110.スペアと冒険者
「アリアちゃん、頭を上げてよ。そういうのやめようって言ったじゃないか……」
言われて頭を上げると、悲しそうな顔をしたリオンが目に映った。
「急に他人行儀にされたら、寂しいよ」
「でも……」
「俺は今まで通り、ただの冒険者同士でいたいよ」
恐縮するわたしの横で、レッドが頭を下げたまま話しかけてきた。
「なー、アリア。リオンがいいって言ってるんだからいいんじゃね?」
わたしは、すかさずレッドを小突いて言った。
(ばかっ)
今まで、小突いたりしたことなんてなかったから、レッドが驚いた様子でわたしを見た。
「公爵家と言ったら王族の縁戚みたいなものよ。子爵や男爵程度ならまだしも……」
冒険者に身をやつしていても、貴族は貴族なのだ。わたしのように、家族と縁が切れているわけでもない。
本当の身分を知ってしまった以上、一度は筋を通さなくてはならないだろう。
わたしがローランド寄宿学校で覚えたのは、そういう処世術であり、立ち居振る舞い方だった。
むしろ、そればかりと言える。
目上の者に礼を尽くすのは、身を守るための条件反射だ。
たぶん、レッドは爵位の上下をわかっていない。
レッドには、前にわたしが伯爵家の出身で、貴族令嬢であったことを話したことがある。
けれど、爵位の序列において伯爵家がどの辺りに位置するのか、細かくは理解していないのだ。
王族と貴族、貴族と平民、人間と亜人種族、奴隷と自由市民──のように単純な構図でしか捉えられない。
学がないというのは、そういうことだ。
そもそも獣人の間には“身分”という概念がない。
“強い奴がえらい”“強い奴がボス”という、わかりやすく単純な上下関係しかない。
だからこそ、奴隷としても比較的早く順応する。
亜人種狩りに遭い、首輪を付けられたということは、相手のほうが強かったという事実を表す。抵抗しても逃げ出せなかったということは、奴隷制度や商会の管理体制のほうが手強いという事実を表す。
それゆえ、主人には従うべきという躾が入りやすい──洗脳されてしまいがちなのだ。
「(二人とも、ヴェルメイリオ家より上の身分なのよ)」
わたしは小声でレッドに教えた。
「ふーん。なら、余計に言うこと聞かないと駄目だろ」
レッドの言うことは、いつも単純明快だ。
レッドが言いたいのはつまり、リオンが畏まらなくていいと言うなら、その通りにしなければならないということ。
「そう言われればそうなのだけれど……」
「レッドが正しい」
ぽす、と頭に手が乗った。
一瞬、殴られるかもと身を竦ませたが、そんなことはなかった。──あるはずもないのだけれど、長年の習い性はすぐに直るものではない。
クロスが、わたしとレッドの頭をぽんぽんと軽く叩いた。先ほどまで、同じような調子で馬を労っていた。
「アリアも間違ってはいない。が、ここはレッドの意見を採用だな」
「そういうこと。確かに俺はアイスバーグと関わりがあるけど、今はローゼス家の人間だし、ローゼスは地方の下級貴族だから、難しいことは気にしなくていいんだよ。三男だし、家名を背負っているわけでもないし」
「役目と言ったら、たまに貴族の依頼で珍しい素材を集めたり、現地調査に行ったり、面倒くさい頼み事を押し付けられたり──あとは、いざという時に兄貴のスペアになるくらいだもんな」
「クロスの言う通りだよ。兄貴のスペアとしての業務が発生しない限り──いや、発生したら困るんだけど──俺は自由な冒険者でいたいんだ」
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