182.お風呂と石けん
「改装の際、小さいですが浴場を設けてあります。ヒト族の方がお泊まりになる場合、喜ばれますので」
宿屋の奥さんが言う。
「えっ! お風呂が付いているのですか!?」
「一般住宅ですので、小さな家族風呂ですが」
浴場──風呂というものは、設備に大層な金額が掛かるので、貴族か裕福な商人の屋敷か、あるいは高級な宿屋か特殊な宿屋、または町の公衆浴場にしかないというのが常識だった。
「お嬢さん、風呂が高級と言われるのは、魔石を大量に使うからですよ」
奥さんと旦那さんが、風呂の仕組みを説明してくれた。
「水を貯めるためには水の魔石、その水を適温まで温めるには大量の火の魔石が要る。普通はそれらを用意できる者しか、風呂を作ろうとは思わないものなあ」
貴族以外の者は、普段は川や井戸水で行水なのだ。
たまの贅沢として、共同浴場に行くくらいだろう。
冒険者の中には、旅の途中は浄化魔法だけで乗り切る者もいる。浄化魔法を使えない者のためには、浄化魔法が込められた魔道具が売られているくらいだ。
何回か使うと魔力が抜けて、ただのガラクタになってしまうような使い捨てのアイテムだけれど、公衆浴場の回数券よりは割安だから好まれている。
(そもそも回数券は、発行された公衆浴場でしか使えないから、旅先では利用できないしね……)
庶民も冒険者もだいたい、水浴びと公衆浴場の組み合わせか、浄化魔法と公衆浴場の組み合わせという者が多いはずである。
わたしは、浄化魔法と寄宿舎の共同浴場を組み合わせて利用していた。
寄宿舎も身分によって等級が分かれているから、貴族出身の生徒や、寄付金の多い生徒の部屋には、内風呂が備え付けられていた。
宿のご主人が言ったように、大量の水と火の魔石を工面できる者だけの特権だ。
が、そうではない生徒も寄宿学校には大勢いるため、共同浴場も設置されていた。
時間帯によっては、水しか出なかったり、水も出なかったりと、色々とトラブルも多かったけれど、川で行水よりはマシだった。
レッドはたぶん、行水と公衆浴場の組み合わせだろう。
奴隷商会の宿舎とやらに共同浴場があったのかどうか、そういう詳しい話は聞いていない。
それに、採取依頼や狩りで森に入って汚れたときや、獲物の解体で汚れたときは、必要に応じてわたしが浄化魔法を使っていたから、同格の冒険者よりは清潔だったはずだ。
(何より、わたしには石けんを生成する生活魔法があったもの)
貴族も平民も、石けんは店で購入するものと思っているけれど、実は材料さえあれば生活魔法で生成できる。
寄宿舎の浴場で水しか出ない日があっても、石けんがあれば髪をきれい保つことができた。
わたしは、髪用と体用に別々のレシピで作った石けんを用意して、こっそり使っていたのである。
材料は、食堂の廃油と森で採取した薬草が主だったから、売っている石けんよりもかなり安く作ることができた。
(ただし、薬草の配合割合には気を使ったけれど)
薬草の香りが強く残る配合にしてしまうと、庶民のくせに高級石けん(のような香りの強い石けん)を使っている者がいると噂になってしまう。
かといって、多少は香りのある薬草を入れないと、廃油の匂いが強く残る。
何度か実験して、最終的には適度な香りの廃油石けんを作れるようになったのだけれど、石けんはギルドで買い取ってはもらえないため、現金収入にはならなかった。
流通を大手商会が独占していて、許可なく売買することは違法なのだ。
香る薬草を入れ過ぎて、花の香りばかりが強くなってしまった石けんは、アトリエの近所のお姉さんたちに譲った。
お姉さんたちは商売柄、香りが強いほうが都合がいいと言って喜んで受け取ってくれたのだけれど、高級石けん並みの物を無料でもらっては申し訳ないと、対価を寄越そうとするから困った。
わたしが“売買は違法になってしまうから、現金は受け取れない”と言うと、代わりにたくさんのお菓子をくれた。
(ここなら、あのときの石けんを使っても大丈夫かな?)
香りが強い以外は問題はないので、自分用にも少しだけ取っておいたのだ。
浄化魔法は無味無臭で無味乾燥なため、自分で作った香り付きの石けんを使える機会は、楽しみだった。
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