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勃起の正体とオナラの真相


五月五日は一日中、雨が降り続いていた。

俺が搬送された病院から駅二つ乗り継いだところに裏月神社は存在する。したがって電車での移動になったわけだが、この服装は正直恥ずかしかった。思いっきりパジャマ姿(病院の服)で電車に乗ったため周りの視線が香辛料のように降りかかってきて俺の顔を真っ赤にさせた。

 しかし、よく病院を抜け出せたものだ。雨で視界が悪かったとはいえ、さすがに病院の中庭を通り抜けるときはダメかと思った。途中で白衣を着た人にめちゃくちゃガン見されてたけど大丈夫なのか?

 「ここまで来れば大丈夫だからその挙動不審な動きやめてくれない? 周りから見たら完全に美人女子高生を狙う不審者よ」

 電車を降りてからビニール傘が一つ、そしてそれを追うようにもう一つが裏月神社までの道を辿っていた。

 「自分で美人とか言うなよ。だってよ……本当に大丈夫か?」

 「影武者も置いてきたし大丈夫よ」

 「いや、あれは時間の問題だと思うが……」

 「それに、もうこの世界には戻らないと思うわよ」

 「は?」

 「ううん、正確には……えっと……もうひとつの世界に行くことになるんじゃないかしら」

 「もうひとつの世界……?」

 頭上にハテナマークを浮かべた俺を見たコナツはピタリと立ち止まる。そしてこちらを驚いた表情で振り返った。

 「え? ちょっと待って……あなた……」

 「わー! 待て待て待て! こっちが待って、だよ! いいか『あなたは誰なの?』は絶対に言うなよ? そのワンフレーズにどれだけ被害を受けたことか……」

 「何のことよ? それよりも……ヒロシって表の世界から来たわけじゃないの?」

 不快な表情のままコロっと首だけを横に傾けたコナツは、いきなりファンタジー的な、はたまたSFチックなことを口にした。

 「さっきから聞いてれば別の世界がどーとか言ってるけどさ、何のことだよ? ……そういえば月御門って男も同じようなことを口にしていたような」

 「月御門! やっぱりヒロシも表の世界から来たのね?」

 「知ってるのか? あの男のこと?」

 「裏の世界に来る時に裏月神社で出会ったの。って、今のあなたに言っても頭がおかしいと思われるだけかもね……今から話すこと笑わない?」

 少し間が空いた。ビニールの傘に雨粒が当たる音が強調されて聞こえるせいでコナツのつりあがった目つきに迫力を増している。

 「笑うも何も、俺もその男に出会っているから信じるしかないだろう」

 「そう……なら話す。えっと、歩きながら話しましょう。私の体験を誰かに言うの初めてだから……その……妄想バカ女かって思われたら嫌だし」

 「俺もいろんな体験してきたからな。今更コナツの口から何が飛んで来ようとも驚かない自信がある」

 異性が近づくと勃起する、オナラをする。話すとすれば俺やエリカの特殊体質の方が百倍ぐらい恥ずかしいしな。

 少しうつむき、考えてからコナツは小さく頷いた。そして足元のアスファルトに微量にたまった水滴をピシャピシャと音をたたせながら歩き出した。

 「あのね……あたしは表の世界から来たの」

 コナツはこの世界の人間ではないというジャブを話の初っ端からクリティカルヒットさせられてしまった。だが大丈夫だ。話の流れ的にこれぐらいは予想していた。

「今あたしたちがいるのは裏の世界。表の世界と裏の世界には違いがないの。表の世界に裏月高校があれば裏の世界の同じ場所に裏月高校は存在する、みたいにね。だからこっちに来てもなにも変わりなかった。夢が三つあるってあたしが輝き寮で話したの覚えてるかしら」

