一節 そして、五人目は静かに笑う
「……あの、兄の携帯、教えましたよね?」
『いや……いきなり携帯に電話って、その……馴れ馴れしいかなと、思って……』
「……まぁ別に、良いですけどね。あたしが首突っ込んで良いんなら、それでも」
『く、首を突っ込むも何も、ちょっと様子を聞こうかなと、思っただけで、その……』
少しキツく聞こえたのか、相手は電話口で口ごもってしまった。あたしとしても、この件に首を突っ込むのはやぶさかでは無いのだ。フォローしておこう。
「兄ならさっき帰ってきましたよ。ただ、今は来客があって、外してます」
『ら、来客……! それは……いや、やっぱり携帯にかけてみる。ありがとう……』
む。切るつもりか……やっぱり少し甘かったかなぁ。追い込みが足りないか……
「来客は2人、いずれも女の子です」
『!? ……ふ、2人っ!?』
「なんか、泊まりみたいなので、取り込んでいて出られないかもしれません。何回かかけてみて下さい。それでは」
『あっ! ま、待って! ちょっ、ちょっと待って切らないで!』
……ふむ。ひとまず掴みは上々、かな。
「……クラスメイトさんでしたよね? 兄の学校での様子はどうですか?」
『えっ、どうって……あまり人と話してるのは見た事ないけど……概ね元気そうだよ?』
「それなら良いんです。ちなみに、兄とは親しいのですか?」
『……親しい、と、思う。……たぶん……』
「そうですか。兄と、誰か特定の女子が特に親しくしている、といった噂を聞いた事は?」
『ない……いえ、昔の後輩って子が1人……』
「……そうですか。知らなかったです」
『あ、あのぅ……』
「兄から何か、ストーカー被害のようなものを受けていると相談を受けた事はありますか?」
『あっ、は、はい。えぇっとぉ……本人からは、聞いた事ないです』
なるほど。流石に公然とはしていない訳か。まぁ、その時はあたしが真っ先に気づくはずだし、分かっていた事ではあるけど。表面上、約束は守られていたようで何よりだ……少なくとも昨日までは。
『あの、妹ちゃ……さん?』
「……いえ、ありがとうございました。今から兄の部屋に飲み物を持って行く所です。よければ取り継ぎましょうか?」
『えっ!? い、いや、それは、修羅場が怖いと言うか、その……』
「……携帯の番号かアドレス、教えてよ。分かった事はこっちから報告するから。それでいい?」
『あっ、は、う、うん!』
「あ、それと、後でその後輩の子についても詳しく教えてもらうからね。その代わり、ある程度は介入できると思う。……うん。分かった。それじゃあ10分後にメールする」
妹とは、兄を見守る存在であるべきだと思う。色恋にまで首を突っ込むのは、なんだかなぁ……という気もするけど、気分が乗ってきちゃったのはしょうがない。兄ちゃんと愉快な仲間たちには、せいぜいこのあたしの人生経験の肥やしになって貰おう……
と、とっておきの悪い顔をして、ノリノリでグラスとジュースを用意するあたしがそこにはいたのである……
まずあたしが向かったのは兄ちゃんの部屋。虎穴に入らずんば、だ。流石にちょっとつついたくらいで蛇が出る事もあるまい。それに蛇には私との口約束を破った負い目もある。取って食われることはない、という算段もある。
「兄ちゃーん、ジュース入れたよー」
ノックは必要ない。有無を言わせるつもりもない。
あたしを出迎えたのは、二つの視線だった。一つは懐疑と、僅かの安堵。もう一つはさらにシンプル。
邪魔をするな、である。
蛇に睨まれた蛙……か……
努めて気づかない振りをしつつ、グラスを配る。
「あれ。 もう1人は?」
「今、シャワーを浴びてるはずだ。まだ帰っては来ないんじゃないか?」
もちろん知っている。
あー、そっかーなんて軽い返事をしながら、余ったグラスを持って、さっきからこちらを睨みつけている猛獣の隣に座る。こっちが譲るつもりはない、という意思の表明である。
「……なんでわざわざ床に座るんだ?」
「いやいや、兄ちゃんと同じ高さに座るなんてそんな、畏れ多くて私にはとても……」
「あ、そう言えばお前、こいつと知り合いだったんだな」
「友達だよ。近くのビルの屋上でよく会うんだ」
「お前はそこへ何をしに行くんだ?」
「兄ちゃん」
「ん?」
「それが今、関係あるか?」
「……いや、ないな」
兄ちゃんは押しに弱い。特に女の子に対しては尚更である。兄妹喧嘩に負けた事がないのは、あたしの密かな自慢である。
むしろ不気味なのは、噛み付いてくると思っていた蛇が不自然なほど静かな事だ。話をさしむけて良いものか……しかし、ここで聞けなければ意味はないのだ。後手、後手に回るよりも一歩先んじるつもりで、だ。
「兄ちゃんこそいつの間に、それと仲良くなったんだ?」
「……」
「……妹ちゃん」
恐る恐る、隣を見る。そこにはあたしが今、最も見たくなかった、不敵な笑顔があった。
「私はね、約束は守るたちなんだよ?」
「……?」
「……今日だ」
「えっ」
「今日、一緒に遊びに行って、親しくなった」
「つ、つまり……それは……」
「私は彼を襲ってもいないし、脅迫もしてないよ。約束通り、今に至るまで私は、彼の一クラスメイトとして接して来たまでなんだよ」
不可能だ、と思った。あのヘタレで捻くれた社会生活不適合者の兄ちゃんを、既成事実も脅迫も一切使わず、たった一日で懐柔するなんて……
無惨にも敗れたあたしは一人、部屋を後にするしかなかった。しかし、得たものは決して少なくない。少なくとも今のところ、兄ちゃんにとって最後に出会った女性こそが最大の脅威だったという事実がはっきりした。
ここで立ち止まっている訳にはいかない。同盟の仲間が今も、あたしからの良い報告を待っているのだ。あたしにはまだ、すべき事がある……!
そんなあたしが次に敢行したのは、お風呂凸であった。
「きゃっ!? な、何ですか?! 何で入ってくるんですか?!」
「まぁまぁ、そう硬い事を言いなさんな。生娘でもあるまいし」
「き、生娘ですよ! 悪かったですね!」
「まぁまぁ、お背中お流ししますよ、おねーさん」
「はっ、そうだ、私の方が年上じゃ……ってそうじゃないですよ! 遠慮しますから出てって下さい!!」
「兄ちゃんを誘惑したのはこのちっぱいか! この裸を兄ちゃんにも見せたのか!!」
「……っ」
「……あれ?」
想像と違う反応に思わず素が出てしまう。って言うか、え? ……見せたの?
「……え、マジで?」
「……見せてません」
「そのこころは?」
「……事故です」
あたしは第二の戦場からも、無様に敗走せざるを得なかった。やはり全くのノーマークだった我々の前に最後に現れ、全てを掻っ攫っていく彼女こそまさに正ヒロイン、圧倒的なまでの正妻の風格、暴力的既得権益の前に全ての小細工はなす術なく崩れ去るのであろうか。
「報告、するのか……ッ! こんな、不甲斐ない戦果を……ッ!」
「あ……? お前、何で裸なの?」
「あ、兄ちゃん」
「まぁいいや。お前、今夜俺の部屋な」
クラスメイトちゃんには適当に報告しておいた。構うものか。同盟とは、破棄するためにあると昔から決まっているのだから。




