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雨の日の放課後


 その日から俺とエリカは毎日のように放課後を屋上で過ごした。別に男女がイチャイチャして、ヒートアップしてキスだの……その先の展開だの……そんな不純性交友が目的ではない。純粋に俺たちは勃起とオナラ抑制のための特訓を重ねていた。(思春期の男子高生と女子高生が屋上でそんなことをするのは、それはそれでどうかと思うが……)

特訓内容はシンプルだ。まず、自分の尻をわしずかみにする方法で『尻をわしずかみにしてすかしっ屁』ができることを発見したエリカは次の課題である『尻をわしずかみせずにすかしっ屁』ができるように努力をしていた。しかし、いつも結果は失敗。やはり、手を尻に持っていかないとどうしても難しいらしい。

 「また……出ちゃいました……ヒロシ君……もう一度お願いしてもいいですか」

 オナラが出てしまうと決まってエリカはそう言った。

 来る日も来る日も女子高生のオナラを聞いて勃起する日々。

入学式からもう何百回とエリカのオナラを俺は聞いたことだろうか。たぶん、この地球上にいる人類で一番女子高生の生のオナラを聞いたのは俺だろうな。ギネスブックに表彰される覚悟はできている。俺はそんな彼女のがんばる姿を見ているのがこの上なく好き(性的な意味は含まれていませんよ)で、老後を迎えた老人が第二の人生の楽しみを見つけたような感覚でほぼ毎日この屋上に足を運んでいた。

しかし、そんな老後の道楽を楽しむためにはひと手間かけなくてはいけない。コナツの存在だ。あの日、コナツ現象がおこった日からコナツのエリカに対する目が『友達』というよりも『監視』の目に変わっていたからだ。小動物を保護する役職についているかのようなエリカは俺のことを狩猟者と勘違いしているらしく、放課後に俺とエリカが接触することを拒んでいた。だからエリカは放課後、クラス内にズカズカと入ってくるコナツに連れられて必ず校門の外の桜並木が続く坂道の下まで誘導される。そこから吹奏楽部の練習のためにコナツはエリカを見送って学校に引き返す。そしてエリカは下校するフリをしてから目を盗んでこの屋上に戻ってきてくれていた。特訓ならそのまま他の場所でしようと言った俺だったが、エリカは「ここが……ここがいいんです……ヒロシ君と特訓した……この場所が……初めて音が出なかった……この場所が」どうやら、すかしっ屁を成功させたことを忘れたくない、とジンクス的なことを思っているのだろう。そのエリカの言葉から特訓は屋上ですることになった。

理由はあるけど女子が自分の待つ屋上に顔を出してくれるのは妙に嬉しかった。だが、俺も浮かれている場合ではなかった。エリカ同様に、俺にも特殊体質があるのだからな。


勃起とオナラは入学から一か月が経とうとしている今でも、克服できないでいた。




 四月二十八日は雨だった。雨の日の校舎内は晴れの日よりも騒がしい気がする。それでいて、この季節は雨になるとまだ少し肌寒い。

基本的に雨の日は俺とエリカの特訓は中止だ。メインの練習場の屋上が使用不可になるからで、たまには休日も必要だからと休みにしている。が、今日は違った。

 「あ? ……なあ、これなんて読むんだ?」

 「えっと……地球照ですね」

 俺とエリカは図書室の一番奥の席で向かい合いながら分厚い本を手当たり次第に持って来ては机の上に並べた。

『裏月探索』『裏月の歴史』『裏月市の歩き方』タイトルの全てに裏月というキーワードが入っているものばかり。

今日、四月二十八日は誰もが喜ぶ大型連休GW突入の日だった。その連休中の課題であり、一学年の全クラスで行われるレポートの資料を作成するため、普段目にもしない数千の文字と格闘を繰り広げている。レポート内容は裏月の歴史とか伝統工芸品とか暮らしなど、様々な分野でそれぞれがテーマをもって進めていくという、数学や英語などとはまた違っためんどくささのある課題だ。

 クラス内でグループを作っての報告でも個人でもいいという中年担任教師の勝手な発言のせいで、クラス内で孤立している俺たちは秒殺で二人だけのグループとなったのは言うまでもない。普通はさ、二人組を作ってくださいだの、その手の発言は控えた方がいいと思うぞ世の中の教師たちよ。

 「ふわ~あ~……どうよエリカ? いい感じでなにか見つかったか?」

 俺はあくびをしながら適当な質問をエリカに投げつけた。ちなみに俺たちが題材にしようとしているのは『裏月』という名前の由来についてだ。正直俺はなんでもよかった。だが、レポートの説明が記載されているプリントに例題としてそれがあったのでなんとなくそれをエリカに提案した。「ヒロシ君が言うなら……」と、彼女は決まり文句のようにそう言うものだから、それになった。