 「ゆめ……夢……夢ね……」

 「その鈍い反応、ああ、覚えていないんだったわね。一度同じ質問をあなたに話したのを忘れていたわ。一つ目はトラタロウをこの世界で救うこと、もう一つはエリカちゃんを救うことよ。そのためにあたしはこの裏の世界に来たの。月御門の力を借りてね。そしてあの輝き寮の自己紹介でそれとなく願いがあると言ったのわね、存在が謎だったあなたがこの発言に対して何か反応をしめすか試したのよ。もしもあなたがあたしと同じように月御門の力でこっちの世界に来ていたのなら何か反応を見せるんじゃないかって、でもあなたは特にこれといった反応をしめさなかった」

 覚えていないがそうだったのか。三つめは何か聞こうと思ったが、それよりも気になったのは夢がトラタロウとエリカを救う、ってことは、表の世界で二人の身に何があったのだろうか。

「あのさ、話しにくいかもしれないが、その……表の世界ではなにがあったんだ?」

不謹慎かもしれないが俺は話の深いところをえぐるように聞いた。

案の定、コナツの表情が曇った。

 「表の世界では最悪だったわ。まずトラタロウ。こっちの世界では時期が違ったけど、あの性格だから大会直前に野球部で部内暴力があってね、利き腕を完全にダメにされたの。それで二度とボールが投げられなくなって……最後は落ちぶれた挙句に変なやつらと絡んで、山道をバイクで爆走中にガードレールに衝突、吹っ飛んだ体の行先は真っ逆さまの崖でね……死んだの」

 コナツの一言一言は雨音に遮られることなく俺の耳に突き刺さる。耳クソはたまってないつもりだが、俺は反射的に耳の穴をかっぽじっていた。

 「エリカちゃんは入学当初から誰ともかかわろうとしなくて、何か悩みみたいなのを抱えてたんじゃないかって思う。でも最後まであたしはそれが何なのか分からなかったわ」

 コナツの話す表の世界のエリカも、もしかしたら特殊体質を引きずって生きていたのだろうか。

「理解してあげられないまま時間が過ぎて、GWの五月五日、ちょうど今日みたいに雨が降っていてね。私とトラタロウは部活の練習、真白先生も学校へ、そんな時輝き寮に残っていたエリカちゃんの元に雷が落ちたの。そして今回と一緒で輝き寮は火事になって……焼死体で発見されたわ」

五月五日、表の世界での出来事は少しズレている。こちらを裏の世界と呼ぶのなら、裏の世界では五月四日の一日前に火事は起きた。だから輝き寮に落雷が落ちた時にコナツはあれだけ衝撃的な顔をしていたのか。

そして話を聞いて疑問に思ったことをふいに質問する。

「あのさ、表だの裏だのの世界にそこまでの変わりはなんだよな?」

「ええ」

「だったら裏の世界の沖田コナツはどこに行ったんだよ? 会ったらパニックになるだろ」

「消滅するらしいわ。だからあたしがこっちの裏の世界に来た時に確認したけど、裏月高校に在学する沖田コナツという女子高生はいなかった。同じ命は一つの世界に二つとして存在できない。って月御門の言葉そのままの受け売りだけどね」

「そうか……ん?」

ちょっと待て。

俺は重大なことに気づき眉を細める。

「おいコナツ。俺は? その表の世界で俺は何をしてたんだよ?」

「この話で一番にあなたに話したかったのはそこなのよ」

「え?」

「あなたは表の世界にいなかったの」

再び二人してその場に立ち止まる。

俺とコナツの横をトラックが排気ガスをまき散らしながら過ぎ去っていった。だが、彼女も俺もそんなこと一切気にせずにお互いを見つめたままでいた。

「ちょ、ちょっと待てよ。表の世界と裏の世界は変わりないんだろ? コナツがそう言ったじゃないか。だったら俺だって輝き寮にいるし、裏月高校にだって生徒で在学してるはずだろ?」

