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初体験

 四月二十九日、GW初日から俺は金属バットを握っていた。

 時刻は朝の九時、開店直後のバッティングセンターには客は俺しかいない。ただ隣接されているショッピングモールの駐車場には早朝にもかかわらず車が何台か止まっていた。店内には店員が一人いるが、呑気にカウンターであくびをしてやがる。こっちは初めて握る金属バットに遊ばれてイラついてるとも知らずに。

 問答無用に次々と白球が一定の間隔で俺に迫ってくる。初心者なんだから手加減してくれと言ったところで相手は心を持たない機械なので無意味だ。

 ぎこちないフォームで空振りを繰り返す。

 後ろのネットに白球が勢いを殺される音だけがむなしく店内に響いていた。

 「はあ、はあ、なんだよこれ……全然当たらないじゃないか……」

そもそも野球なんてスポーツを全く知らない俺はとうとう心が折れた。他に客もいないので周りを気にせずにその場に座り込んだ。額の汗を手でぬぐって、ため息を漏らす。

 「なんで俺は野球のスキルをあげようとしてんだよ……」

 そんなことをふいに口にした。何故かって、そんなことわざわざ言わなくても自分自身がわかっている。

 トラタロウとの一打席勝負のためだ。




 話はさかのぼって、昨夜の輝き寮での真白先生の言葉。集められた和室のリビングには寮の全員が木製のテーブルを囲んで座り込んでいた。違った、トラタロウだけは縁側に座ってこちらに背中を向けていた。

 『話はわかったんやけど、それで殴り合いのケンカはヤバいで。よし! 男ならスポーツで真剣に勝負やな。トラタロウ、あんたヒロシに全力で投げな。そんでヒロシが打席に立って一打席の勝負をしな』

 話を一通り聞いた真白先生は慣れない関西弁でそう俺たちに告げた。語尾が『ぞい』では無くなったのはこの場で誰もつっこまなかった。もう新しいキャラ作りをしているのか、はたまたオーディションで落ちたのか……一つ分かることは次のオーディションキャラは関西弁らしい。

 『なんで俺がこいつと勝負しなくちゃいけないんすか……アホらしい、時間の無駄ですよ』

 『なんや、トラタロウ自信ないんか? 野球ならあんたの土俵やろが。まさかヒロシに負けるて思とるんか?』

 『見え透いた挑発っすね、先生』

 スッと立ち上がりその場から立ち去ろうとするトラタロウ。

 『逃げても何にも変わらへんで』

 『は? 逃げてない』

 『だったら勝負せえや! このままじゃ心の中気持ち悪いやろ。それにこれは教師の権限を使った命令やぞ。私はヒロシと一緒であんたをぶん殴りたい気持ちなんやからな。正直、さっきの話で先輩に袋叩きにあったあんたのことを可哀想って思てないで、むしろエリカちゃんに対するあんたの発言に怒り狂いそうなんや。それだけは覚えとけやトラタロウ』

 関西弁の効果もあったかもしれないが、真白先生は爆発寸前のようだった。沸騰しかけているヤカンがカタカタと上のふたを音たてるように。

 『……わかりましたよ』

 『わかればええ。野球部が休みの日はいつや?』

 『五月二日なら連休中の登校日なので試合も無くて練習もその日は休みです』

 『その日は行けへんな……代打で寮長のコナツに行って見ててもらおか。どや?』

 『五月二日……』

 コナツは日付をボサリとつぶやく。

 『どないしたコナツ?』

 『い、いえ。……ああ、勝負ですよね。わかりました』

 『仲間がこんなんになって心苦しいのは分かるけど、しっかり頼むでコナツ』

 何も言わずに静かに頷くだけのコナツ。そりゃ、彼女の心境から言ったら複雑だろうな。片思いなトラタロウが悪者扱いされているのだから。だけど、俺にはそれだけと思えないような気がしていた。根拠は何もないけど、俺にはなぜかそう思えてしまう。




 「俺があいつの球打てるとでも思ってんのかよ真白先生……」

 金属バットをカラカラと回しながら俺はつぶやく。そんな時でも機械からは百キロ台の球が容赦なく次から次へと投げ込まれている。

 そんな光景を見てふと思い出す。コナツが以前言っていた『トラタロウは中学の時に百四十キロを投げていた』という現実離れしていた事実を。今、俺が練習している球速にさらに四十キロをプラスだと? ははは……逆に笑えてくる。

