130.シャーリーンの残したもの③
わたしは、疲れたのだと繰り返した。
「疑われて怒られたり、疑われないように隠したり、上手い言い訳を考えたり──そういうのは、もううんざりだわ」
レッドにも、ずっと嘘を吐いて心配をかけた。
採取依頼で出かけた先のかすり傷は、何もなかったかのようにすぐ治る。
寄宿学校で受けた体罰の痕は、いつまでも治さないで放置しておく。
その違いと、そうする理由に、勘のいいレッドが気づいていないはずがない。
「アリアの治癒魔法は、なんか花みたいないい匂いがするんだ」
レッドはそんなふうに表現していた。
たとえば雨に匂いはないはずだけれど、雨が通り過ぎた後の大地の匂いを、雨の匂いと表現する人がいる。
同様にお日様の光にも匂いはないけれど、お天気のいい日に干し上がった洗濯物の香りを、お日様の香りだと言ってありがたがる人がいる。
それ自体を否定するものではないけれど、同じように魔力にも魔法にも匂いはない。
厳密に言えば、幻臭を起こさせる魔法は存在するけれど、魔法自体には匂いはない。
言うならば、魔法は剣士が剣を振り下ろす動作そのものなのだ。動き自体に匂いはないけれど、斬り裂いた獲物の血臭は存在するのと同じ理屈だ。
そんなふうに魔法を勘だけで嗅ぎ分けるレッドが、わたしが治癒魔法を使って怪我を治したかどうかということに、気づかなかったはずがない。
わたしが、この能力を隠そうとしていたことや、触れられたくない話題だと思っていることを敏感に感じ取っていたから、気づいた後も見て見ぬ振りをしてくれていただけだ。
主人を問い糾すことはできないから、黙っていただけだとしても、怪我を心配してくれたのは本当だと思いたかった。
だから、これ以上レッドに嘘を吐き続けるのも心苦しい。
「隠し続けるのも、もう限界なのよ」
新米魔法使い相手ならともかく、自他ともに天才魔法使いと称されるクロスがいるのに、隠せはしない。
(というか、すでに見破られてるし)
見る間に傷口が塞がったという事実と、無詠唱の治癒魔法が発動されなかったという二つから、すでに答えは導き出されている。
おまけに、魔力を封じる魔法まで掛けてもらったのだ。わたしが化け物だという事実は、否定しようがない。
わかっていたからこそ、実演に協力してくれたのだ。
わたしの身体は、治癒魔法がなくても回復や再生をするのだという不気味な事実を、疑う余地のない状態で証明したがっていることに気づいてくれた。
(いい顔はされなかったけれど、やりたいことを理解して協力してもらえた)
もう、それで十分な気がした。
少しでも心配してもらえた。
即座に否定されなかった。疑われなかった。気味の悪い化け物だと言って罵られなかった。
だから本当のことを明かして嫌われても、今なら諦めがつくと思えた。
ただし、この平原のど真ん中で放り出されるのは困るから、どこか最寄りの村か町に着くまでは、嫌がられても頼み込んで同行してもらうしかないけれど。
レッドも、化け物の従者は嫌かもしれないけれど、奴隷身分から解放してあげられるだけのお金が貯まるまでは、我慢してもらうしかない。
「現実を見ても信じない者は、言葉を尽くしても信じないわ。他人の言葉を容易く信じる者は、事実を目の当たりにすれば怖じ気づく」
わたしは言葉を続けた。
「説明したところで、理解してもらうことは難しいもの。たった今、目にしたものが全てよ。正直言って、あれを見ても怖じ気づかないリオンのほうがわたしには信じられないわ」
再生能力という、瞬時に創傷が治るような能力を持つ生き物は、身体の構造が単純なスライムや、元から再生能力を種族特性として持って生まれるオークやリザードなどの魔物だけだ。
それ以外ならば、驚異的な魔力を持つ天界人や魔界人のような、伝説上の種族になってしまう。
「リオンは今、手を握っている存在が、人間以外の不気味な生き物だとは思わないの? 魔族の血を引いた、得体の知れない生き物かもしれないわよ」
抱きしめられた。
いい加減、手を離してもらいたくて脅しのつもり魔族の名前まで口に出したのに、ぐいと手を引かれて抱きしめられていた。
「なっ、やめて……!」
リオンは優しいけど、得体の知れない化け物にまで博愛精神を発揮する必要はない。同情なら要らない。
突き離そうとリオンの胸を押すけれど、強く抱き込まれていて離れられない。
