107.鍛冶屋のジョンとお針子のマリー
一般的な冒険者は平民であるため、姓や家名と呼ばれるものはない。ファーストネームのみであり、そこにパーティー名や通称、時には称号が付随することで、個人の識別を可能にしている。いわば、姓や家名の代わりである。
ちなみに冒険者ではない平民は、商売上の屋号や、職業を姓の変わりに使っている。
つまり、仮に鍛冶屋のジョンやお針子のマリーという人物がいるとするならば、彼や彼女らは一生、鍛冶屋のジョンやお針子のマリーなのである。
平民がジョブチェンジすることは、めったにない。子供は親の家業を継ぐものと相場が決まっていて、ジョンの息子は一生、鍛冶屋のジョンの息子であるし、お針子マリーの娘は、嫁ぐまではずっとお針子マリーの娘なのである。そして嫁げば、誰それの妻や母と呼ばれる。
合法的にそういった慣習から抜け出すには、冒険者になるしかない。
冒険者として、自分の名前と功績、パーティーの仲間たちやギルドでの認知度といった新たな繋がりをもって、個を確立するしかないのだ。
そこでやっと、鍛冶屋ジョンの息子は戦士や剣士といった肩書きを持った一人の冒険者として、一人前になれる。
が、いつまでも冒険者カードに実家の屋号が併記されているのでは、格好がつかないという声もあって、パーティー名や称号で代用が利く者は、申請すれば部分的に表記を隠蔽する魔法を付与してもらえるようになった。
基本的に、冒険者は出自を問われない仕事である。身分や出自を隠すための措置は、わりと簡単に提供される。
それは、貴族でも元貴族でも同様。
家名を隠蔽することは、容易である。
ただし、変名を使うとなると話は違ってくる。
事情があって本名での活動ができない場合、ギルドに申請して変名を使わせてもらう方法がある。
(あるにはあるけど……)
システム上、登録名を書き換えることはできないとかで、上から別の表示名で覆う処置をするらしいのだけれど、その際の魔法に恐ろしいほどの手数料を取られる。
そもそも、審査に通らなければ魔法を付与してもらうこともできないし、審査も魔法付与も大変な時間がかかる。急いでもらおうとすれば、特別なお心付けとやらが必要になってくる。
実質、お忍びの貴族辺りにしか使えない制度なのだった。
なぜ知っているかというと、わたしも“アイリス”名義の冒険者カードを作りたくて調べたことがあるからだ。
ギルドの冒険者カードは、高度な魔法を使って管理されているため、偽名での登録が一切できない。
偽造もできない。
見た目を似せたプレートなら、いくらでも作ることができるけれど、魔法を込めることができないという。
冒険者カードを機能させている魔法は、一般の魔法とも古代魔法とも違う体系のため、関与できる者が極端に限られている──というのが偽造不可能と言われる主な理由だった。
(たぶん、クロスが言っていた魔法体系の根幹、大樹の記憶のことよね……)
現代魔法も古代魔法も大樹の記憶の上で動いている。
大樹の記憶は誰にも改竄することができない。それが世界の理らしい。
つまり、冒険者カードは一人につき、一生に一枚しか作ることができない。
もちろん、破損した場合や紛失した場合は再発行してもらえるけれど、初期登録手数料と違って、決して安くはない金額がかかる。
また、登録内容は大樹の記憶から読み出すため、以前の内容が引き継がれる。
作り直したところで、大金を取られるだけで、別人になることはできないのだ。
だから結局、わたしはアイリス名義の冒険者カードを手に入れることを断念せざるを得なかった。
(偽名が使えれば、イーリースお継母様に見つかる可能性も低くなると思ったのだけれど……)
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