128.シャーリーンの残したもの①
手のひらを、よく見えるように前方へかざした。
わたしが念じれば、左手の傷口から滴っていた血は、見る間に止まって足下の草地を汚すのをやめた。
次には、裂けた肉が内側から盛り上がるように再生し、最後には一筋の傷跡さえ、薄くなって溶けるように消えてしまった。
ほんの一分かそこらの、わずかな時間の出来事である。
「これが、わたしが疎まれた理由」
浄化魔法を使って手に付いた血を落とそうとして、魔力を封じてもらっていたことを思い出した。
仕方がないので、代わりにスカートで拭っておいた。浄化魔法は後で掛けよう。
「ご覧の通り、わたしは治癒魔法を使わなくても、怪我が治るの。指くらいなら、千切れても再生するわ」
案の定、引かれてしまって沈黙がその場に広がった。
「この能力に、最初に気づかせてくれたのが、シャーリーンだったのよ。子供のころ、あの子に刺されて死にかけたから」
「刺された、だと!?」
「アリアちゃん、今すごく不穏な台詞が聞こえたんだけど! 死にかけたって何!?」
勢い良く沈黙が破られた。
「わたしが寄宿学校に入る前、実家でメイドをしていた話はしたわよね。そのとき、シャーリーンとは色々あって、」
「色々ってなんだよ」
今度はレッドが食いついてきた。
「色々は……えーと……」
まさか、わたしの再生能力について全く言及されないとは思わなかったので、上手く話の継ぎ穂を見つけられない。
「えーと……仕事の邪魔をされたり、私物を盗まれたり壊されたり……とかかな。他のメイドたちをけしかけて、嫌がらせをしてくることもあったわね。──まぁだいたい、ワガママな貴族のお嬢サマが、下働きの亜人種を虐めるときにやりそうなこと全般よ、全般」
細かく事例を挙げるとキリがないので、大雑把にまとめた。
「それで、ちょっと口論になった結果、事故が起きたってわけ」
「お前の義妹は、口論の末に人を刺すのか」
「ほぼ他人よ。それに、殺すつもりはなかったと思うわ」
たぶん、場所が悪かったのだ。
大広間の片付けをしている最中に現れたシャーリーンは、例によってわたしの仕事を邪魔しにかかった。
平民や下級貴族出身のメイドならば、ここで頭に来ても、雇い主の家の令嬢に向かって口答えはしない。
けれどわたしは唯一、シャーリーンに向かって対等な口調で話す存在だった。
大人しくしていても、伯爵令嬢として敬ってみても、最後には嫌がらせをされて終わるのだ。
ならば、出来の悪い妹の面倒を見させられているとでも思えば、多少は溜飲も下がるというものだった。
シャーリーンは、ワゴンにあったカゴ盛りの果物一式を見つけてしまったのだ。
ワゴンには、片付ける途中だった果物の残りやカトラリー、食器やティーセットなどが所狭しと乗っていた。
その瞬間、わたしはシャーリーンが笑うのを見た。
愛らしいピンクのドレスをまとった少女が、果物用の小さなナイフを手に取って、嬉しそうに微笑んだのだ。
新しい遊びを思いついて、はしゃぐ子供のようだった。
実際、子供だったわけだけれど──甘やかされて育った、思慮の足りない子供というのも存在するわけで。
「弁護するわけじゃないけれど、殺意はなかったのよ。冗談半分で刺しただけ。あの子にとっては、遊びの延長でしかなかったのよ」
「余計に性質が悪いだろ」
話していたら、気配なく近づいてきたレッドに短剣を奪い取られた。
「アリアには二度と貸さねえ」
去り際に捨て台詞を吐かれた。
「ええっ、ごめんってば!」
「謝りゃいいってもんじゃねえよ」
「じゃあ何なのよ!」
「わかんねえなら、もういい。羽は全部オレが拾うから、アリアは何もするな」
レッドは怒った様子で言って、そこから動くな、余計なことはするなと指を突きつけてきた。
「えぇえ──?」
「今のはアリアちゃんが悪いかな。俺もちょっと、怒ってるよ」
リオンにまで怒られた。
「あ……!」
そう言えば、あの短剣はリオンの持ち物だった。
ダガーを失ったレッドに、新しい武器を手に入れるまでの間、一時的に貸していただけのものだった。
それを、わたしは勝手に又借りして、汚してしまった。
レッドだって、自分が借りて責任を負っていた物品を、信じて使わせた相手に血塗れにされたら、それは怒るだろう。
リオンの持ち物は──武器や防具などの装備品は特に──総じて高価なのだ。華美ではないけれど、品質が高い。その中でも、レッドが借りていた短剣は、華奢な美術品のような見た目だった。
大事にしていた美しい剣を、化け物の血なんかで汚されては、二人とも怒りたくもなるだろう。
そう言って再度わたしが謝ると、レッドはそっぽを向いて羽を拾いながら、呆れたように溜め息をついた。
レッドは、指先だけを獣化させ、伸ばした猫爪で器用に羽を摘まんでいる。
リオンは困ったようにクロスと顔を見合わせてから、言葉を続けた。
「そうじゃないよ、アリアちゃん。俺たちはみんな、君が怪我したことを心配しているんだ」
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