五月中旬 1
この時期の昼休み、俺は学校敷地内の食堂にいる事が多い。同じ敷地内には購買もあり、パンを買って教室で食べる方が安上がりではあるが、短い休み時間はともかくとして、ぼっちの俺にとって昼休みの教室というのは結構居づらい場所である。
時に、うちの高校の食堂は生徒数の割に中々広くて、テラス席なんかも付いてたりする。特にこの時期は昼時に日差しの暖かい屋外で食事を取るちょっとした贅沢に多くの生徒が群がり、テラスは校内随一の人気スポットとなる。
ゆえに、食堂の屋内スペースは夏、冬に比べて随分人が少なくなる訳で。がらんとしていると言ってもいいくらいだ。ぼっち憩いの場である。
そんな訳でここで、ラーメン、カレー、麻婆豆腐の三択から気分で選ぶのが、俺の最近の昼食事情となっていた。食べたい物だけを食べる、実に健全で喜ばしい事だ。
ゴールデンウィークが明けて数日、中間テストを間近に控えた週半ばの水曜日の昼休み、俺はもうすっかり味を覚えてしまった麻婆豆腐を入り口から最も離れた壁際の席で食っていた。
テラスに比べて不人気な屋内の席にもまた序列があり、陽射しの射し込む、入り口に近い窓際から埋まっていくのが常だ。そしてまた、人が少ない方へと流れて行くのは、社交的でない人間にとってごく自然な事だ。
そんな訳でこの付近の席は、半ば指定席となる訳である。近くに座るのも大体同じ面子なので、俺に僅かの社交性でもあったのなら、ふいに目が合った折にでも顔見知りになれたのかもしれない。まぁ、お互いそうでないからこそ、ここにいる訳だが。
ただ、その日、目が合ったのは窓際席の奴だった。
「……あっ」
「おっ?」
数秒。麻婆豆腐を熱心に口に運び続けていた俺の手が止まる。
まぁ、数日同じ場所に居合わせれば、何かの拍子に偶然目が合う事もあるだろう。至福の時を中断するには値しない。
手を止めざるを得なかったのは、目を逸らせなかったからだ。なんとなく、そいつと知り合いだったような気がする……
とにかく、そいつも目を逸らさなかったので、自然俺たちは数秒間、食堂の両側で見つめ合う事となった。
「……っ……!」
「……?」
いや、本当に知り合いか? 割と最近に顔を見た覚えはあるんだが……
数瞬後、思い至る。最近も何も、普通にクラスメイトだった。クラスメイトをすぐにそれと分からないあたり、俺もだいぶぼっち極まっているなぁ、なんて思ったりする。
思い出してきた。最近見覚えがあったのは、数日前……ブロッコリー事件のインパクトですっかり印象が薄くなってしまったパン運びの少女であった。
「……!……!」
「……」
そのパン少女と今、いくつかのテーブルを挟んで見つめ合っている。なんと言うか、知った仲かと言えば微妙な所だし、俺から目を逸らすべきか判断に迷う。
そもそも相手方はなぜこんな掃き溜めの如き場所にわざわざ目をやったのだろう。見るに値するものなどないと思うが……俺を見てたのかな?
……なんだか睨まれているような気がする。陰キャが同級生の食事シーンを凝視する事案は発生しますか……?
頼りない記憶と拙い人生経験の中から言い訳の糸口を探す俺が、パン少女と熱い視線を交わす事さらに数秒。両者睨み合いが続く。何だろう……やはり俺が忘れているだけで、いつかどこかで彼女の機嫌を損ねるような事を……
「っ……」
あっ逸らした。
まぁ、やはり全く覚えはないが、このまま言葉も交わさずこの場を去るのもいささか不自然だろうか。一応知らない仲でもない訳だし。
俺は残り少なくなっていた麻婆豆腐を可能な限り早く片付けると、食器を返して少女の席へと向かった。
「……よう」
「……ぅん」
一応挨拶は返してくれたようだが……今度は頑なに目を合わせようとしない。これはやはり、俺に対して良い印象を持っていないと見ていいのか……?
「……座るぞ」
「ひっ……お、おう」
返事は男らしいな。変な声出てたけど。よく見ると少し顔が上気している様にも見えなくもない。もしかしなくても我が世の春……ではないよな。
「……」
「……」
窓から差し込む晩春の日差しの下、ここにしばしの間が生まれる。俺には、謝罪と釈明から話を切り出す勇気もなければ会話術もない。ここは適当に話を合わせよう。
「……なんで」
「ん?」
「なんでいつもカレーと麻婆豆腐ばっか食べてるの?」
「ラーメン食ってる時もあるぞ」
「あ、そう。……飽きないの?」
「好きだからな。別に飽きないぞ」
また藪から棒に……俺は食べ物にこだわりとかないし、この話は広がらないと思うぞ。
というか、やっぱり俺を見てたんじゃないか。それも結構がっつり観察してやがる……観察日記にしては気が早いと言ってやるべきか。少なくとも事案にはならないのが悲しい所だ。
「……じゃあ別に意味はないんだ」
「何の意味があると思ったんだ?」
「私に聞かないでよ」
……この子はどうしてこう一々刺々しいんだ? 俺に何の恨みがあるというのか……いっそ直接聞いてみようか。だがしかしまたしても、切り出すのは彼女である。
「あんたってさ、友達いないよね」
「突然何だ失礼な」
「何で作らないの?」
「いや、面倒くさいだろ」
「そういうとこだよね……別に咎めるつもりはないけどさ、勝ち誇っていられるのも今のうちだと、思っておいてよ」
「……は?」
あれ、一体何の事を言ってるんだ? 何だか致命的に話が噛み合わないぞ。俺の解釈が間違っていなければ、脈絡もなく唐突に全国のぼっちに対する全方位爆撃を始めたように聞こえたが……
あと友達は作らないんじゃなく作れないんだぞ。こちらからは指摘しづらいんだから察してくれ、割と切実に。
「……いや、やっぱり何でもない。忘れて」
「……おおよそ俺には勝ってるんじゃないか? 学力とか」
「だってあんた勉強してないじゃん」
「そうだな」
だから何なんだ……あぁもう分からん。面倒くさい……
「まぁ、何だ? 勉強する時間で人生楽しんでるよ」
「……は?! 私の方が人生楽しんでるし!」
「おぉう……?」
本当にどうしたんだろうこの子は? 虫の居所が悪いのを俺のせいにするのはやめて頂きたい……あまりギスギスするとその……何だ……? あれだ、コミュ障がバレるだろ。
「……じゃあ、教室戻るから」
「あぁ」
良かった。どうやら今日はこの辺りにしてくれるようだ。彼女は席を立ち、食堂を出て行った。
次に会うときはもう少し穏便にするか、そうでなければ八つ当たりは誰かもっと差し障りのなさそうな奴にしてほしいものだ。まぁ、俺ほどの人畜無害もそういないかもしれないが。
俺の人畜無害さに免じて、彼女が残していった食器類は片付けておいてやろう。
麻婆豆腐か……