23.魔法
「死体の山を放っておくと、屍肉目当てにまた新しい魔獣が来る。だが、炭にしてしまえば食い物とは認識されない」
クロスさんは、そう言って沼蜥蜴と魔獣と護衛たち――の成れの果ての山を示した。
話している間にも、リオンさんがせっせと魔獣を拾っては沼蜥蜴の周辺にまとめている。
「クロス、剥ぎ取りどうする?」
「蜥蜴だけでいいだろ。四足魔獣の魔石なんか、いくらにもならん」
「オッケー」
リオンさんは軽快に沼蜥蜴の死体にナイフを入れ始めた。
「……」
「ああ、あんたにも礼が必要だな」
衝撃的な光景に二の句が告げないでいると、何を勘違いしたのか目の前の魔法使いは、わたしにも礼を寄越すと言い始めた。
なので、慌てて否定した。
「いえ、わたしは何もしていないので結構です。むしろ、安全に通行できるようにしていただいて、こちらがお礼をしなければならないのに……」
「なら、魔力を分けてもらう礼として受け取ってくれ」
「……」
その、魔力を分けるとか譲るとかいう意味がわからなくて困っているのだけれど。
「魔力移譲とは何ですか? 申し訳ないのですが、わたしは本職の魔法使いではないので……」
だから冒険者は苦手なのだ。
みんな、攻撃用の属性魔法が使える前提で話してくるから。
無属性魔法と生活魔法しか使えない話をすると、とたんに距離を置かれる。
「そうなのか? 使用人と移動中ということは、それなりの家のお嬢さんだろう? 魔法学校くらいは出ているかと……」
そこへ、リオンさんが魔石を手に戻ってきた。
「はいっ、これ。ハイエナ魔獣の魔石だよ。使わせてしまった魔法薬の代金くらいにはなると思う」
「あ……ありがとうございます」
強引に手渡されてしまっては、受け取らないわけにはいかない。
「クロスの言ったことは気にしないで。あいつ、ただの魔学バカだから」
魔学バカとは、魔法学に傾倒しすぎていることを示す俗語だ。
ローランド寄宿学校には魔法課程がなかったから、魔学バカと呼ばれる人はいなかったけれど、類義語のネクラやガリ勉と呼ばれている人はならいたように思う。
わたしも模範的な学生生活を送っていたわけではないので(アイリスとして、しょっちゅう抜け出していたから)学内の序列や慣習にはあまり詳しくはない。
笑顔が素敵なこの剣士さんは、おそらくどこの学び舎にいても人気者だろう。簡単に人との距離を詰めてくるタイプの、異常にコミュニケーション能力が高い人種だ。
「クロス、誰でもお前と同じだけ魔法知識があると思うなよ? 魔力移譲なんて、普通、貴族学院の魔法課程でも習わないからなっ」
「そうか?」
「お前、授業中何聞いてたんだよ。よく卒業できたな」
「卒業……」
「卒業式典、出ただろ?」
「……出ていない」
えっ、とリオンさんがドン引きしていた。
この人は、表情が豊かで見ていて楽しい人だ。
「式典の日は確か、継続中の実験がちょうど佳境で、師匠と研究室にこもっていた。弟子何人かの交代制で三徹目だ」
「何の実験か聞いても……あ、やっぱやめとく」
「人工魔石精製」
人工魔石精製――錬金術方面の文献で見たことのある単語だ。
「何年か前の文献で、ごく小さな結晶を精製できたという記事を見たことがあります」
魔法使いギルドの、魔法学会ニュースの棚にあった古い新聞で読んだことを思い出したら、つい口から出ていた。
「それだ」
「ストップ! クロスは魔法の話をし始めると長くなるからやめろ。それより、アリアちゃんにもわかるように魔力移譲の説明をしてやれ」
「わかった。魔力移譲は、自分の魔力を他人に譲渡する技だ。術式はこれ」
クロスさんが左手の指先で、空中に文字を書くようにして魔法陣を幻出させた。
「この魔法陣で繋がっている部分から、魔力が流れる。今回は、この魔法陣をオレの手に転写しておくから、」
左手で、空中に投影されていた魔法陣を掴み取るように握りつぶす。――と、クロスさんの左手のひらに、さっき見た魔法陣が写し取られたように出現した。
「後は手を繋いで念じるだけでいい。詠唱はこちらで破棄するから必要ない」
「魔力吸収の一種かしら」
「バカなことを言うな。あれは攻撃魔法だ。そんなものを一般人相手に使うわけがないだろう!」
「一般人」ではない「冒険者」や敵対者相手だったら使うのね、と突っ込みたかったがやめておいた。
「そうそう。いくらクロスが魔学バカでも、その辺はちゃんとしてるから大丈夫だよ」
何がどう大丈夫なのかも説明してほしい。
「魔力移譲用の魔法陣にはリミッターが設定されているから、1エナ以上の魔力は流れない。ちなみに1エナというのは」
「1エナジー。小振りの魔石、一個分程度の魔力という意味ですよね」
「そうだ。よく知っているな。じゃあ始めよう」
クロスさんが、握手でもするようにわたしの左手を握った。
レッド以外とは手をつないだことがないがないから、少し変な感じだった。
寄宿学校に入ってからは、殴られる以外で人と触れ合った記憶がない。
実家のお屋敷には、まだお母様の記憶がある。わたしが「秘匿すべき化け物」になってしまう前のお父様との記憶がある。
お兄様はわたしのような「秘匿すべき化け物」にも優しくて、ときどきお菓子を手渡してくださった。その手の温かさを、今も覚えている。
おそらく、由緒正しい箱入りの貴族令嬢は、パーティーでのダンスやエスコートの場を除いて、見ず知らずの男性と手をつなぐ機会はない。
基本的に、未婚の男女が触れ合う機会はない。
学舎の中でもそれは同じで、身分が高ければ高いほど、その傾向が強い。
侍女を連れている者は侍女に、それ以外の者は平民の取り巻きに用事を頼んで、極力、男子生徒とは二人きりで会わないように気をつけている。
そのため、貴族出身のドラ息子がちょっかいを出すのは、たいていが身分の低い子女に対してだ。
平民の間では、触れ合いに関しては寛容だが、そのせいか逆に「手をつなぐ」という行為が、特別に親しい関係を示すらしかった。
それはダンスで手を握った程度のことでも問題になり、ある平民の女子生徒が、ダンスの練習で恋人以外の男子生徒と踊ったことで、ひどい罵り合いに発展していた。
花街近辺では別に珍しくもない単語の応酬だったが、貴族出身の女性はあからさまに眉をひそめて「はしたない」ことだと囁き合っていた。
ちなみにアトリエの近くでは、夕暮れ時になると、知り合いのお姉さんが毎日違う男性と腕を組んで歩いているのを見かけた。
異性にいきなり手を握られて、一瞬、どの反応をするべきかと考えたが――結局「クロスさんて左利きなのね」以上の感想が浮かんでこなかった。
次の瞬間、つないだ手のひらが熱くなり、勢いよく魔力が動いたのがわかった。
「よし。詠唱破棄、ファイアバースト!」
クロスさんが右手を沼蜥蜴とその他を寄せ集めたの小山に向かって振りかざした。
ファイアバーストは初級魔法「ファイア」の応用で、ファイアを連続で打ち出す技だ。火力も消費魔力も中級まではいかないが、効率よく広範囲を焼ける。
初級魔法だけあって発動は簡単だが、使い手の練度に左右される技でもあるから、クロスさんなら結構な火力が期待できるはずだ。
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