212.エルフになりたい㉓七尖塔の女帝
「馬鹿が」
話を聞いたクロスは、そう言ってわたしの手からヘアピンを取り上げた。
「それでは修練にならないだろう」
まあ、せっかく自分が買い与えたものを不要とばかりに外されては、気分を害したとしても仕方がない。──などと思っていたら、こちらへ身を乗り出してきたクロスが、その手でわたしの頭へとヘアピンを付け直した。
(えっ──!?)
まさか、手ずから付け直されるとは想像もしていなかったので、これには少し驚いた。
もちろん、髪留めの飾り方などよくわかっていない男性のやることであり、元通りきれいに収まったわけではないけれど、わたしの前髪は再び横によけられて、右側の視界が明るくなった。
「その状態で、見たいものだけを見られるようにコントロールしろ。オレたち凡人程度の視力では、見えない者に見るための助言はできても、見え過ぎる者にそれを抑える術を教えることはできない。視力だけなら、お前は師匠と同等だろう。どうしてもコントロールできないというなら、師匠に助言を仰ぐしかない」
「お師匠様……七尖塔のエリン・メルローズ様……ですよね……」
助言を仰ぐのなら、会いに行くことになる。
寄り道をして、魔法学園に押し込まれてはたまらないので、会うのは避けたい。
「じ……自分で努力します……」
「いい子だ」
わたしがヘアピンを押さえて答えると、ポンポンと軽く頭に手を置かれた。馬の首を叩いて、なだめたり褒めたりするように。
これは、褒められているのだろうか……?
寄宿学校では、初等部のころに何度か見かけた行為だ。教員が、幼い生徒を褒めるときにしていた動作に似ている。
似ているとしか言えないのは、わたしには褒められた経験がなさすぎて、それが本当に“褒め”なのか冗談なのか、はたまた挨拶代わりの何かなのか、断言することができなかったからだ。
まあ、わたしは真面目に授業を受けていなかったから、褒められなかったのは自業自得だ。
(冒険者として生きるつもりだったから、必要最低限の単位しか取らなかったものね……)
貴族社会で生きるためのノウハウは、最低限でいい。
それよりも魔法薬学の勉強と素材の採取がしたかった。
一枚でも多く銅貨を多く稼ぐことしか考えていなかった。
身を入れて学業に取り組まない庶子──それも表立っては言えないが亜人種の生徒を、誰が褒めて可愛がるというのだろう。
そんな奇特な教育者はいない。
出来が悪く、後ろ盾のない出自の生徒に取り入っても益はないのだ。
「アリア!」
慣れない褒め方をされて呆然としていたけれど、レッドの呼びかけで我に返った。
「な、何? レッド」
一瞬、呆然としていたのを慌てて誤魔化す。
「ちょっと魔法を使ってみてくれないか」
「え?」
わたしが使える魔法は限られている。
治癒魔法、無属性魔法、生活魔法──それだけだ。
「えっと……どんな魔法?」
急に魔法を使ってみせろと言われても困る。
これが属性魔法を使える者なら、すぐに小さな水球や火球、氷などを作って披露することができる。
けれど無属性となると、バフ、デバフ、毒霧のように形がないものばかりなので、披露できるようなものがない。
「できれば、治癒魔法がいい」
わたしが悩んでいることを察したレッドは、そう言ってさっと自分の人差し指をくわえた。
「レッド!?」
そして止める間もなく、くわえた指にガリッと牙を立てた。
(痛っ!)
痛んだのはわたしの指ではないけれど、心の中で声を上げた。
皮膚が破れるブチッという音が聞こえたような気がして、思わず顔をしかめてしまった。
「これ、治癒魔法を使って治してくれよ」
レッドが無遠慮に差し出してきた指は、小さいが噛み傷が付いて皮膚が破れ、血が滲んでいる。
「何やってるのよ!?」
繊細な鍵開けの技術を必要とする盗賊が、自分から指先を傷付けてどうするのだ。
それでも、理由もなくレッドがこんな暴挙に出るとは思えない。
わたしはレッドが差し出した手を左手でつかみ、右手をかざして極小規模の治癒魔法をかけた。




