3.出会い①
猫を拾った。
と言うと、いささか語弊があるかもしれないけれど、地面に転がっていたのを拾ったのは事実だ。
冒険者街を歩いていたら、ある盗賊ギルドが拠点にしているらしい酒場から、少年が一人、蹴り出されて石畳に叩きつけられた。
赤ら顔の酔った男が、少年に唾を吐きかけながら怒鳴る。
「てめぇはもう用済みなんだよ! わかったらさっさと出て行きやがれ! こンのクソ畜生めが!」
「そんなこと言わないでくれよ、リーダー! オレはまだやれるって! 鍵開けだって誰より速いし、ダンジョンでミミックを見分けられるのオレだけだろっ!?」
リーダーと呼ばれた男の仲間たちが後ろからやってきて、ゲラゲラと笑いながら口汚く罵り、追い討ちをかける。
全員、もれなく酔っていた。
「たとえそうだとしても、脚をやられたシーフなんざ、何の役にも立たねえんだよ!」
「こんなの、すぐ治るって! ──オレ、契約切られたら明日からどうやってメシ食ってったらいいんだよ!?」
ああ、蓄えがないんだな……と他人事のように思った。
奴隷なんてそんなものだろう。
「知るか! 勝手にのたれ死ね!」
吐き捨てる男に、なおも食い下がろうとした少年は、ふらふらと立ち上がって一歩を踏み出した。
酒場の入り口を陣取る、男のほうを目指して。
「ほら、オレまだちゃんと歩けるし! もう少ししたら完全に治るから!!」
「しつけぇんだよ!!」
治るわけがない。
あれは骨が折れているだろう。
治癒術者でもない素人の目にも明らかだ。
高価格帯の魔法薬でも使えば完治するだろうが、亜人種の奴隷の少年が、それらを与えられるはずもない。
エルフのような希少種だったらわからないが、獣人族は数が多い。
いくらでも替えがいるから、扱いも雑だ。
自然治癒したところで、障害は残るだろう。怪我をする前と同じようには、走ったり跳んだりはできないはずだ。
「畜生めがっ! 今まで使ってやっただけありがたいと思え!」
リーダーの男が、立ち上がった少年に駆け寄って、傷めているほうの脚を蹴りつけた。
「くはっ……!」
少年は痛みに声を上げることもできず倒れ、のたうち回った。
酔っ払いたちが、それを面白がってさらに蹴りを加え、取り囲んで嘲笑っていた。
亜人種が虐待される光景なんて、よくあることだ。
誰も気に留めないし、助けようともしない。
だって、普通のことだから。
でもわたしは、気付くとそのリンチ集団に近寄って話しかけていた。
「──ねえ貴方たち、それ、いらないの?」
指さしたのは、石畳に横たわる猫族の少年。
最早、ほぼボロ雑巾のような物体。
「ああン?」
突然、無関係な人間に水を差されて気色ばむ男。
だがそれが、若く美しい女だとわかると急に態度が変わる。
それはそうだろう。
今のわたしは、妙齢の美女に見えるはずだ。
アトリエの近くで働いているお姉さんたちの容姿を真似て、黒髪のミステリアスな美人を作り出したのだから。
装身魔法の一種、いわゆる変身魔法である。
冒険者街に出入りするときは、だいたいこの姿だ。
気の強そうな、大人の女のフリをする。
十代の小娘だと、舐められるからね。
「ようネエチャン、一緒に呑まねえかい?」
こんなクズはほうっておいてさあ、と男が下卑た誘い文句を口にした。
「リーダー、やめとけ。その女は……」
仲間が小声で男に耳打ちする。
「いいわね。私も、一緒に飲んでくれる人を探していたのよ」
わたしは無表情で言ってのけ、紫色の液体が入った小瓶を取り出した。
「できたばかりの毒薬よ。新しい調合法を試してみたから、効果を検証したいと思っていたの」
「その女は、毒蜘蛛の魔女──ブラック・ウィドウっていう、稀代の毒薬使いっすよ」
男の仲間が、うんざりと告げる。
魔力を込めると、小瓶の中の液体が泡立って蠢めいた。
わたし──というかアイリスを口説こうとしていた男の顔が、一瞬で凍りついた。にやけた赤ら顔が、中途半端な真顔で固まる。
アイリス──この、ミステリアスな黒髪美人の姿の名前だ。
アイリスは、調合した薬品を冒険者ギルドに納品することで収入を得ている。
毒薬も解毒薬も作るが、回復薬や簡単な化粧品の類いも作っている。
決して、アトリエが花街の近くにあるからといって、お姉さんたちと同じ商売をしているわけではない。
時々、薬草や化粧品を分けてあげるから、花街のお姉さんたちとは仲良しだけれど。
確かに、魔法使いの端くれであるから魔女と呼ばれるのは間違っていない。
けれど毒蜘蛛の魔女なんて不吉な二つ名で呼ばれるのは納得がいかない。
そもそも、目立ちたくないから黒っぽい地味な格好をして、地味な依頼だけを受けてひっそりと生きているのに、通り名をつけられて顔まで覚えられてしまうとは、不覚としか言いようがない。
(なによ、たかが毒蜘蛛のスタンピードを毒で一掃したくらいで)
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