 「ヒロシ君……大発見です! 裏月の名前の由来には物語があるらしいですよ!」

 分厚い本を机の上にバンっ! 何をそんなに興奮しているんだと言わんばかりにエリカは鼻息を荒くして俺の方を見つめた。恐竜の化石でも発掘したのか君は。

 「し~……エリカさん、静かにしてくださいね~」

 人差し指を口の前にもってきて『静かに』というジェスチャーをした俺。ほら見ろ、貸出カウンターに座っているいかにも図書委員って風貌のモブキャラみたいな女子がこっちに目を光らしているじゃないか。怖いな~。

 「ご、ごめんなさい……」

 「それで、そんなに鼻息を荒くするほどの名前の由来って」

 「え……私、鼻息荒いですか……そんな……」

 「まてまて! 違う! 例えだよ! だから落ち込むな!」

 と、落ち込むエリカを気に病んで声がついつい大きくなってしまった俺。しまった、と思いカウンターをチラっ……よかった、図書委員さんは本を読んでらっしゃる。

 「そ、それで名前の由来にどんな物語りがあったんだ」

 「……はい、もうずいぶん昔からこの辺りは裏月という地名だったらしいです。それでこの本に載っている名前の由来には物語が書かれてて、内容がすごく悲しくて……少しだけ『劇場版マジプリ☆超時空の章』と似ているんです」

 「マジプリ?」

 「あ、すいません……マジカルプリンセスファイヤーです。……そして……近日にその続編の劇場版があります!」

 バンっ! 興奮を抑えきれない子供のようにエリカはまたも机に分厚い本で衝撃をあたえた。おバカかこの子は! ヤバいって! ほら見ろ、さっきの図書委員はもう自分が読んでいた本から完全に目を離してこっちをずっと凝視してるじゃないか! 目つきが鷹の目のように鋭くて痛い! 痛いよ僕!

 「エリカさん。本当にお願いします。お静かに」

 「ご、ごめんなさい……」

 「それで……改めて静かに聞くけど、どんな物語なんだ?」

 「私もだいぶ省略して読んでいたので簡単にですが、時代がはっきり書かれていないので創作されたものかもしれませんが。……遥か昔、一夫多妻制が一般的な時代に貴族のような位の高い男性に恋をした一人の女性がいました。しかし、その男性と契りを交わすにはある条件があったんです。その条件がまた神秘的で、男性の傍にいるためには自らの光をささげなくてはいけなかったみたいです」

 「光?」

 咄嗟に光を連想した俺は図書室の蛍光灯を見る。

 「……ぷっ! くくく……む、昔ですから……その……電気は……ありませんよ……ヒロシ君」

 「わかってるよ!」

 「それに……天井を見上げたヒロシ君の顔……鼻毛が……一本出てましたよ……」

 「なっ!」

 瞬時に鼻に手をやる俺。指で鼻の穴を確認し、かすかにあたる毛を一本力いっぱいに引き抜いた。痛くて涙が出そうになるがこらえた。

「あ~痛かった……で、でも、その光ってのはなんなんだろうな」

 「こういう昔の書物に書いてあるものは具現化していないものが多いですよね。だからこの本にも具体的にその光が何を示してたのか書いてないんです。私、結構こういう古い物語が好きで……中学の時も現代文の竹取物語とか読んで勝手に話を膨らませてました。でも……ぷふっ! この裏月物語に出てくる光は……電気ではないと思いますよ……ぷくくく……ヒロシ君」

 エリカは必死に笑いをこらえていた。思い出し笑いするぐらいならその話題をやめればいいものを……俺の鼻毛が飛び出した顔がそんなにおもしろかったかよ!

 「わかってるって! ってかそんなにウケたのかよ俺の鼻毛が出たバカ面が! ツボ浅いだろ!」

 バンっ! と今度は俺が開いていた分厚い本を机に叩きつけた。

 あ、ヤバ。

 ガタっ……それと同時に図書室のカウンターのほうで誰かが椅子から立ち上がるのがわかった。言わずもがな、立ち上がったのは背後に悪のオーラをおびただしく漂わせた図書委員の女子生徒だ。