「アリアちゃん、そんな悲しいこと言わないでよ」
リオンの手が優しく私の頭を撫でた。
「君はアルトの可愛い妹だろう? 自分からそんな、自分を貶めるようなことを言うものじゃない」
「ちょっ、リオン、おまっ、どさくさに紛れて何やってんだよ!?」
そこへ、羽を放り出してレッドが駆けつけてきた。
「アリア嫌がってんだろ、離せよ!」
レッドがリオンの腕に手をかけると、意外にもリオンはあっさりと離してくれた。
「ごめん、少し馴れ馴れしかったね」
「少しじゃねえよ!」
レッドが突っ込む。
「でも、君はあのアルト・ヴェルメイリオの妹だろう? たった一人の」
「アルトお兄様を知っているの?」
「学院の騎士課程の後輩だよ。君の話は聞いたことがある」
「嘘!」
咄嗟に否定した。
「ひどいなあ。嘘なんか吐かないよ」
「お兄様は、わたしのことなんか興味ないわ」
ずっと、無視されてきた。
嫌がらせはされなかったけれど、話したことは数えるほどしかない。
屋敷にいたときは、虐められている哀れなメイドの一人くらいにしか思っていなかったはずだ。
誰も居ないときを見計らって、たまに押しつけるようにしてお菓子を渡された。
大事にとっておいた包み紙は、他のメイドに見つかって追求され、さらなる虐めの原因になった。
*
「あんたがなんで、こんな高級菓子の包み紙を持っているのよ!」
「アルト様にいただいたの」
屋敷では“お兄様”と呼ばないように、気をつけていた。
「いただいた、ですってえ!? そんなわけないじゃない、このコソ泥が!」
嘘つき呼ばわりされて、どこの棚から盗ったのか言えと鞭打たれた。
両手の甲と両脚の脛を、血が出るまで叩かれて、同じ物を盗ってくるよう要求された。
けれど、あの焼きお菓子はお兄様が外で買ってきたものらしく、屋敷の中に同じ物は置いてなかった。
先輩メイドが満足いくような成果を上げられなかったわたしは、嘘つきの泥棒猫として、濡れた雑巾と一緒に掃除用具入れに閉じ込められ、食事を抜かれた。
後で聞いた話によると、アルトお兄様が“虐げられていたメイドを哀れに思い、温情から菓子を渡した”と語ったらしい。
その後、公平な態度ではなかったと言って、お兄様から他のメイドたちにもお菓子が配られたそうだ。それでわたしは、やっと掃除用具入れから出してもらえた。
暗くて湿っぽい掃除用具入れは、誰も来ないからわりと居心地がよかった。
監禁されている間は、誰にも叩かれなくて済む。
(お兄様は、わたしを妹とは思っていなかったかもしれないけれど、ときどき優しくしてくれた)
屋敷で見かけた限りでは、代わりにシャーリーンを妹だと思っている様子はなかったけれど、私の記憶の中のアルトお兄様は、そんな感じの不器用な善人だ。
だから、イーリースお継母様に殺されてしまうのを、黙って見ているのは嫌だった。
*
「妹が寄宿学校に行ってしまって、会えなくなったことを嘆いていた。寄宿学校に入れられた妹というなら、シャーリーンではなくて君だろう? アルトは、ちゃんと君のことを妹だと思っていたよ」
ずっと君の口から、アルトの名前が出なかったから不思議に思っていた、とリオンは言った。
「わたしとお兄様の繋がりを知るのは、少なければ少ないほどいい。底辺冒険者に、貴族学院に通う兄がいるだなんて、知られたら利用されるに決まっているわ。
お兄様も、平民の振りをして冒険者をやっている妹がいるだなんて、知られたくないでしょうし」
それにだいたい、あの女狐たちとお兄様の名前を並べて発音したくなかった。
(お兄様がイーリースやシャーリーンと同列の存在になってしまいそうで)
ともかく、伯爵家の跡取りに、平民の振りをして冒険者をやっている妹がいるだなんて、汚点でしかない。
いくら冒険者国家であるウェスターランドといえど、属性魔法が使えなくて、採取しかできない冒険者など、弁護の余地はない。
「お兄様にとって、わたしは存在しないほうがいいのよ」
冒険者でなかったとしても、化け物であることは間違いないのだから。
そういう意味では、私を“存在しないもの”として扱ったお父様の判断は、正しかったとも言える。
家の存続と名誉を考えるなら、そうするべきだったのだ。
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