75.レッド、従者になる
「わかったわ」
わたしの返事に、レッドが小さくガッツポーズをする。
「ただし、一つ約束してほしいことがあるの」
「ああ! 何でも約束する!」
「二度とわたしに、契約魔法を使えと指示しないでちょうだい。わたしはもう契約魔法の強制命令は使いたくない。魔法で命令を強制される奴隷ではなく、普通の従者でいてちょうだい」
「いや、でも、オレが奴隷なのは本当のことだし……」
「従者の真似事もできないの?」
「できねえことねえけど……」
「ならそうして。最初に言ったわよね、普通の従者として扱うと」
「……」
レッドが黙り込んだ。
少し言い方がキツかったかな……?
「お前ら、相当だな」
クロスが笑った。——というか、爆笑された。
「アリアは、従者から命令されて命令しているのか? 従者が馬鹿なのはわかっていたが、主人までとは……これは傑作だ!」
「何か悪い? ほうっておいてよ。わたしたちの問題だわ」
レッドを治す方法を教えてくれたことには感謝するけれど、笑われる謂れはない。
「いいんじゃないか? らしくて」
この人、こんな大声で笑う人だったんだ。
「……アリア、怒ってるのか?」
「……」
怒ってない、とは言えなかった。
「主人を心配させるなんて、駄目な奴隷ね。やっぱりあなたの言う通り、ここに捨てていこうかしら。この先の道行きなら、新しい仲間がいるから平気だもの」
「ちょ……ウソだろっ!?」
「──と言って脅したくなるくらいには怒ってるわね」
レッドが、あからさまに安堵のため息をついた。
「悪かったよ……。でも、」
「でも、何?」
「やっぱり怒ってるだろ。――でもさ、オレが奴隷でも従者でも、命令があってもなくても、アリアのためなら命くらい、いくらでも捨てるぜ? オレ、バカだから約束しても、そのときになったら全部忘れちまうし」
ヘラリと笑った。
やっぱり、何もわかっていない。
(……って言ったくせに)
一番、言って欲しくないことを自分から口にしておいて、何を今さら言うのだろう。
「――命令の件は、わたしも悪かったわ。レッドから言われる前に、主人であるわたしが判断を下すべきだった。奴隷の扱い方が下手で、駄目な主人なのはわたしよ。クロスに笑われても仕方がないわ」
「すまん。他意はないんだ」
笑いながら言われても説得力がない。
「わたしは奴隷も奴隷制度も嫌い。必要悪だとしても、それに投資して奴隷制度を助長する人間が、一番嫌い。だからこれは、わたしの我が儘だってわかっているけれど……傍に置く者には、奴隷ではなく一人前の従者でいて欲しい」
そのせいでレッドが働きづらい思いをしているとしても、そこは譲れない。
これは下手をすると、鳥に「空を飛ぶな」猫に「犬になれ」と命じるような暴虐だろう。
「わかってるよ。人間の従者には契約魔法なんかかかってないんだから、契約魔法による強制命令を使わせるな、って意味だよな?」
「その答えだと、ぎりぎり及第点でしかないわね」
「なんだよ。まだ何かあるのかよ」
「お前らの痴話喧嘩を聞いているのも面白いが、埒が明かないんでヒントをやろう。アリアは別に、お前が迷惑をかけたことを怒っているわけじゃない。——そうだな?」
クロスがこちらに話を振るので、そしてそれがあまりに的を射ているので、わたしは何度も首を縦に振った。
レッドのほうは、まるで理解できないというように首をかしげている。
「共に死線をくぐり抜けて、寝ずの看病までした仲間が、自分勝手に“もう抜ける”言ったらどう思うよ? 猫族、ない知恵を絞って考えろ」
「え……」
「真にわたしの所有物であるのは、レッドだけよ」
従者を所有物と言い切るのは品位に欠けた行為だけれど、許してほしい。
家を追い出されるにあたって、お父様から与えられたものなど何もない。与えられたものと言えば、二度と戻ってくるなという絶縁の言葉だけだ。
わたしが、自分の力で得たものとい言えば、運良く拾ったレッドだけだ。
とても優秀な従者で、心の支えなのだから。
「いなくなったら困るわ。この先、どうやって安全な宿を探したり、燻製を作ったりすればいいのよ。廉価版の魔法鞄しかないんだから、荷物番だって必要よ」
「それは……クロスたちがいれば何とかなるだろ」
「その後はどうするのよっ!! お祖父様のお屋敷に着いた、その後!」
ちょっと苛ついて声を荒げてしまった。
「じいさんちにだって、メイドの一人や二人はいるだろ。オレがいなくたって……大丈夫だと思ったから……その……」
後半はごにょごにょと誤魔化された。
「わたしがメイド嫌いなの知ってるよね」
フィレーナお母様が存命だった頃のメイドは、すぐにイーリースお継母様に解雇されてしまった。
残ったのは、イーリースお継母様の手先である、わたしに敵意しか向けてこないメイドたちだった。
彼女たちに頭を下げて、残り物をもらってまで食いつながなければならなかった屈辱は一生忘れないし、その食べ物に毒が入っていたことも、一度や二度ではなかったことは死んでも忘れない。
