127.トラウマとフラッシュバック③
ちょっと自傷行為的なシーンがあります。
わたしはレッドのほうへ向き直り、されるがままに手を差し出していた。
「血ぃ、止まってるみたいだな」
首をかしげながら、レッドが言った。
切り傷のある右手と、傷口を押さえていた左手は血まみれだったけれど、出血はすでに止まっている。
そして、見ている間にも傷口は塞がり、跡形もなく消えた。
レッドは一瞬、怪訝な顔をしたけれど、すぐに興味を失ったみたいに手を離してくれた。
「最初っから、そうすりゃいいんだよ」
わたしが無言で治癒魔法を使ったと思ったみたいだった。
でも。
怪鳥が魔法を発動する瞬間も嗅ぎ取れるレッドのことだ。わたしが魔法を使って傷を治したわけではないことを、本当は気づいているはずである。
治癒魔法は、レッド自身が何度も浴びた馴染みの深い魔法だ。
気づかないはずがない。
(それでも、知らない振りをしてくれるのね……)
わたしはレッドの気遣いに泣きたくなった。
どんなに回復力の高い獣人でも、血が滴り落ちるほどだった切り傷が、魔法もかけず、人為的な応急処置も施していないのに、たちどころに回復することはない。
そんなのは、亜人種ですらない化け物だ。
人間という種族は、再生能力を持たない。
その人間の亜種である獣人やその他の種族は、人間を上回る体力や回復力を備えてはいても、あくまでも“人間より丈夫”という範囲にとどまる。
見ている間に傷口が塞がったり、欠損した手指が再生したりすることはない。
だから、わたしは“化け物”なのだ。
気味悪がられ、放逐されても当然なのだ。
レッドは今後も、同じことがあっても、見なかったことにして黙っていてくれるだろう。
でも、ここには天才魔法使いであるクロスがいる。
わたしが治癒魔法を使わなかったことには、とっくに勘づかれているはずだ。
怪我をした瞬間も見られている。
見間違いだと言い張ろうにも、流れ出た血の痕跡が残っている。
今から浄化魔法で消したところで、あからさまな証拠隠滅にしかならない。
「レッド、短剣を少し貸してもらってもいいかしら」
「あ?」
何に使うのかと問い返しながらも、細い短剣を一本こちらへ差し出すレッド。
わたしはそれを受け取って、言った。
「シャーリーンがどんな子か、という話をしていたわよね」
怪鳥が現れる直前の話だ。
「シャーリーンが教えてくれたことをお見せするわ」
わたしは三人ともによく見えるよう、少し下がって離れた位置に立った。誰からも手の届かない位置に。
まず、浄化魔法で両手に付いた血と、スカートに滴り落ちた血、地面に落ちたそれをキレイに消す。
大道芸人がやる見世物のように、両手を開いて種も仕掛けもないことを示す。
無傷の右手に握った短剣と、何も握っていない無傷の左手。
三人とも、わたしがシャーリーンから手品でも教わったのだと思っているのだろう。何が始まるのかと、目を丸くしてこちらを見ていた。
「さて、ご照覧あれ」
わたしも調子に乗って、どこかで見た大道芸人の真似をして、それっぽい掛け声をかけながら──短剣で、左手のひらを一気に切りつけた。
赤が飛び散った。
「わあっ、何やってるのアリアちゃん──!?」
リオンは驚いて声を上げ、クロスは何も言わないけれど盛大に顔を歪めた。
わたしは、こちらへ来ようとするレッドを制しながら、改めて言った。
「レッド、今まで黙っていてごめんね」
それから、魔法使いであるクロスには別のことを頼んだ。
「クロスには、わたしが治癒魔法を使っていないことを保証してほしい」
「……仕方がないな」
「保証して!」
渋られたので、念のため強く言った。
「わかったよ。なんなら、魔力封じの魔法でもかけるか?」
「そうしてくれると有り難いわ」
彼だけは、今、わたしが実演しようとしていることを理解している。
不承不承ながら、すぐに魔力封じの魔法を掛けてくれた。
何が起きているのか理解できていないリオンは、魔力を封じたら治癒魔法が使えなくなると言ってクロスに詰め寄っている。
「リオン、これから気味の悪いものをお見せすることになるわ。申し訳ないけれど、それでも見届けてほしいの」
「シャーリーンは……いったい君に何をした?」
話している間にもボタボタと血が滴り、スカートと足下の草地を濡らした。
レッドが唇を噛みしめて、悔しそうな表情をしていた。
「レッド、ありがとう。今までずっと、見て見ぬ振りをしてくれて」
「……」
返事はなかった。
「さっきも隠そうとしてくれて、ありがとう」
「うっせえよ。礼を言われるようなことは、何もしてねえ。──何でもいいから早く治せ! オレはアリアが何者でも構わねえよ!!」
返事はもらえたが、後半はなぜかキレ気味であった。
「大丈夫。そんなに痛くはないのよ」
手のひら大の切り傷で、いちいち大袈裟に痛がるほど、正常な痛覚は残っていない。
子供のころ、お腹を刺されて死にそうになっていたとき、誰にも助けてもらえず見捨てられた心の痛みに比べれば、手のひらが切れるくらいはたいした痛みではなかった。
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