 無理だ……バットに当たる気がしない……。

 目の前の現実をひしひしと受け止めた俺はバットを杖代わりにしてその場に立ち上がった。

『ブー!』

球数がゼロになったことを知らせるブザーが鳴る。

少し似ていて聞き覚えのあるその濁音が耳から侵入してくる。すると不思議と俺のあきらめるという選択肢をいつも無くさせる。

「エリカ……」

そうだよ……今回もそうなんだよ……誰が一番苦しいかって言ったらエリカなんだよ。誰よりも繊細な気持ちの持ち主で優しいエリカが苦悩と葛藤してるに決まってる。また自分のせいでこうなった、と自らを刃物で傷つけるみたいに自分自身を責めてるんだ。だから昨日の輝き寮で全員が集まった時もずっと下を向いてたんだろ。

心を持たない球投げ機械に俺はバットを突き付けた。

「やってやるよ。あと四日もありゃ充分だ、打ってやる」

 他の客がいないからって、機械相手に俺は何をしてんだと思い、急に恥ずかしくなってあわててポケットからバッティングカードを出して横にある挿入口に入れようとした。

 「ヒロシ君……ここにいました……」

 後ろから声がしたので振り返ると、エリカが紙袋を片手に俺を見ていた。そんな彼女の表情は愛想笑いをしているように見えた。

 「エリカ……おはよう」

 こんな姿を見られたくなかった。昨日の一件の後で俺がここで練習している。誰でも、その理由がトラタロウとの勝負のためと見当がつくだろうから。そしたら、エリカはきっと悲しむ。また私のせいで俺が頑張って無駄な努力をしているんだと。

 だからそんな表情を造ってしまってるんだろ、エリカ。

 「探しましたよ……真白先生が朝早くに寮を飛び出していったって言ってましたから」

 「はは……あれだよ、連休に入っただろ? 寮にずっといると体がなまっちゃうと思ってな。それでここで運動がてら打ってたんだよ」

 もう少しマシな嘘はつけなかったのかと、半ば後悔した。

 「ごめんなさいヒロシ君。私が昨日トラタロウ君に余計なことしたせいで……また、迷惑かけてしまって……」

 「いや、違うって、エリカは関係ないよ。俺はただ単に運動を……」

 緑のネット越しのエリカは愛想笑いをとっくに消し去っていて、新たに作り出した表情は曇天の空のように暗かった。しかし、彼女は無理矢理にその天気を断ち切って、俺に持ってきた紙袋を差し出した。

 「あ、朝ご飯まだですよね。これ……その……つ、作ってきました! 食べてみてください!」

 一目でわかるぐらいにエリカは恥ずかしそうだった。言わなくてもいいかもしれないが、もちろん顔は赤色マックスだ。

 そういえば朝から何も食べずにここへ来たから微妙に腹が減っている。ありがたくごちそうになろうと俺は打席からネットをくぐってエリカのいるカウンターに腰かけた。

 「わざわざありがとな」

 「いえ、お口に合うかわかりませんが……」

 紙袋の口を優しく開ける。中からは可愛らしい箱に入ったサンドイッチが顔をのぞかせた。大袈裟だと思うが、俺にはそれが宝石のように輝いて見える。たぶんエリカが作ってきてくれたと考えることで、こんな表現になったんだと思う。

 その宝石を一つ手に取ると早く味わいたくてがっつく。

 「おいしい……おいしいよエリカ!」

 幸せスパイスが効いているのか、今まで食べた料理のどれにも勝るほどうまい。

 「あたりまえでしょ。私も一緒に作ったんだから」

 「ゴフっ! ゴフっ! な、コナツ?」

 コナツがエリカの横から急に顔を出して登場した。いつからいたんだよこいつは……。

 「何をむせてるのよ。もしかして邪魔だった?」

 「そうじゃないけど、ゴフっ! 急に現れるとびっくりするだろ」

 「エリカちゃんがどうしてもヒロシのところに行きたいっていうから付いてきたのよ。今日は雨が降りそうだからね」

 「雨? 雨だとなんでコナツがついてくるんだよ」

 その俺の発言にコナツはあの雨の日の廊下の時と同じように、冷たくて、世界の全てを知っているような目で今度は俺ではなくて空を見上げた。

 「雨の日は……危ないでしょ。道で足を滑らせて転ぶかもしれないし、それに……天候がもっと悪くなれば雷もあるのよ」

 「本当にコナツはエリカに対してお母さんみたいだな。でも少し過保護すぎないか」

 「そうかもね」

 一切の感情を持たないその応えに、ここで会話は終わらせた方がいいと思った俺は一心不乱にサンドイッチを黙々と頬張った。

 食べるや否や、もう一度「本当においしかったよ。ご馳走様」とエリカに感想を言い残して緑のネットをくぐって打席に戻った。本当はもっとエリカと談笑したかったけど、保護者がいるんじゃマジメに練習しなくては怒られそうで。

