7.蹂躙②
(レッド……最初から全開で行くなんて……)
いつもなら、耳と尻尾しか出ていない――それこそ、人間が作り物の猫耳をつけましたと言っても通用するくらい――なのに、半獣化して顔つきまで変わってしまっている。
瞳孔は完全に猫の目になっているし、犬歯もいっそう鋭く伸び、もはや八重歯と言えるような可愛いものではない。両手の爪も、ダガーを握るのが困難なくらいには伸びているだろう。
レッドが半獣化した姿を見せるのは、採取の帰りに運悪く大型の魔獣と遭遇したとき以来だ。
――全く、余裕がないのだろう。
こんなとき、せめて自分がテイマーだったならと思う。
自分の中途半端な能力が憎い。
大きくて強い魔獣を従えるような力はなくてもいい。せめて、小さな鳥の一羽だけでも、スライムの一匹だけでも操る力があったなら……
(クチバシで、盗賊の目玉をえぐってやるのに!)
賊が態勢を立て直してきた。
レッドが全力で応戦しているが、やはり正面切って戦うのは辛そうだ。
対人戦闘に慣れた盗賊から、叩き殺す勢いで連撃を喰らえば、どうしても力負けしてしまう。
得意のヒットアンドウェイ方式で戦っていても、敵に与えるダメージよりも、受けるダメージと疲労の蓄積のほうが激しい。
圧倒的なレベル差、クラス差、絶対的な実戦経験の差が徐々に表れ始めている。
「――ッ!」
猛禽の目が、レッドが斬られた瞬間を捉えた。
レッドは飛び下がって致命傷を避けるが、追撃が来て正面から刺される。
「――レッド!!」
わたしは、思わず叫んだ口元を押さえて悲鳴を殺した。
いきなり何もないタイミングで叫んだりしたら、他の乗客たちから怪しまれる。
それでも猛禽の目を通じた外の光景は、とめどなく視界に送られてくる。
レッドが、体に刺さった賊の長剣をつかんでニヤリと口角をつり上げた。
何かを察した賊が長剣を引き抜く。刃を握ったレッドの手のひらが切れて血が流れるが、本人はお構いなしだ。
こうなったら、わたしにできることは一つしかない。
剣が抜け切った瞬間、レッドに向かって最大出力の上級治癒魔法を放つ。
何一つまともに属性魔法が使えないわたしの、唯一の取り柄だ。
“魔力量だけは多いけれど、無属性魔法しか使えない”
“中途半端な片目スキルしか使えない”
そんなわたしが、唯一安全に習得できたのは、治癒魔法だけだったのだ。
馬鹿の一つ覚えのように極めまくった結果、治癒魔法だけは最上級まで習得した。
引き抜かれた剣が再び振りかぶられるまでの一瞬、それだけあれば十分だった。
レッドが地を蹴り、相手の懐に向かって突っ込む。
時が巻き戻ったかのように、刺されたレッドの傷口が塞がり、流れ出ていた血が止まる。
同時に、賊の首筋からは鮮血が吹き上がっていた。
両手に握っていたダガーは、どこで取り落としたのか、いつの間にか失っていた。
代わりに賊の血に濡れているのは、彼自身の鋭く尖った爪だった。
(あいつったら……!)
レッドは、わたしが治癒魔法を飛ばすのを見越して、防御を捨てた。
どれだけダメージを負っても構わないから、敵に致命傷を与えることだけを考えている。
回復役への信頼がなければ、絶対にできない戦法だった。
嫌な信頼だ。
けれど、そうでもしなければ勝てないのだ。
治癒魔法しか取り柄のない魔法使いと、小さな爪牙しか持たない猫族シーフの組み合わせでは、取れる戦法は限られている。
最初からわかっていた。
レッドに尋常でない負担がかかることも、わたしがどれだけ凄惨な光景を見続ける羽目になるのかも――。
わかっていて、レッドもわたしも抗うことを選んだのだ。
“――アリア、気をつけろ!”
猛禽の目が、レッドが何事か叫ぶのをとらえた。
声なき声が聞こえた。
回復役がいることに気付いた賊が、馬車に取りついて揺さぶり始めた。
乗客から恐怖の悲鳴が上がる。
馬は全て、襲撃が始まってすぐに馬車から切り離されてどこかへやられてしまった。機動力を失った馬車は、もはや大きな棺桶にも等しい。
「回復役を殺せ!」
「全員引きずり出せ!」
「皆殺しにしろ!」
けれど、馬車は薄く結界に包まれていて、幌が破れた場所からさえも、誰も何も突き通すことができない。
剣や斧などの武器は通らず、中の人間を引きずり出すことはおろか、手を触れることもできない。
(こうなったら根比べだ――)
結界の一枚一枚は弱いけれど、可能な限り重ね掛けしてある。
一枚破られたら、即座に一枚張り直す。
その合間には、何度もレッドに治癒魔法を放った。
尋常でない魔力量だからこそ、できる技だ。“化け物”と呼ばれたこの魔力量にも、今だけは感謝してもいい。
これで結界が持ち堪えている間に、レッドが賊を制圧してくれたら、わたしたちの勝ちだ。この場を、切り抜けられるかもしれない。
乗り合わせた乗客たちは、恐怖に震えて動くこともままならない。
自分たちの中の誰かが魔法結界を張っているのだと、何とは無しに気づいていても、それが誰であるかを詮索する気力はないようだった。
わたしにとっては好都合だった。
話しかけられたら集中が途切れる。
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