48.半獣化
「アリア……そこに……いるのか……?」
「レッド、気がついた?」
すぐに枕元から顔を覗き込んで声をかけた。
「大丈……夫……か……?」
レッドが手を伸ばす。
「大丈夫。ここは安全だよ」
伸ばされた手を取って握りしめるが、猫の爪が出ている。尖った爪の先がわずかに肌を傷付けるが、気がつかない振りをした。
「悪ぃ……迷惑……かけて……」
「迷惑なんかじゃないよ。レッドは頑張った……すごく、すごく頑張ってくれたんだもの」
何回も死ぬ寸前まで、戦ってくれた。
「だから、少し休んでもいいんだよ」
レッドが黙り込んでしまった。
少し話すだけでも疲れるのかもしれない。
代わりにわたしが話した。
「やっぱり治癒魔法の掛け過ぎだったんだよ。少し休めば、よくなるから。わたしは大丈夫だから、心配しないで休んで……眠っていいんだよ」
ぎゅ、と握った手に力が込められた。放すまいとでもするように、力を込め、さらには反対の手も伸ばして両手でわたしの手を握りしめる。
両手とも猫の爪が長く出ていて、握られれば握られるほど、わたしの手に食い込んだ。
けれどわたしは、レッドの手を振りほどこうとは思えなかった。
「アリア……捨てないで……オレ、もっと頑張るから……もっと……」
完全に譫言である。
普段なら、口が悪くて気が強くて、曲がり形にも主人であるわたしに対して礼の一つも取らないような生意気な少年が、捨てないで欲しいなどと殊勝なことを言うはずがない。
「大丈夫、捨てないよ。返品もしない。レッドがいないとこの先、わたしが困るんだから」
早く元気になりなさい、よくなるまで傍にいるから、という気持ちを込めて頭をなでる。
犬猫種の獣人は特に、頭をなでられるのを好むのだ。レッドもそうなので、ご褒美としてよくなでてあげる。
「ん……」
触れた頭も額も、握った両手も、熱かった。
少しも、熱が下がっていない。
わたしは一晩中、レッドの傍にいた。
玉子焼きは隣のベッドサイドで冷たくなっていた。
食欲なんて、もうなかった。
二人が何を言っても、頑として何も口に入れる気はなかった。
食べたら眠ってしまうのはわかっている。
うるさく言われて、やっと水だけ一口飲んだ。レッドにも水を……と起こしたときには、ある事実に気づいて愕然とした。
(やっぱり……)
半獣化が制御できていないのだ。
こちらを見たレッドの目は、人間と猫の虹彩が定まらずに、代わる代わるに表れていた。これでは視点が定まらないだろう。
どうりで“そこにいるのか”などと言うわけだ。
「レッド、その目は……」
「悪ぃ……制御できねえ……し、よく見えない」
「謝ることないよ。体調悪いんだから、仕方がないよ」
「でも、気持ち悪い……だろ……」
これは獣人の習性のようなものだ。
長年、人間から“半分獣で半分人間の化け物”として疎まれ続けた結果、獣人族の者はたいがい自分の容姿を卑下している。
獣の側面が多く出れば、気味悪がられると思っているのだ。
「平気だよ。レッドの猫目、気持ち悪いと思ったことなんかないよ。どちらかと言ったら、金色できれいだと思うわ」
本当に、レッドの目と同じように光る金色の宝石があることを、わたしは知っている。
「……」
「わたしはレッドの目、好きよ」
両目とも同じ色だというだけで素晴らしい。
意思が強そうな性格が良く表れているところも、好ましいと思う。
「やるよ……」
「なぁに?」
「アリアになら、全部やる。オレは他に何も持ってないから……」
再び意識を失ったように眠る寸前、レッドは言った。
欲しければ抉って持っていっても構わない、と。
身体と命の他には、あげられるものを何も持ち合わせていないから、と。
馬鹿な奴隷だ。
ほんの少し優しくされて、今までよりマシな待遇を与えられただけで、すぐに命までかけて忠誠を誓う。
なんて馬鹿なのだろうとわたしは傍らで涙した。
(何も持っていないのは、わたしのほうよ……)
だから人間は嫌いなのだ。
獣人がこんなふうに偏った思考に陥るまで、劣悪な環境で使い続けたのだから。
レッドには、猫族の獣人としての十分な身体能力がある。
今は臥せっているけれど、過酷な環境を生き延びたせいで、他の一般的な猫族と比べて身体能力は高いはずだ。
獣人は総じて直接戦闘特化型が多いから魔法は得意ではない。
(それでもレッドは、ちゃんと属性魔法が使える)
魔力量は少ないし、威力も弱いけれど、それは獣人なら普通のことだ。
(そう――“普通”なのだ)
猫族の獣人として欠けたところはなく、魔力があって、属性がある。身分は奴隷だけれど、獣人奴隷の中では“普通”どころか秀でている部類に入るだろう。
(それに対してわたしは――)
出自こそ伯爵家だけれど、非嫡出子以下の扱いだ。
今どき、平民の隠し子でも、最低限の人権は認められている。
(だって、普通の人間だから)
普通に魔力があって、属性魔法が使えて、普通の人間の色彩をしているから。
亜人種の色彩をしていて、普通に誰もが持っているはずの属性がなくて、属性魔法が使えないわたしは、人並みの権利さえ認められない。
魔力量は桁違いに多いし、右目の特殊スキルのようなものもあるけれど、普通の人間とは言えない。
右目の色が違うことがバレれば、ハーフエルフとして迫害される。
冒険者ギルドで採取の依頼を受けることも難しいだろう。
わたしが寄宿学校を抜け出すために真っ先に覚えたのは、装身魔法だった。
これは生活魔法と無属性魔法の中間の魔法で、属性がなくても使うことができた。
そもそも、寄宿学校の図書室にそれ系の魔法書が置いてあったことからも、たいした魔法ではないことがわかる。
もともと、髪や瞳の色を変えたり、簡単に爪に色をつけたりするような、美容系の魔法なのだ。
女の子が手軽に髪を巻くために習得したがる、お洒落魔法だ。
教本の通りにやれば誰でも髪形や髪色を変えることができる。
もちろん、持続時間や強度は本人の技量や魔力次第だけれど、校内で女性徒が練習していてもおかしくはない類の魔法だった。
顔と体形まで変えられるよう改良できたのも、蔵書にお手本にできる美容系の書籍が多くて、なおかつ属性魔法ではなかったからだ。
何も持っていなくて人間として人並み以下なのは、わたしのほうだ。
わたしには、レッドの忠誠心に対して、返せるものが何もない。
もしも、今より好待遇の契約を結んでくれる主人と出会えたなら、レッドはわたしのことなど忘れるだろう。
捨てられるのは、わたしのほうだ。
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