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「んー今日も手触り最っ高。こないだ買ったヘアオイルは匂いも……うん、文句無しだな。後でレビュー投稿しといてやろう」
主は楽しげな様子で、髪の香りを確かめるついでに僕のこめかみにキスを落とす。擽るように軽く触れては、すぐに離れていこうとする唇を引き留めたいと思い、そして願う。ひたすらに……願い続けるだけ。
用事が済んだ以上、主の戯れが終わってしまえば僕らはそれぞれの仕事に戻るのだろう。作業にかかれと言われれば、それまでだ。僕にはどうしたって抗うことはできない。
「しぃ、」
願いを込めて、主の名を呼ぶ。
「んー? どうした? あーそうだ、まだ客が来る時間を伝えてなかったか。だいたい一時間後くらいかな」
「………。しぃ、」
「ん? えっと……後は……ん? なんだ?」
僕にできるのはこれが精いっぱいだった。抗えないなら、離れたくない気持ちをせめて瞳に映し出せたならいいのに。
何を求められているのか分からずに戸惑う主の顔を、いつもと変わらない無表情で見つめ続ける、ポンコツの僕。
ああ……もう、困らせてどうする。
「リィ、ごめんな。俺の説明に不足があるんだろうが……生憎さっぱり思い浮かばない」
もう諦めようかと思った矢先に向こうから諦められる。悲しくはあるが、それも仕方ないと思う。気持ちが伝わらないこと以上に、申し訳なさそうに僕の頭を撫でてくれる主が愛しくて心苦しくて……なによりも悲しかった。
諦めの気持ちを、普段よりゆっくりな瞬きに閉じ込める。
「……なんだか、離れたくないな」
ぽつり。
聞こえた声に、僕は耳を傾ける。
期待をこめて、見つめる。
「あーなんだ。そう何度も名前を連呼されるとな、自分が必要とされてるみたいに勘違いしちまうんだ。男ってバカだよな」
伝えられないまま気持ちが重なる。これは奇跡か、偶然か。
いや、違う。そう言って苦笑する主には、やっぱり何も伝わっちゃいないんだろう。僕がこんなにも嬉しいことが。
「仕方ない、予定変更だ。このまま一緒にキッチンに行こう。ちゃっちゃーとお茶の用意を済ませたら、客が来るまで二人でまったり待機だ。いいな、リィ?」
「了解、です」
意気揚々と返事をして、僕は主に笑顔を向ける。表面的にはどうしようもなく平坦に見えていることだろうが、そんなことは問題じゃない。伝わらなくてもいいのだ。
嬉しいから笑う。
僕の手を取り、主も笑う。
主は僕にこころがあることなど知りはしない。けれど愛してくれている。
ただの機械に愛情を注ぐ、主のこころを僕は知らない。けれど深く愛している。
ちぐはぐで、かみ合わない。
変わった主人と変わったアンドロイドは、それでも仲良く幸せに暮らしている。
*1.ちぐはぐ了
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