわけではないけれど、多いのも事実だ。そして、先輩冒険者からの洗礼を受けた程度で畏縮するようでは、冒険者として大成できないこともまた、事実だ。
(酔っ払いだらけの酒の席で笑いものにされるくらい、たいしたことではないのにね……)
試験を兼ねたデビュタント・パーティーで、真っ赤なベリー系の飲み物をかけられて、苦労して用意したドレスを駄目にされた上、被害者でありながら減点までされる屈辱に比べたら、全然たいしたことではない。
周りは酔客ばかりで、どうせ明日には誰も覚えていない。新人を脱するころには笑い話だ。
(それに比べてあのデビュタント・パーティーは……)
試験を兼ねていたから、ほぼ全員が素面だった。
学校関係者以外に、採点協力を頼んでいた外部の招待客も大勢来ていた。当然ながら全員が貴族であり、マナーやダンスについて厳しく評価するために注視している。
その中で、わざとドレスの裾を踏まれ、余興のように飲み物を浴びせられ、立ち居振る舞いがなっていないとして減点までされたのだ。
学生と一部の教師がグルだった。
それを思えば、一過性の冒険者の嘲り程度、小鳥のさえずりのようなものだ。
冒険者は、酒の席で羽目を外して暴言を吐きはしても、それはその場限りのことだ。次の日以降も同じ態度を取るとは限らない。
冒険者や傭兵のようなその日暮らしの者たちは、毎日、他人をからかって面白おかしく遊んで暮らすことはできない。親の金で生活している貴族の子女とは違うのだ。
やり過ぎると、恨みを買って、後の仕事に支障をきたすこともわかっている。
ギルド職員の目もあるから、そう酷いことにはならない。
(酷くても、せいぜい袋叩きにされる程度かしら)
けれど、喧嘩のやり方を知らない貴族の子供は、手加減を知らないから、悪ふざけで人を殺すようなことを平気でやる。平民を亜人と同じように人と見做さない者も大勢いる。
何をしても、どうせ親が権力で何とかしてくれると思っているし、実際そうだ。
レッドも、盗賊ギルドにいたころから酒場に出入りしていたから、酔っ払いのあしらいには慣れている。
二人してギルドの酒場の片隅で、わたしは右目を、レッドは耳と尻尾を隠して、金欠の新人冒険者の振りをして食事を摂ることも可能だった。
でも結局、わたしたちがギルドの酒場で食事をしたことは、数えるほどしかない。
節約のためという理由もあるけれど、わたしが下品な酔っ払いに絡まれる度に、何もできないレッドがつらそうな顔をするからだった。
わたしは、揶揄われることにも蔑まれることにも慣れている。嫌味としても成立していない低俗な嘲り程度で、いちいち傷ついたりはしない。
酔っ払いの上手なあしらい方は、近所のお姉さんたちから教わっていた。
酔っ払いには言葉が通じない。絡まれたときに、相棒が止めに入ったりすれば、火に油を注ぐようなものだという。
だから、レッドには何があっても動かないよう命じていた。偶然に相席した他人の振りでもして、注文したものを残さず食べておくように、と。
レッドは、命令だから仕方なく、うつむいて冷めた定食をつついていた。
ギルドの中ならば、もめ事が大きくなれば係の職員が駆けつける。
よって、わたしにとっては、たいした危険はない。
が、獣人奴隷が人間の冒険者に盾突いた場合は話が別だ。勝っても負けても、悪者にされるのは獣人の側だ。
一定期間、ギルドへの出入りを禁止される程度の罰は受ける。
大人数のパーティーならば、ギルドでの用事は他の仲間に代わってもらえば済むけれど、わたしたちのような零細パーティーでは、そうはいかない。
わたしは生成した魔石の売却をレッドに頼んでいたから、レッドがギルド出禁になると、ダイレクトに生活費に響くのだ。
(一応、そういう事態に備えて“アイリス”として別口の収入源を作ってはいたけれど……)
わざわざ、レッドに惨めな思いをさせることはない。避けられるのなら、避けるのが賢明だろう。
わたし自身が売りに行ってもいいけれど、それだと数を捌けない。採取依頼しか受けない小娘が、一度に大量の魔石を持ち込めば怪しまれる。
(それに、相場が値崩れしてしまう……)
だからレッドに、毎日少しづつ、色々なギルドを回って売却するよう頼んでいたのだ。
獣人奴隷のレッドなら、繰り返し魔石を売りに行っても、主人に命じられたお遣いだろうと思われるから、それほど怪しまれることもない。
そもそも、ツノウサギやツノネズミなどの、小型の魔獣から取れる程度の小さな魔石だ。膂力のある獣人の子なら、小遣い稼ぎに一人で狩ったと言っても誰も不思議には思わない。
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