 すぐさま野生の勘をきかせた俺は机に叩きつけた分厚い本を腕に抱えながらカウンターに向かった。そして勇気を振り絞り鬼の形相の図書委員に詫びの言葉をかける。

 「これを……借りたいんですが!」

 図書委員に差し出した分厚い本。タイトルは『裏月市の歩き方』と表記されていて比較的文章よりも写真が多い本で、普段本を読まない俺にとっては優しい本だ。

 すると鬼の図書委員は百八十度回転し、カウンターへと地響きをたてながら帰ってった。まるで山奥に生息するクマが人間から敵視をな無くしたような行動だった。

 そして沈黙の中バーコードをとおしてもらい、借りるはずもなかった重量だけ無駄にある分厚い本を抱えて俺とエリカは図書室を出た。

 出るや否や、ズシリと重量のあるスクールバックのせいで腕と気が重い。

 「は~、なんでこんな本を俺が借りなくちゃいけないんだよ」

 「ごめんなさい……ヒロシ君……私が騒いじゃったから……」

 スクールバックを両手でブラブラさせながらエリカは下を向いていた。まるで親に叱られた小学生のように落胆している。

 「違う違う! エリカのせいじゃないって! 誰のせいだろうな……そう! 俺が鼻毛出てたからだな!」

 「ぷくっ! くくく……」

 廊下で笑いをこらえるエリカ。俺の鼻毛が出た顔で笑われているのになぜか怒る気にもならない。むしろとても嬉しかった。誤解されたくないけど、別にマゾ体質で罵声を浴びるのが快感だからとかじゃない。

 「しかもさ、これぐらいのでかいのが出てたからな~上を見上げて、こんな感じか」

 「ぷっ! あはっ! はっはっはっはは、あはははは!」

 ついにエリカは笑いをこらえることができずに大声で笑いだした。初めて見た彼女の笑い声は赤ちゃんが誕生した時の産声のように貴重で、なにより嬉しかった。

 例えるなら小学生の時に好きな女子をかまうような、もっと言えば好きな女子が自分の言った言葉で笑ってくれるような、そんな気持ち。

って、あれ?


 俺……鳳蘭エリカに……恋心をいだいている?


 その時、絶賛青春鉄道を爆走中の俺の耳に亀裂が入るようなガラスの割れる音が飛び込んできた。

『うわついてんじゃねーよバカ野郎』と神様が言ったようにも聞こえた日常ではあまり聞くことのない激しい音に、今まで笑いあっていた俺とエリカは言葉を無くした。

 「あ~あ、誰か割っちゃったのかな、って! エ、エリカ?」

 エリカは俺の背中に自分の豊満な胸を押し当ててしがみついてきた。むぎゅう! っと柔らかいそれは俺を刺激する。こ、こんな時にそんなことされたら……俺も男なんだぞ!   エリカ……決めた! 抱きしめてキスを……。

 「ブッ! ブルルッルルルウッルルッルルル! ……ご、ごめんなさい……私、怖くて……」

 特訓が無かったせいで今日初めて聞くものすごい濁音の一発は、見事に俺の欲情を深い海の底に沈めてくれた。それは、もう、光も届かない海底二万マイルまでね……。

 「ははは……大丈夫だって、誰かが調子にのって廊下でキャッチボールでもして、ガラス割っただけだって」

 もちろん俺も勃起をしている。ただ、いつもより大きめなのは言わないでおこう。

 エリカを怖がらせる演出は容赦をしないようで、エリカを安心させようと言った俺の言葉を雨が降り続く空は台無しにするように、窓の外で一筋の光が発行して、少しズレてから雷鳴が鳴り響いた。

 「きゃあああああ!」

 「エリカ!」

 悲鳴をあげるエリカを俺は勢いよく押し倒した。敵の攻撃を避けるため主人公がヒロインをかばうように豪快に倒れた俺たちは廊下の床で密着する。テンプレでよくある胸をもんでしまうとか、間違ってキスをしてしまうとかは無い。ただ、俺たちの場合は彼女の体に俺の元気爆発中の息子が押し付けられることとなってしまった。なんとも特殊体質をもつ俺らしいじゃないか。はっはっは。

 「ヒ……ヒロシ君……ヒロシ君の……あたってますよ……」

 笑っている場合ではなかった。押し倒されたエリカは恥ずかしそうに手を口に当てて目を細めていた。

 「わ! 悪い! 違うぞ! 雷がだな!」

 「わかってます……」

 エリカがモジモジと体をうならせるから、俺の息子が刺激させられてしまう。ヤバい、いろんな意味でヤバい……このシチュエーションは神があたえてくれた絶好のチャンスではなかろうか!