 お腹がいっぱいになって、これなら打てると活き込んだ俺だったが、白球は無情にも金属バットの上や下を通過して俺の後ろのネットに突進していく。機械から投げ込まれるのは正確に同じところばかりなのに、なぜ当たらないんだよ……。

 「ちょっと、ヒロシ……あんた野球経験は?」

 何十球目かの空振りをした後にコナツが恐る恐る俺に問いかけてきた。

 「はあ、はあ、そんなもんねーよ」

 「全く? じゃ、じゃあ、見たことはあるの?」

 「それもねーよ。あ、そういえば屋上から野球部のグランド見たことあるから、その時ぐらいかな。それも小さくてあんまり見えなかったからどうやってしてたか詳しく知らないけど」

 「いやいや、テレビとかで見ないの?」

 「テレビ……」

 そう言われれば実家のリビングで……あれ? 俺の実家にテレビあったか? ってか俺の実家ってどんなだったっけ? ド忘れしたのか俺。

 「ヒロシ……あんたねぇ……バットは普通頭の後ろで立てて構えるのよ。なんでそんな漫画に出てくる剣士みたいに腰の位置で寝かせて構えてるのよ。大丈夫?」

 「え? そうなのか? いや、これが一番白球にバットを当てやすいかなって思ってさ」

 「もしかしてエリカちゃんを笑わせたくてワザとしてた?」

 コナツに言われて気づいた、横では必死に笑いをこらえている小動物がいた。

 「ちがっ! 違う!」

 「あきれた……それじゃトラタロウに勝つどころか逆に火に油を注ぐだけよ」

 一つ大きなため息をつくとコナツは腰を上げて入口から出て行った。

 確かにここに来るのは早かったかもしれない。野球というスポーツの町中の練習場と言えばバッティングセンターという知識はあったからここに来たが、そもそもどうやってボールを打つのか、ルールはなんなのか、一打席はどれくらいの長さなのか、そんなこと何も知らなかった。

 『ピローン。イラッシャイマセ』

 いろいろ考え込んでいると横の打席からバッティングの始まりを告げる機械の音声が耳に聞こえてきた。バットを重そうにエリカが持っていた。

 「笑ってしまってごめんなさいヒロシ君……私のことでがんばってくれてるのに……私も野球はあんまり知りませんが、確かこうやって構えて」

 ビシュっ! 明らかに俺の機械よりも早い白球がエリカの横を通過していった。

 「きゃっ!」

 「おい! そこのは百四十キロだぞ? 危ないから出て!」

 「だ、大丈夫です……だって……ヒロシ君はこれを打とうとしてるんですよね? だったら私も一緒にがんばります。約束したじゃないですか。なんでも一緒にがんばるって」

 もう一球エリカの横を白球が通過する。それに二秒ぐらい遅れて彼女はバットを振った。ハエが止まりそうなスピードで。

 「こ、こんな感じですよ……たぶん」

 やっとこさ振り終えたバットを両手で持って俺の方にはにかんだエリカ。野球を知らない俺は、その彼女のバットの扱い方が一般的なのかと思い笑みをこぼした。ただ、すごいな、とは言えなかった。俺と同じで白球にはかすりもしていなかったからだ。

 しかし、わずかながら俺よりも野球の知識を持っているというエリカの言葉を信じるしかなかった俺は真似してバットを頭の後ろで立ててみた。こうかな……何かさっきよりも窮屈に思えるんだが……。

 最初はこんなものだと思い、半信半疑で俺は練習を続けた。

 人間やればできるもので、時速百キロで俺に向かってくる白球は次第に当たるようになってきていた。もちろん当たるだけであって綺麗に前に飛ぶことは一回もない。それでも当たった時には嬉しくて、ついつい後ろを振り返ってエリカを見てしまう。そのたびに彼女は俺に笑顔を振り分けてくれた。ああ、そうか。この顔を見るために俺はこんなところでバットを握っているんだとさえ思った。

