148.二日酔いと魔力酔いと薬草①
つないでいた手を離し、馬を降りてからは四人ともバラバラに行動をしていた。
クロスを中心に魔物避けの結界が展開されているため、離れすぎなければ自由に行動できる。それぞれ、互いに目に付かない辺りまで行って、用を足して戻って来たところだった。
こういうとき、同行者が男性ばかりだと不便だけれど、冒険者というのこんなものだ。浄化魔法が使えないと、さらに不便なことになる。
見回すと、馬の側にはレッドがいた。
後ろに乗せてもらうのではなく、思いがけず自分で馬を操る機会を得られて嬉しいのか、進んで馬の世話をしていた。
何をしているかというと、道中で踏み潰したグリーンスライムの死骸を、丁寧に蹄鉄からこそげ落としていた。
「……あれは必要な作業なの?」
疑問に思ってリオンに尋いてみる。
「ああ。たまに再生する個体がいるから、取り除いておいてもらえると助かるよ。──あ、オレが命じたわけじゃないよ」
「いいのよ。たぶん、レッドが自分で始めたんだわ」
主人を乗せる馬だから、ということもあるのだろう。
乗馬スキルはなくとも、馬の世話だけなら手慣れていた。盗賊ギルドでも、散々やらされていたのだろう。
わたしは、基本的にレッドのことは放任しているので、あまり細かいことまでは指示しない。それでもレッドは必要なことをやってくれるし、余計なことはしないし、言わない。
おそらく、生まれつき要領がいいのだろう。それと、幼いころから盗賊ギルドで、大人たちに混じって鍛えられてきた成果でもあるはずだ。
このまま奴隷身分にしておくのは、もったいない人材だった。
(早くお金を貯めて、奴隷身分から解放してあげたいけれど……)
身分を買い戻せるほどの大金は、採取依頼だけで貯めることは難しい。毒薬使いのアイリスとしてなら、まとまった金額を稼ぐこともできなくはないけれど、あまり目立つと身の危険が生じる。
レッドには、空いている時間は自由にしていいから、自分自身を買い戻すためのお金を貯めるように言ってある。本人もそれはわかっているようで、普段から節約に勤しんだり、狩りをして小銭を稼いだりしているようだ。
けれど所詮、小銭は小銭なのだった。
わたしは、レッドが本当は“従者”より“冒険者”になりたがっていることを知っている。
クロスはどこへ行ったのだろうと、さらに辺りを見回していると、レッドと馬の向こうの茂みの、離れた木の陰から出てくるのが見えた。
クロスはふらふらした足取りでこちらへ来ると、狩りに行くというリオンとレッドを、言葉少なに送り出した。わたしとクロスはこの場で、待機という名の留守番である。
「じゃあ、行ってくるよ!」
リオンが手を振って元気よく出発する。
「いってらっしゃい、気をつけてね」
「アリアちゃん、クロスのことは放っておいていいからね。あれは、ただの二日酔いみたいなものだから」
わたしも応えて手を振った。
(二日酔い……?)
「ソッコーで見つけて、ソッコーで帰って来るからな!!」
レッドも、仲良くリオンと出て行った。
「うん。レッドも気をつけて、行ってらっしゃい」
レッドにも手を振って送り出すと、ぎこちない様子で返事があった。
「い、行ってきます」
そういえば、アトリエを拠点にしていたころは、採取で外出する際は一緒に出ていたから、わたしがレッドを「いってらっしゃい」と送り出す場面は、ほとんどなかった。
走ってリオンに追いついたレッドが、リオンと何か喋っては、ふざけ合うような仕草を見せながら遠ざかってゆく。
二人とも、馬は置いていった。
馬は小さな魔物を蹴散らしてしまうから、ツノウサギノような小型の魔物は狩れないのだそうだ。大型の魔物を避けるためのアイテムも使っているから、面倒でも目視で歩いて探すしかないのだという。
ちょっと薪を拾いに、という気楽な様子だったけれど、そんなにすぐ捕まえることができるのかしら?
クロスを振り返ると、すぐ側の木の根元にぐったりした様子で座り込んでいた。
「この平原では、十分も歩けば魔物に出くわす。小一時間で帰ってくるから心配ない」
そう言うクロスは著しく精彩を欠いている。
アンデッドのよう──とまでは言わないけれど、攻撃魔法の反射を食らって大怪我をした直後よりも、元気がない。
(二日酔いみたいな、って言ってたけれど……もしかして)
そう言えばこんな感じのぐったりした魔法使いを、ギルドの喫茶スペースで見たことがある。
深夜早朝のギルド酒場では、もっとアンデッドに近い、べろべろの酔っ払いを見ることもある。
「まさか……魔力酔いなの?」
わたしが問いかけると、クロスはばつが悪そうな顔で肯定した。
「久しぶりだから、堪える」
「え、だって、魔力酔いなんて初級の魔法使いがなるものでしょう!?」
初級の中でも、イキった馬鹿な魔法使いが見せる症状だ。
「だから、久しぶりだと……」
クロスは立ち上がると、慌てて近くの茂みに駆け込んでいった。隠れて吐いているらしい。
(えー……)
さっきまで離れた場所にいたのも、多分に嘔吐のためだろう。
先ほどまでの戦闘中の、颯爽とした天才魔法使いの姿は、もはや影も形もなかった。
「ごめんなさい。きっとわたしの魔力のせいね」
魔力回復薬は使っていないのだから、それしか考えられない。
わたしは、クロスのもとまで行って背中をさすった。
「アリアが悪いわけじゃあ、ない」
ここで治癒魔法をかけるのは……さすがに拙いわよね。魔力過多で悪化するかもしれない。最悪、魔素中毒に……ということもあり得る。
「二日酔いに効く薬草なら持っているけど……」
「……」
流石に、返事がなかった。
そうね。ごめんなさい。魔力酔いと普通の二日酔いじゃ、違うわよね。
二日酔い用の薬草は、近所のお姉さんたちがよく買ってくれるので常備していたのだ。
特に珍しくもない薬草で、家庭の常備薬のようなものだから、酒好きの旦那さんを抱えている奥さんなら誰でも知っている。野山で摘んできたり、庭の片隅に植えたりして、ほぼ無料で手に入れられる。
けれど、お姉さんたちは自分で摘んだり育てたりするようなタイプではないし、道具屋よりわたしのアトリエのほうが近かったので、いいお得意さんになってくれた。
“ぶっちゃけ、アリアちゃんの薬草が一番効く”
“薬師が作ってる高い水薬より、アリアちゃんが淹れてくれるお茶が一番癒やされる〜!”
“てゆうか、道具屋で売ってる薬草茶、何なん?”
“あ〜、あれね”
“薬効成分入ってないっしょ。ただのお茶っしょ?”
休日の朝、授業がないわたしは早々に寄宿舎を抜け出してアトリエにいた。
そこへ、お店から朝帰りしてきたお姉さんたちが訪れて、薬草茶のお茶会になったり、薬草と化粧品の即売会になったりしていたのは、懐かしい思い出だ。
薬草は、摘んできて乾燥させるだけで使えるけれど、採取と保管にはコツがある。
一手間かけた分、よく効くと誉められて嬉しかった。
まだ王都を出て一か月も経っていないはずなのに、遠い日の出来事のように思い出される。
あのお姉さんたちには、挨拶もしないで町を出てきてしまったけれど、今ごろどうしているだろうか? わたしの薬草が手に入らなくなって、二日酔いに悩まされているのだろうか──。