 が、現実に引き戻すように四~五人の集団の廊下を歩く足音がこちらに向かってくるのが聞こえてくる。さっきまでとは全く違う視点からのヤバさに俺はすぐにエリカの体の上から跳ね起き、エリカに腕を差し出して立ち上がらせた。そして廊下の少し出っ張っている支柱に二人で身を潜めた。

 ちくしょう! 誰だよ! 最高のシチュエーションだったのに! サッカーで言えばゴール前でパスを受けたのにオフサイドトラップに引っかかったような気持ちになった俺は憎きその集団の顔を拝んでやろうと隠れながら目玉が飛び出そうなぐらい眼光を見開く。

 「やりすぎじゃね?」「ばっか、一年になめられてたまるかよ」「ま、あいつクソ生意気だからこれで少しはわかるだろ、先輩の怖さが」「どこの野球部も大抵はこういうのやってるって、バレなきゃ大丈夫っしょ」

 見開いた眼光が捉えたのは野球のユニフォーム姿の生徒たちだ。そして聞こえてきた単語は「野球部」「一年」「クソ生意気」「先輩の怖さ」「バレなきゃ大丈夫」それらをもとに連想されるのは。

 「トラタロウ!」

 一瞬で答えが出た俺はユニフォーム姿の連中が階段を下りていくのを確認してからあいつらが歩いて来た廊下をダッシュで駆け抜けた。そしてその途中で壁を背中にあててグッタリと倒れている一人のユニフォーム姿の生徒を発見した。

 「おい! 大丈夫かよ!」

 「……なんだおまえかよ……なんでもねーよ」

 見ると近くの教室の廊下側のガラスが割れていた。そして床に散らばったガラス片には少量の血がついていた。すぐにトラタロウの体を確認する、左腕から血が流れていた。

 「なんでもないことないじゃないか! すぐに保健室に」

 「うっせーな! 大丈夫だって言ってんだろ!」

 左腕を自分の手で押さえながら俺を野生動物のように威嚇するトラタロウ。なんでこいつはこんなに人と接するのが苦手なんだよ。

 「トラタロウ君……ヒロシ君……トラタロウ君ケガしてるんですか?」

 後ろを振り向くとエリカも俺の後を追って来たようだ。

 「と、トラタロウ! どうしたのよ! ケガしてるじゃない!」

 そしてタイミングが良いのか悪いのか、目の前にコナツが金管楽器を抱えて目を丸くしていた。吹奏楽の練習の途中だろうか。

 偶然にも輝き寮の四人が集結した。この一か月、あの輝き寮パーティー以来の光景だった。

 「ぞろぞろ来やがって……ウザいんだよ」

 「さっきの野球部のやつらにやられたのか?」

 「だったらなんだよ。あいつらが下手くそだから本当のこと言ってやっただけじゃないかよ。そしたら袋叩きにしやがって……群れなきゃなにもできないクソどもが」

 廊下につばを吐きかけるような勢いでトラタロウは愚痴を言い始めた。話だけ聞いているとおまえが下級生らしからぬ態度をとったんじゃないか、と思えてくる。

 「そんなことどうでもいいから血を止めなきゃ! ハンカチ……あれ……こんな時にどこにいったのよ! もう! 私のバカ」

 コナツが自分のスカートのポケットを無造作に模索していると、見かねたエリカは静かに真っ白なハンカチを取り出してトラタロウが手で押さえている辺りをそっと止血しようとした。

 エリカのオナラが出ちまう! と、思った俺だったがエリカも考えて行動していた。右手で傷口にハンカチを押さえつつ、左手はさりげなく自分のお尻を触って、広げていた。なかなか頭脳犯じゃないかエリカさん。いや、頭脳犯とか言ったら悪い人みたいだな。

 「なに勝手に触ってんだよ! コミュ障はどっか行けよ!」

 怒声と共にトラタロウは無情にもエリカの差し伸べた手を引っ叩いた。その瞬間にエリカは左手を自分のお尻から離してしまう。

 オナラが出ちまう! 人間が本当にヤバいと思った行動は本当にすごい。火事場の馬鹿力という言葉があるように、俺の脳と体は一瞬でこの状況の打開策を見つけた。

 これしかない!