「立川ヒロシ、なんて生徒はいなかった。輝き寮にも私、エリカちゃん、トラタロウ、それに真白先生の四人だけだったの」

「待てよ、なんだよそれ、俺は……」

「だからあたしは何度も言ったわよね……あの言葉を……だけどその度にあなたは頭を抱えてその場に倒れこんだり、あたしの前から走って逃げたりした」

自分がひどく気持ち悪くなった。エリカの秘密を知っているのは俺だけだから、オナラを克服するために手助けをする。なんていう今までの自分の行為がすべて偽善者ぶったお節介やろうだったんだ。完全に部外者、輝き寮に必要のない人間、俺はただコナツ、トラタロウ、真白先生、それに……エリカを振り回していただけじゃないか。

ましてや、存在しないはずの俺の存在自体がこの裏の世界の歯車を少しずつ狂わせていって、最終的にトラタロウの部内暴力、そしてエリカの死期を一日早めてしまったのかもしれない。

ああ、エリカに会いたい……あの日、裏月神社で言ってくれたよな、俺はエリカにとっての大切な人と。だけど違ったみたいだエリカ。俺はただの疫病神だったらしい。

「俺は……疫病神だな、いや、死神か」

「落ち込んでるの?」

「あたりまえの反応してるだけだろ……何なんだよ俺は……自分が気持ち悪い……俺は生きてていいのかよ」

「それを確かめるためにあそこに行くんでしょ」

コナツが指さした。その先には赤い小さな鳥居が見える。

「そしてそれだけじゃないわよ。あの場所でエリカちゃんを助けるために月御門にもう一度お願いするのよ」

「お願い?」

「古く伝わる裏月の伝説さながら、光を月御門に献上するのよ。それで願いが承諾されればその願いは叶う。実際にそれをした人間が言ってるんだから信じなさい」

そう言うとコナツは鳥居に向かって歩みを再開させた。その後を死者のような足取りで俺も歩く。パジャマの裾の部分が少し濡れているのと消えてなくなりたい気持ちを引きずった俺は足取りが重い。

コナツが取り戻したかった日常を俺の意味不明な存在のせいで無くしてしまった。そんな人間がエリカを助けるなど頭がおかしい。

俺は必然のように歩みを止めた。

すぐにそれに気づいたコナツが振り返った。

「なにしてるのよ。行くわよ」

「ごめん、無理だ」

 「は?」

 「だって普通におかしいだろ。俺がこの世界に存在しているせいでエリカの死期がズレて助からなかった。そんな俺がどの面さげて『もう一度助ける』なんて言えるんだよ。俺は必要ない人間なんだ。だから月御門のところにはコナツ一人で――」


 ――パンッ!


 本日二回目のビンタは一回目よりも少しだけ優しかった。

 「ふう……ごめんね。勘違いしてるみたいだから殴ったのよ。あなたは疫病神でも死神でもない。その証拠にね、この世界にあなたが存在したことで救われた命があるのよ」

 「……え……」

 「あたしの話聞いてなかったの? トラタロウよ。表の世界で肩を壊されたって言ったけど、主犯は川井先輩よ」

 「川井先輩って……グランドで俺が殴った……」

 「そう。表の日と比べて事件の日は二か月ぐらいズレてたけどトラタロウは襲われた。でもね、結果は同じにならなかったのよ。何故だかわかる?」

 さっきまで眉間にしわを寄せていたコナツは微笑んだ。

 「俺がその場にいたからエリカが来て……感情的になった俺が川井先輩を金属バットで」

 「あなたがいたから、エリカちゃんが勇気を振り絞って止めてくれた。そしてエリカちゃんが暴力を振るわれたことであなたは怒った。もっと言えばあなたがトラタロウと勝負をすることになったから、そうした事がいくつも重なってトラタロウは肩を壊されることなく今も野球を続けられているし、以前よりも明るくなった」

