37.熱と氷
しばらくすると女将さんが水桶を持ってきてくれたので、お礼を言って受け取った。
わたしは手拭いを濡らそうとして、あることを思いついた。
生活魔法には、飲み物の温度を調整するための術式がある。
所詮は生活魔法なので、コップ一杯分くらいの水にしか効かないけれど、食事の際には重宝する。
常温の生温い水が、木陰の湧水のように冷たく美味しくなる。または、冬の寒い日に冷め切ってしまったスープを、人肌程度の温さに戻すことができる。
ということは、この手桶の中の水にその魔法をかければ、冷たい水ができるのではないだろうか?
生活魔法の場合は、属性魔法とは違って、その場にあるものにしか作用しない。
属性魔法では、水や氷などを転移や錬成などの術式を使って出現させることができるけれど、生活魔法にはそこまで複雑な術式は存在しない。
その場にあるものに、一手間加えるくらいのことしかできないのだ。
今、水は目の前にある。
(この桶の水を、雪解け水くらいにまで冷やせたら……)
考えてみたけれど、生活魔法にそんな術式は存在しなかった。料理スキル寄りの生活魔法の中にも、冷やす魔法は存在しない。
温度操作の魔法は中級以上に分類されていたから、わたしがギルドで見た魔法書には載っていなかったし、使っている人を見たこともなかった。
たとえ見ることができても、わたしは属性魔法が使えないから体現ができない。生活魔法の中でも、属性に偏りがある魔法はどちらかというと苦手だ。
でも、試してみる価値はある。
魔力なら腐るほどあるのだ。
とりあえず、回数を重ねれば少しは冷えるだろうか……?
わたしは手桶をサイドテーブルに置き、お冷やの魔法をかけようとした。コップのように両手で桶を包み、冷えろと術式を念じるが、水の量が多いためか、なかなか冷えない。
魔法は発動しているけれど、せいぜい“汲みたての井戸水”程度の温度だろう。桶から冷気を感じられない。
(魔力移譲のときみたいに、出力を上げたらどうだろう? ……ああ、生活魔法は駄目ね)
生活魔法の術式は、安全のため、改変できないように組まれている。
使われている言語も、現代魔法語のため、わたしには理解できないところが多々ある。
恩寵の右目は、古代語や古代魔法語のように古いものはよく翻訳してくれるけれど、現代魔法語には反応しない。
自力で読める範囲しか理解できないのだ。
「何をしている?」
悩んでいると、クロスさんが気づいて問いかけてきた。
「この水を冷たくできないかと……」
「生活魔法でか? この量では、仮にできたとしても時間がかかりすぎる。魔力消費も効率が悪い」
そう言ってクロスさんが桶に手をかざすと、そこに氷の塊が数個、出現して水の中に落ちた。
「アイスバレットの極小弾を、威力を抑えて無力化したものだ。属性魔法は攻撃に使うだけじゃない。ギルドでは教えないだろうがな」
「あ……ありがとう」
ギルドで教えていないのは、中級魔法を使える人自体が少ないからだ。中級の中でも、四属性以外の属性を使える人はさらに少ない。
(本当にこの人、いくつ属性を持っているの……?)
普通は一つ。多くても二つだと言われている。
でも、この魔法使いは風魔法と火魔法を使い、土魔法も使ったと言っていた。
そして今、目の前で氷属性の魔法を披露した。
それも、かなり自己流にアレンジしたものを。
お礼を言っても、なんだか素直に喜べなかった。
そんな多属性を見せられたら、属性のない自分が余計に惨めになる。
(お父様が驚くような属性魔法が使えていたら、右目が紅玉色でも嫌われなかったかな……?)
こんなふうに、辺境行きを命じられたりしなかっただろうか?
こんなふうに、レッドを苦しめなくても済んだだろうか――?
水桶の水には、情けない顔をしたハーフエルフの少女が映っていた。
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