10.魔獣と魔物と世界の理(ことわり)
魔物や魔獣と呼ばれる生き物がいる。
魔獣は、普通の獣が魔素に侵されて進化したものだ。
小型の魔獣くらいなら、レッドとわたしでも対処できる。人間でも、腕に覚えのある冒険者が複数人でかかれば、仕留められなくもない。
一方、魔物は最初からそういう生き物で、ダンジョンから生まれ、ダンジョンを出た後、地上のあちこちに棲みついたものらしい。
最たる代表はドラゴンだ。ダンジョンから出た後、移り棲んだ場所によって、神格化されたり、邪悪な竜の王として恐れられたり、種々の扱われ方をしている。
ハイエルフがこの世界に降臨していた神代の時代よりさらに前、創世神話の後半頃のお話である。
魔物は、人間も動物も魔獣も区別なく捕食する。雑食――というより悪食だが、特に魔力の強いものを好む。魔素の強い場所や、穢れの強い場所に生息し、ときどき何らかの理由で縄張りから出て行動する。
――たとえば、捕食行動とか。
* * *
毒霧は一定時間がたてば終息する。
風で散ったり、大気で薄まって害のないものになる。
どれくらいそうしていただろう。
レッドの身体を膝に抱き、その場に座り込み、泣いた。
馬車が襲撃された時には高く登っていた陽光が、すでに傾き始めている。
再生魔法は必要なかった。
上級治癒魔法を重ね掛けすれば、欠損した手足くらい秒で治る。
けれどレッドは目を覚さない。
治癒魔法が効くということは、まだ息があるということだ。口元に顔を近づければ、呼吸していることはわかった。
(そうか……契約魔法の効果が切れたんだ……)
契約魔法の強制力が効いていた間は、意識を失うことはできなかったし、動きを止めることもできなかった。おそらく、痛覚も大分麻痺していたのだろう。
(もう……休んでもいいんだよ……)
柔らかく少年の頭を撫でる。
さすがに、斬り飛ばされた脚を再生するのは、身体の側にも相当な負担だったのだろう。
たとえ獣人の猫族でも。
獣人は押し並べて体力のある種族だが、それでも限界というものはある。
治癒魔法を使っても、無から手足が生み出されるわけではない。体内の組織や血流を魔法で都合することによって、急速成長させているようなものである。
当然、手足が定着するまでは成長痛のような痛みも伴うし、以前と同じように動かせるようになるまでには時間もかかる。
それをさらに別の種類の回復魔法で補ったとしても、レッドの状態は酷すぎた。
痛みを和らげ、失った血や体力を補ったところで、死を疑似体験させられた経験は彼の心に深い傷となって残っただろう。
身体より、心の方が先に死んでしまったのかもしれない。
(わたしが魔法で命令したせいで……)
確かに、契約魔法による呪いはレッドが戦い続けるための補助を果たした。
けれど、その代償は置き去りにされてしまった心の死――かもしれないのだ。
(わたしが軽率な命令を下したせいで……)
レッドはほとんど死にかかっている。
このまま目覚めなければ、いくら治癒魔法をかけ続けたところで、やがては死ぬ。体内の生命力の源が、全て魔力に置き換わってしまったら、人は人ではいられない。
「ごめんね……レッド……」
再び呟いた。
魔力も枯れないが、涙も枯れなかった。
ぱたぱたとレッドの顔に涙が落ちる。
「ごめ……ごめんね……」
この少年は、馬鹿な主人に買われたのだ。
最期がこれでは、結局、使い捨ての道具と変わらない。
一人の人間として扱い、雇ったつもりだなんて、笑わせる。
「あやまるなよ……アリア」
レッドが手を伸ばして、わたしの頬に触れていた。
「それじゃオレが死んだみたいじゃねーか……」
涙を拭おうとして、上手くいかなかったと笑った。
「悪ぃ、オレの手のほうが汚ねえや」
「レッド……!」
「おう、なんだ。まだ上手く動けねえんだよ、」
涙が溢れて止まらなかった。
わたしは今、きっと、すごくみっともない顔をしているだろう。血泥のついた伯爵令嬢の泣き顔なんて、見れたものではない。
レッドが、自分が泣かせてしまったのかと膝の上で狼狽えていたが、それを訂正する言葉も言えない。
「もっと、さっきみたいに撫でてくれよ。オレ、すげー頑張っただろ?」
察したレッドがそう言ってくる。
「うん……うん……!」
言葉にならないわたしは、よくできましたと気持ちを込めて、何度もレッドの頭を撫でた。袖口で自分の目元を拭いながら。
(ありがとう……わたしなんかの従者になってくれて、ありがとう……)
レッドは、本物の猫のように目を細め、気持ちよさそうに撫でられてくれた。
半獣化は今は解けて、瞳孔や牙も元に戻っている。爪も人間のそれである。指も全部きれいに揃っている。
「ごめんな、アリア。毒霧、使わせちまった。謝るのはオレのほうだ」
わたしは無言で横に首を振った。
「……レッドのせいじゃ、ない」
むしろ、レッドを死ぬような目に遭わせるくらいなら、最初から乗客全員を道連れにするべきだったと後悔している自分がいる。
レッドは、わたしのただ一人の従者なのだ。
それが死ぬなら、わたしは自分のものをまた一つ失うことになる。
これ以上、わたしから奪うことは許さない。
間接的にでも加担するなら、それは敵だ。
「アリアは大丈夫? 動けるか?」
レッドの指がまたわたしの頬に触れてきて、言った。
「オレはまだ立てそうにない。正直、腕しか動かねえ」
ずっとレッドを膝枕していたから足は痺れているが、大丈夫だ。怪我をしているわけではない。魔力もまだ十分に残っている。
毒霧はわたしには影響を与えないから、レッドのことは抱きしめて守った。
わたしの一部と判定されれば、毒攻撃の影響は受けないはずだから――というのがその理由だが、本当のことを言うと、わたしの防御魔法より、わたしの毒魔法のほうがずっと強い。わたし自身は毒に耐性があるが、周りの人を毒から守ることは難しい。
だからこそ、先手必勝でやってきたのだ。
そうしたら、いつの間にか毒蜘蛛の魔女なんてあだ名されるようになっていた。
「だけど、どうにかして日が沈むまでに移動しねえと……魔獣が餌を探しにやって来る……」
言わずもがな、だけれど餌とはわたしたちのことだ。
死肉を求めて他の獣も来るだろう。
馬車の側には、毒で横死した盗賊たちの屍と、殺された乗客たちの屍が転々と転がっていた。
「蜘蛛毒で死んだ人間の屍肉を食べれば、食べた獣はまず死ぬでしょうけど……」
「それを待ってる時間はねえよ」
まあ、獣も魔獣も、選べるなら屍肉より先に新鮮なほうを食べたいだろう。
ここまでお読みくださってありがとうございます。
よろしければ、下の方の☆☆☆☆☆☆を使った評価や、ブックマークをしていただけると幸いです。




