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響きの弾み 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 ……うん、よしいいでしょう。こーらくん、合格と。

 すごく練習したのが分かるよ。三週間前とは見違えるようになったね。


 ――将来、音楽家になるつもりはないから、音楽のテストは勘弁してほしい?


 ははは、苦手な科目、嫌いな科目だったら誰でも一度は考えることだよね、それ。

 実は先生もね、学生のころは音楽がそこまで好きじゃなかったんだ。でも、とあるきっかけで、やっといた方がいいかもな、と思うことがあってね。

 そのときの話、聞いてみないかい?



 先生が通っていた学校では、年に二回、学年合同で行うリコーダーの演奏会があった。

 合唱コンクールみたいに、各クラスで局を奏でて出来栄えを競うものだけど、先生はそれが嫌いだった。

 自分の予定に、避けられないものがあるっていうのは、なんとも気分が悪くなるよね。特に自分から率先して動いて、消化できるものじゃないなら、なおさらね。


 今回も、パート決めの時間がやってくる。

 先生たちが演奏する曲は、いずれも必ずソロパートを含むものが選ばれていた。担当者は厳正なるくじ引きで選ばれるんだが、ほぼ毎回当たる子がいて、半ば操作が疑われたこともあったよ。

 そして、とうとう先生がくじで当たりを引いてしまうときが来た。当たりを示す赤い棒の先を見た時には、本当に血の気が引く思いがしたよ。目の前にモザイクがかかったようで、足元がぐらついてしまった。


 くじ引きに当たると、その人たちだけの特別レッスンが放課後に組まれる。最初はパートごとに分かれての練習なのだけど、先生は集まったメンツの中でも、格別にリコーダーが下手でね。最初のフレーズから、なんどもなんども間違えた。

 音楽の教師は、他の人の様子も見ながら、ほとんどの時間を先生に付き添ってくれたのを覚えている。授業では比較的、柔らかめに教えてくれる先生だけど、このレッスンに関してはとても厳しい。

 殴られはしなかったけど、言葉のトゲがぐさぐさ刺さってさ。帰り際に先生へ漏らしたよ。このソロパートを担当するのを辞退したいってね。



 すると音楽教師は、口の前に指を立てて「他言無用」のサインをすると、人気のない音楽準備室へ先生を連れ込んだ。


「……もし、君がやらなかったら、世界が大変なことになる、といったらどうする?」


 真顔の教師とその言葉に、先生はつい吹き出しそうになってしまう。

 確かに、当時の先生くらいの年代だったら、自分の行いが世界に関わるとか、考えるとワクワクすることもあるだろう。特に大人たちが信じていない横で、自分たちだけが危機を知り、ひっそりとしりぞけるシチュエーションなど、よだれが出てきそうなほどの好物だ。



 でも、親とか教師とかから言い出されるものは、なにか違うと思う。

 いわばお手伝いの範疇で、茶番の匂いがプンプンするんだ。こちらを都合よく動かそうって意図が見え見えで、押されるのはやる気スイッチというより、奴隷コントローラーか。

 表面上は聞いているフリをしないと、話が長引いたり怒られたりするかもしれない。すでに先生の中では「怒られたくない」が優先順位のトップに輝いていた。

 途中で突っ込まれても大丈夫なように、聞き耳もしっかり立てている。


 音が響くというのは、空気の振動であることはご存じの通り。

 そうやって震えた空気には、「弾み」が生まれる。リズムをとる意味だけじゃなく、弾力的な意味でも。それを紡ぐことができるのは、例のソロパートの部分なのだという。

 なぜ弾みを作る必要があるのか。それは空から降ってくるものを、はじき返してあげる必要があるからだと。


「だったら、うまい人がやった方がいいと思います。僕なんかじゃ、とてもとても……」


「いや、君じゃなきゃいけない。弾みには波があってね。うまさとは別にそれが合う人がやらなきゃ意味がないんだ。

 繰り返すが、君しかできない。だから指導もビシバシいくぞ」


 教師は終始、冗談の顔を見せないまま話を終えてしまい、さすがの先生もいぶかしんだよ。

 世界、というのはおおげさだろうけど、何かしら悪いことが起こるかもしれない。それに万が一、億が一、先生の言う通りで、ひっそりと活躍できるのなら、悪いことではないかも……なんて考えちゃったんだ。



 そうして演奏会の当日。

 練習を重ねて、いちおうの形になったとはいえ、初めての役目に先生は緊張しっぱなしだった。これが合唱コンクールのように、公民館を借りてやるならもっと腹が痛くなっていただろうけど、今回は幸い、学校の体育館だ。

 曲はしばらく共通パートが続く。多少のミスがあっても、周りの音でかき消されてしまうものの、これはあくまで前座に過ぎない。ソロの部分が近づいてくるにつれ、先生の口の中で余計につばがたまり、胸がズキンズキンしてくる。


 そしていよいよ、件のパート。

 周りから音が止むや、先生はすかさずそこを継いで演奏したんだが、初めの音を盛大にトチッた。カラオケとかでも、最初の音を外して気まずくなることないか? あれのリコーダー版だ。

 やばい! と頭で思うや、どっと汗が噴き出てきた。

 どうにか持ち直しつつやるも、音の震えがなかなか収まらない。だが、パートを進めていくうち、どうにもおかしいことに気づいたんだ。


 観ているみんなが、しきりに暑がるそぶりを見せたんだ。

 2月に入ってもまだ寒い日だというのに。それにソロパートが始まるまで、おかしな様子は一切なかったはずなのに。

 垂れ落ちる汗が、上履きに。そして足元の床へ落ちて、跳ねる気配がする。自分の前に立つ別の生徒の首筋にも、はっきり見えるほどの大きな汗のしずくが光っていた。

 暑さは、先生の音の震えが収まり、パートが終わりへ近づくへつれて、弱まっていく。そうしてラストの共通パートも終わり、先生たちは舞台を降りたんだが、問題は演奏会が終わった後に起こった。


 体育館の道路側に面する外壁。演奏会の前にはベージュだったそれが、真っ黒にこげてしまっていたのさ。

 手で触れると、まだかすかに熱を帯びていた。すぐに壁は塗りなおされてしまったけど、もしも先生が演奏を立て直すことができなかったら、あの焦げをもたらした主が、体育館の中へ入ってきたのだろうかね。

 


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