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【不遇令嬢はエルフになりたい】〜介護要員として辺境の祖父の屋敷で働くよう命じられたが、ざまぁする間もなく実家が没落した件〜  作者: 一富士 眞冬
第1章

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36.宿

 急いで馬を走らせたため、なんとか門扉が閉まる前に村にたどり着くことができた。

 病人を、ものすごく揺らしながら運ぶことになったけれど、仕方がなかった。夜が更けると、安全のために村の門が閉ざされてしまう。わたしも、慣れない馬に揺られて気分が悪かったけれど、文句は言えない。

 王都や王城と違って、夜間も交代で見張りが立つわけではないので、閉まってしまったら野宿しかないのだ。


 村の中に入って、さらに急いで宿屋を探したけれど、小さな村には簡素な宿が一軒あるだけだった。

 主に行商人が利用するという、食堂や酒場が併設されていない安宿だ。

 ちょうど行商人が泊まっていて、空き部屋は二部屋だけだった。特に混雑しているわけではなく、もとから部屋数が少ないようだ。


「その二部屋でいい。あと、表の馬を(うまや)に入れておいてほしい」

 残っていた二部屋をさっさと取り、宿の女将さんに部屋まで案内させる。老夫婦が二人だけで経営しているようで、馬はご主人が引き取りに行った。

 そんなやり取りを、てきぱきとリオンさんが一人で行ってくれて、宿帳には冒険者パーティー一行としてサインまでしてくれた。

 本当はパーティーを組んでいるわけではないけれど、手続きを簡略化するために上手く誤魔化してくれている。

 レッドのことは、舌打ちしながらもクロスさんが背負ってくれた。


(この二人がいてくれてよかった……)


 わたし一人だったら、意識のないレッドを運ぶことはできなかったし、ここまで迅速に宿を取ることができなかっただろう。

 やはり旅慣れた冒険者は違うものだ。


「それと、仲間が熱を出して弱っているんだ。後で水桶と手拭いを持ってきてもらえないかな?」

「どうしたんだい?」

 女将さんが、ぐったりした様子のレッドを心配そうに見やった。

「仲間が疲労で倒れてしまって」

「おやおや、そりゃあ大変だねえ。この村には、薬師(くすし)はいるけど治癒魔法を使えるような回復術師はいないんだよ。大怪我でもしたらお手上げさあ」

「ありがとう女将。でも大丈夫だよ、休めば治るだろうし、俺たちのパーティーの魔法使いは優秀だから」

 二階の部屋まで、益体(やくたい)もない会話をしながら、ぞろぞろと列をなして狭い階段を上がった。


 部屋に入って、目に付いた寝台にレッドを下ろす。

 クロスさんが再びレッドの額に手をやって熱を計ってくれているけれど、相変わらずの(あつ)さらしい。少しの間、背負っていただけなのに、ずいぶんと背中から伝わる温度が高かったと言った。

「こいつ、普段から体温高いほうか?」

 正直、よくわからない。

「レッドの手はいつも温かかったわ」

 本物の猫の肉球よりもずっと――なんて言い方をしたら、レッドは怒るだろうか。その辺の野良猫と比べんじゃねえよ、って。

 少し汗で湿った、ガサガサの手。

 でも指先は意外とキレイで。

(レッドはとても器用なのよ)

 道具さえあれば、その指でどんな鍵だって開けてしまう。


 他の人の手の温度なんて、知らない。

 わたしを平手打ちしてきたシャーリーンの手のひらは、冷たかった。

 寄宿学校で、わたしの胸倉を掴んできた少年の手は、傷もなくスベスベできれいだったけれど、熱くはなかった。

 わたしを自習室という名の反省房に叩き込んだ教師の手は、大きかったけれど、少しも洗練されてはいなかった。反省房の小さな鍵をかけるだけの作業に、笑いたくなるほど懸命だった。


 その反省房の鍵は、レッドに教わった方法で簡単に開いた。


 ――ああ、思い出した。

 お兄様の手は、優しくて温かかった。

 思い出の中の両親の手は、大きくて温かかった。

 お兄様がくれたお菓子の包みには、お兄様自身の体温が移っていて、ほんのりと温かかったことも思い出した。


(でも、わたしはレッドの手が一番好きかな)

ここまでお読みくださってありがとうございます。

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