意地の悪い彼女たちは、夏場の洗濯は自分たちでやるくせに、冬場の洗濯は全部わたしに押しつけた。同じように、夏場のかまどの火の番はわたしの仕事だったし、冬場の洗い物もわたしの仕事だった。
それらは、わたしが伯爵家の出身であることを明かしたときに、レッドには話してある。おかげで毒耐性がついた話と、並のメイド以上に生活魔法が上達した話として。
「わたし、物持ちはいいほうなの。自分の持ち物を簡単に捨てたりはしないわ」
一度、袖を通したドレスは二度と着ない、と豪語するような身分の令嬢ではないのだ。
「……アリアは燻製の作り方だって知ってるだろ」
それでもレッドは食い下がる。
どうしても、自分が拙いことを言ったのだと認められないようだった。
「知ってるわ。でも、釣りは苦手だもの。レッドが尻尾で釣ってきてくれなくちゃ」
「尻尾じゃ魚は釣れねえんだよ。いつまで引っ張るんだよその話……。あれはおとぎ話だって言っただろ……」
結局、先に折れたのはわたしのほうだった。
(使えない奴隷は捨てられる——それが常識だものね)
十分な働きをしてくれた従者には、恩給をもって報いる——そのような風習、存在することも知らないのだろう。
自分に、道具として以上の価値を認められないのは、生まれついての奴隷だから仕方がないのかもしれない。
(時間をかけて教育していくしかないわね)
怯えずに生きていられるだけ——そういう環境で育っただけ、レッドはマシなほうなのだ。何年か前に出会った片耳エルフの少年は、奴隷市で捨て値で売買された挙げ句、酷い目に遭っていた。
(シアン……今どうしてるかな……?)
元気にしているといいのだけれど。
「それなら、代わりにもう一つ約束して」
言ってしまってから、軽く自己嫌悪に陥る。
こうやって、何かある度に条件を追加していくのは、上に立つ人間としてやってはいけないことだ。
「あ……ああ。それで、怒るのやめてくれるなら」
一方で、レッドは馬鹿の一つ覚えみたいに、わたしの出す条件を内容を聞く前から呑む気でいる。
「今度、この前みたいな襲撃に遭っても、わたしはあなたに命令しない。契約魔法で縛ったりしない。逃げたくなったら逃げなさい」
「絶対嫌だ」
「でしょうね。そう言うと思ったから、これは約束してほしい内容ではありません」
「お……おう?」
「わたしは契約魔法で命令しないから、膝をついたり、立てなくなったらそれで終わりよ。呪いの強制力は効かないから、あなたの体力が尽きたら、そこでお終い。あなたは死んで、わたしも死ぬ」
「……それは……次は絶対負けるなっていう意味か?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言えるわ」
「どっちだよ」
なんだか、レッドの突っ込みがおかしくて笑ってしまった。
「勝てればいいけれど、勝てなければ——もう駄目だと思ったら、そのときは一緒に死んでほしい」
「よかったな、馬鹿猫」
クロスがレッドの背を叩いて言った。
揶揄でも何でもなく、ごく普通に「合格おめでとう」とでも言う調子で。
ああ——この人は、従者にとって主人に殉死を認められることが、どれだけ名誉なことか知っているのだ。
「これで奴隷じゃなく、一人前の従者になれるな」
「ああ……?」
レッドは、やはりよく理解していない。
喜ばしいことなのか否かという以前に、何を当たり前のことを言っているのだろうという顔をしている。
「オレはアリアより後に死ぬつもりはねえよ?」
「後先じゃなくて……」
飽きてきたのか、クロスが懐から魔法書を取り出して読み始めた。
「もしも、どうしても——どうしようもなくて、わたしが殺されるような状況になったら、最期の瞬間は一緒にいてほしい。……道連れになって一緒に死んでほしいと言っているのよ。本当に約束できるの?」
レッドが、嬉しそうに笑った。
「そういうことなら、任せろ。オレじゃあ役不足かもしんねえけど、お姫様の騎士として最後まで付き従うぜ」
「わかったわ。約束してくれるなら、全て赦します」
「絶対、約束する」
魔力は使っていない。この言葉には強制力も何もない。ただの口約束だ。
おままごとかもしれない。
けれど、何か保障のようなものが欲しかった。
死ぬときは一緒だという約束をしておけば、一人で死に急いだりはしないだろう。変な魔法に手を出して、今みたいに病みついてしまうことも防げるはずだ。呪いが原因で別れを切り出されることもなくなる。
わたしはもう一度、鑑別石の表面に羅列されている履歴情報に目をやった。
魔素中毒が解消された記述は——ある。
(これなら、レッドに対して魔力を乗せた契約魔法を発しても大丈夫ね)
確かに、奴隷の主従関係が契約魔法と、非魔法である人心掌握で成り立っているなら、契約魔法のほうが効力は強い。
なにしろ、魔法なのだから。
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