 と、いうところで終了のブザーが鳴った。

 朝から休憩をはさんで打ち続けて二時間。もう専用のカードは残高がゼロになったらしく出てこなかった。

 「ふー……今日は帰ろうか」

 「そうですね」

エリカをいつまでもここに座らせておくのも嫌だと思い俺たちはバッティングセンターを後にすることにした。

 『マイドアリガトウゴザイマシタ』

 扉を押して開けるとガサガサの機械音が俺たちを見送ってくれた。

 と、建物から出るとコナツが自転車にまたがって立っていた。

 「あれ、もう終わるの」

 「打つのにはそれ相応の金がいるんだよ。それに」

 手の皮がめくれちまって、そう言おうとしたがやめた。またエリカが自分のせいだと思ってしまいそうだったから。

 「それに、なによ?」

 「なんでもない。だけどな、エリカに教わって少しだけどバットに当たるようになってきたんだぞ! どうだ、すげえだろ」

 「へー、どうせ振り遅れのファールばっかでしょ」

 「ファール?」

 なにそれ? 空振りってことか? 言った言葉が分からずに首をかしげる俺。

 「重症ね……まずは基本的なルールとかから覚えなさいよね。あとバットの握り方とか、これに全部書いてあると思うから、ほい」

 「おわ!」

 コナツは自転車の籠に入っていた袋を俺に放り投げた。

 「万が一、バットに当たって三塁に走られたらたまらないからね」

 「これ開けていいか?」

 「どうぞ」

 封がしてあるテープを剥がして中身を確認する。

 『日本人メジャーリーガー監修! 野球超入門』

 でかでかとタイトルが書いてあるその本の表紙には白い歯を見せる野球選手が写っていた。この人が監修した本なのかな?

 「いいのかこれ?」

 「それあげるからもっと勉強しなさいよ。エリカちゃんに迷惑かけないように」

 「おお~バットはこうやって握るのか~手と手の間隔はあけちゃだめなんだな」

 「……本当に何も知らないのね……」

 しまった。本に夢中でコナツを放置してしまった。

 「ごめん! ありがとな、勉強するよ」

 「してもらわなきゃ困るわよ。負けたら二千四百円返してもらうからね」

 「なんだよそれ」

 「その本の金額。高かったんだから」

 なら買わずに口答で教えてくれよコナツさん。

……でも、俺は一つの疑問を抱いていた。コナツはトラタロウが好きなんだよな。だったら何で俺に投資してくるんだ? 今回の勝負だって俺に負けてほしいはずだろ。エリカとトラタロウを天秤にかけて仕方なく俺に加担してくれてるだけなのだろうか。

 「コナツさん。ありがとうございます」

 「なんでエリカちゃんがお礼を言うのよ。この男が無知すぎるだけなんだから」

 「無知で悪かったな」

 俺がそう言うと、エリカはクスっと小さく笑った。

 そのかわいい笑いとほぼ同時に俺に一粒の雨粒が当たる。その一粒を皮切りに空は一気に薄暗くなって雨が降り出した。

 「やっべ、降り出したな」


 「早く中に入って! エリカ!」


 ガッシャーン、自分の自転車をその場に乗り捨て、怒声にも似た大声を出したコナツはエリカの手を強く引っ張りながら建物の中に引き込んだ。

 「痛っ……コナツさん……痛い……」

 よほど強く引っ張ったのか顔を拒ませるエリカ。

 「おい! 痛いって言ってるだろ」

 見てられなくなった俺はコナツの肩を掴んだ。勃起したがそんな場合じゃない。

 「うるさい! 黙ってて! ここ大丈夫なの? 向こうに行くわよエリカ!」

 俺の肩を振り切り乗ってきた自転車をこかしたままで走り出したコナツ。エリカはそのまま手を引っ張られて連れられてしまった。走っていった先はバッティングセンターに隣接されたショッピングモール。

 何をあんなに怒って、慌てているんだよ。

 ただの雨だろ? 濡れたくないんだったら一人で行けばいいじゃないかよ。エリカがかわいそうだ。それに逆に転ぶ原因をつくってるのはコナツじゃないか。

 コナツの行動で訳が分からなくなった俺はとりあえず二人の後を追った。

 俺が走り出すと雨は強さを増した。


お読みいただきありがとうございます!


RYOです!


なんとか年末締め切りのMF文庫に送りたいと考えております。

できるかなー……w

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