 コナツの金管楽器を奪い取りそのまま思いっきり腹から空気を送り込む。

 「ボオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」「ブッルルルルルルッルルルルルルルルッルル!」

 吹き方なんてわからなかったが無我夢中で吹いた。廊下にはオナラと金管楽器の夢のハーモニーが響きわたる。

 「ぷはっ! はぁ……はぁ……過呼吸になるぞこれ……」

 「ちょっと、あんた何勝手に私のトロンボーン吹いてんのよ! マウスピース越しにキスしちゃった……」

 怒っているコナツがいたがそれどころではない。なぜなら、コナツ以上に数千倍の怒りが蓄積されている俺がいるからだ。

 金管楽器をコナツに静かに預けると、俺はトラタロウに音もなく近づく。

 「トラタロウ……今……なんて言った……」

 生まれて初めてだ、こんなに人を跡形もなく消し去ってやりたいと思ったのは。

 「なんだよ、怒ってんのか? そいつが頼んでもないことしようとするからだろ」

 心の中が麻痺するような感覚になった俺はこいつと話しても無理だと悟り、渾身の力でやつの頬を殴りつけた。座ったままのトラタロウは横に寝転がるように倒れた。

 こんなものでは怒りが収拾つかない。

そのまま俺はやつの胸ぐらをつかんでもう一発殴ろうとした、が俺の右手は優しい手に掴まれてた。


 「ブルルッルルルウッルッルルルウッ! ……やめて……やめて……やめて……やめて……やめてください……ヒロシ君……」


 怒り狂った俺は一瞬で我に返った。

 エリカは頬から大粒の涙を流して、悲痛な表情で俺を見ていた。

 俺が我に返ったのはその涙もあるが、彼女が俺のために辱めをかえりみず、廊下に濁音を響かせたことにある。自分が犠牲になってでも、そんなこと構わない、そんな彼女の優しさが俺の心を苦しく、そして俺をみじめにさせた。

 「……ごめんな、守ってやるはずなのに……」

 「違いますヒロシ君……悪いのは私です」

 「殴りやがって! クソが! 口の中きれちまったじゃねーか!」

 壁に背中をさすりながらなんとか上体を起こしたトラタロウはまだ俺に殴られたいのか黙らない。こいつも、もしかして。

 「おまえも俺たちと同じなのかもな」

 ふいに脳内で考えていたことを口にしていた。

 「同じだと? ふざけんなよ!」

 「ふざけてないさ。おまえも特殊なんだよ。ただ、おまえの場合は人と群れようとしない一匹狼なだけなんだよ。不器用で、優しくされたらどうしていいかわからずに心と正反対の自分が出てしまって、他人を傷つける、常に刃物を振り回してるみたいな感覚なんだろ。それは立派な特殊体質だと思わないか」

 俺は何を言ってるんだ、と自分で思う。恥ずかしいとかじゃなくて誰かが代弁しているようにスラスラ言葉が出てきた。アフレコされているみたいだ。

 「きれいごとばっか言いやがって! キモイんだよおまえ!」

 「トラタロウもう喋らないで!」

 口から血を飛ばして怒鳴りあげていたトラタロウにコナツが叫んだ。彼女もまた泣いていた。

 「違う……私の知ってるあなたはそんなのじゃ……ない」

 そう言い、生気を吸い取られたようにその場に膝をつくコナツ。

 「おい! 大丈夫か!」

 コナツに駆け寄ろうとしたその時、彼女は殺人犯のように死んだ目で俺を睨む。静寂に包まれた森のように静かに、アイスキューブのように青く、冷たくだ。

 背筋が凍る。こんな体験は初めてで、金縛りにあったように俺はコナツに近づくことができなくなった。

 俺の代わりにエリカがコナツの傍に近づく。エリカは傍に近づくときに何か声をかけながら寄り添って行ったが、その言葉が脳に届かない。だが冷徹なコナツの視線から目を逸らしてしまうと、廊下の床のクリップコートの緑の海に俺自身の体が呑み込まれる、そんな錯覚をも引き起こしていた。

 なんだよあの目は……ただ、人が怒るという感情で作り出せるものじゃなかった、言うなれば絶望のような目にも思える。

くそっ! なんなんだよ。コナツ現象といい、彼女は世界の秘密を握っているとでもいうのかよ。


 「あんたたち、そこまでぞ……そこまでにしなさい。話は後で聞くからケガしてるトラタロウは保健室。そうじゃない子は輝き寮に速やかに下校すること。まったく……廊下でケンカしてるって来てみたら、そろいもそろって同じ屋根の下で暮らしているあんたたち四人とはね……先が思いやられるぞ……わね」


 いきなり現れた真白先生は腰に手を当てて深くため息をついた。この騒ぎで誰かが呼んできてくれたのだろう。

 真白先生の登場でコナツは俺から視線を逸らした。

この場は終わりを迎えようとしていた。

 だが、俺の冷や汗はまだ止まる気配がない。


お読みいただきありがとうございます!

RYOです!


聲の形を先日観てきました。今執筆している勃起と少し似ている?ところもあるので参考になりました。以上です!


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