74.呪いを解く
「この馬鹿猫が、」
唐突に別れを切り出したレッドの頭を、呆れたようにクロスが叩いた。
「いてっ」
「これだから素人は」
クロスがため息をつきながら言った。
「アリア、その馬鹿猫に赦すと言ってやれ」
「え……?」
許すと言ったら、レッドは商会に帰ってしまうのではないだろうか。
それは嫌だ。わたしの我が儘だけれど、それだけは……。
「ジョブ特性による魔法の中でも、奴隷の契約魔法にまつわるものは、発動条件がはっきりしなくて面倒くさいものが多い。起源は東大陸の小国だとも言われているが——今では各地に根付いているから、発祥を議論しても無意味だな——共通しているのは、多分に言葉を媒介としているところだ」
なんか、急に魔法学講義が始まった。
「奴隷にとって、主人の言葉は全て呪いになり得る。奴隷の間ではそう伝えられているそうだな、レッド」
ああ、とレッドがうなずいた。
「契約魔法による隷属は、魔力を媒介とした命令だ。強い語調で命じても、そこに魔力が乗っていなければ効果を発揮しない。——これはアリアも理解できるな」
うん、とわたしもうなずいた。契約魔法の書き換えのときに、そう説明を受けた。
「それなら、魔力が乗っていない言葉が命令か否か、そこはどう判断する?」
はいレッド、と生徒を指名するように、回答を求める矛先がレッドに向いた。
「……なんとなく、かな。魔力が乗っていてもいなくても、アリアが言うならオレは従うぜ。アリアは全然、魔法を使って命令してこないからな」
「したくないもの……」
あのときだって、レッドに言われて仕方なく戦うことを命じたけれど、今では後悔している。
……同じ戦ってもらうにしても、魔力を使った命令ではなく、ただの「お願い」にしておけばよかった。そうすれば、レッドは逃げたいと思ったときに逃げられた。力尽きたら、そこで終わりにできたのだ。
レッドが死力を尽くして戦って、それでも切り抜けられなかったら、わたしも一蓮托生だけれど、今ではそのほうがよかったのかもしれないと思っている。
何度も致命傷を負わせて、死の恐怖を味わわせて、魔素中毒にさせて——その上、呪いまで与えた。
それくらいなら、レッドが膝をついたときに、すぐに終わりにさせてあげればよかった。
わたしを狙った刺客なのに、巻き添えにして申し訳ないけれど、わたしも一緒に死ぬから許してほしい。
イーリースお継母様に負けるのは悔しいけれど、一人で逝くのでなければ寂しくはなかっただろう。
「つまり、魔力が乗っていないただの会話でも、相手の行動をコントロールすることが可能だということだ。たとえば、契約魔法がない状態での奴隷契約を想像してみろ。どうやって奴隷に言うことを聞かせる?」
それは、魔法以外の方法で強制するしかない。
腕力だったり、賃金や衣食住だったり——あるいは人質という方法もある。
「わかったわ……人心掌握術の一つね」
契約魔法による命令は、魔法による強制的な命令だけれど、魔法を使わずに命令するには、相手の心を掴んでおく必要がある。明らかな命令口調で命じなくても、普通に“お願い”するだけで言うことを聞いてくれる状態だ。
相手に拒否権があるのなら、それはもう奴隷ではなく、普通の従者と言えるだろう。
「人心掌握くらいなら可愛いものだ。商人も政治家も、非魔法使いは無意識にやっている。ただこれを学問として突き詰めてゆくと、暗示や洗脳というものになる」
「魔法の?」
世の中には、契約魔法よりも強く服従を強いる魔法や、本人の意思を奪ったり書き換えたりする類いの魔法も存在する。どれも非人道的として、普段はお目にかかることはない。
「いや、非魔法使いの学問だと言っただろう。オレも専門ではないが、魔法使いを目指した非魔法使いの歴史として、断片的にだが残っている。魔力を使わずして対象を従属させる方法の研究論だ」
「非魔法使いって、変わった研究をするのね」
魔法使いを目指した非魔法使いとか、なんだか舌を噛みそうだわ。
「まあ、帝王学や兵法——それらとも全く無関係ではないからな」
クロス曰く、生まれては消えていった数々の宗教団体の歴史を紐解くと、この手の洗脳手法が用いられていた痕跡が見つかることがあるそうだ。
「推測するに、東大陸に伝わる魔法と、これらの洗脳研究と、契約魔法が入り交じった結果が、奴隷の間で“呪い”と言われているものの正体だ。主人の言葉が呪いにもなり得るというのは、そういうことだろう」
「よくわかんねえ。眠たくなってきたし、疲れた」
レッドが言い放って、ぼすんと枕に頭を沈めた。
「難しいことはよくわかんねえけど、どうせ呪いは解けないんだろ? もういいよ」
「そうだな。言葉を媒介とした呪いの解呪は難しい。呪符や魔道具を媒介とするものと比べて、具体的に呪印や魔法陣が残るわけではないからな」
固く結ばれた紐の結び目が、紐の素材や太さによって解きやすかったり、解きにくかったりするのと同じようなものだ。
「ほらみろ」
すっかり、ふて寝のようになってしまったレッドだった。
「だが、解呪は無理でも上書きして無効化することはできるぞ」
「本当か!」
クロスの一言で、がばっと勢いよく飛び起きた。
「だからアリアに“赦す”と言えと言ったんだ。奴隷の契約魔法に関しては、権限は主人が一番上だ。主人であるアリアが、この馬鹿猫がやったこと——自分で呪いを生み出して自分自身に掛けたこと、契約魔法を悪用したこと、」
「悪用はしてねぇよ」
「なら私的流用とでも言い直すか? ——それらを全部なかったことにして赦すと断言するならば、呪いは効力を失うだろう」
レッドが、期待した顔でわたしを見た。
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