 そうだったのか……だからあのスーパーの帰り道にコナツは俺に礼を言ったのか。願いが叶ったから……だったのか。

 「どう? 少しは自信もてたかしら? だからさっさと行くわよ」

 微量、わずかに、ほんの少し、気持ちが楽になった俺は頷くことなく歩き出す。確かにコナツは気持ちを楽にしてくれたけど、別にビンタしなくてもよかったんじゃないか? それも一日に二回も女の子に殴られたのなんて人生で初めてだ。

 いや、実は初めてではないのかもしれないな。もしかしたら俺の知らない裏の世界の俺が殴られているのかもしれない。そんな空虚な事柄を考えつつ、俺とコナツは鳥居をくぐり、参道を歩いて行く。

 町中に裏月神社はあるのだが、この一角だけは切り取られた森のように木々が生い茂っている。そのせいでまだ正午にもかかわらず辺りは薄暗く不気味だ。

少し歩くと賽銭箱が置かれているだけの場所にたどり着いた。

 目の前に石段がある。あの場所で俺はエリカと横に並んで座って、エリカに大切な人と言われて、調子に乗った俺がキスしようとして……。

 あの時を思い出して急に眼がしらが熱くなった俺は押し殺すように発言する。

 「こ、ここでいいのか?」

 「違うわ。ここは『拝殿』よ。あたしが月御門に会ったのはこの奥の『本殿』と呼ばれる建物。そこに彼はいる」

 歩みを止めていたコナツはそう言うと神社のさらに奥へと姿をくらませる。俺もその後を追うように『拝殿』の脇へと続く石畳を進む。

 二十メートルほど離れたところに『本殿』は存在していた。辺りが暗いせいか、それとも雨で視界が悪いせいなのか分からないが、不気味だ。異様な雰囲気の本殿は俺たちが中に入るのを拒んでいるようにも思えた。

 「怖いの?」

 そんな立ち止まった俺を茶化すようにコナツがふいに声をかけてくる。

 「そ、そんなわけないだろ。ちょっと考え込んでただけだ」

 「あたしはものすごく怖いの……」

 「え?」

 よく見るとコナツはガタガタと寒さに耐えるように膝から下が震えていた。人の頬を二回も殴るような女が何を身震いしてんだよ、と言おうと思ったがさすがにそれは可哀想だと思った俺は彼女の手を優しく握った。

 「ちょ、ヒロシ! なにして……」

 「握らせてくれ、俺も怖いんだよ。コナツの話を聞いた後だから特にな。この先で何が起きるかわからない。それに違う世界に飛ばされるとかもそうだけどよ、何より俺は誰なのかがはっきりする……それがめまいや吐き気がするほどに怖いんだ」

 「ヒロシ……」

 実際にそうだ。この本殿の雰囲気だけを怖がってるのではない。この先で待ち受ける真実を受け入れなくてはいけないことに俺は恐怖心を抱かずにいられなかった。

 「わかった。しょうがないから握らせてあげる。行くわよ」

 「しょうがないって……ああ、行こう」

 握った手から俺の震えが伝わらないように必死だった。

 石畳を一歩一歩歩いて本殿に近づいていく。

 そして大きな木造の引き戸の目の前にまで来た時、コナツと俺は互いに顔を見つめあってから一緒に扉を開けた。

 中は真っ暗闇で、まるでコナツ現象を連想させる。嫌な感じだ。ツンと鼻に伝わってきたのは図書室のような古い書物の匂い。それは長い間放置されていたことを俺に訴えかけてくると同時に、どこか懐かしくも思えた。

 「何も……ないな」

 「この何もないところであたしは願ったの」

 「ここでか」

 「そうよ。この部屋の真ん中の辺りに座って願った。今からそれと同じことをするわ」

 「わかった……んっ? コナツ?」

 コナツは俺の手をさっきよりも強く握る。

 「ごめんなさい。めちゃくちゃ怖くてね。一緒に来てくれないかしら」

 普段は強気なコナツが見せた仕草と言動に俺は驚くことを忘れて、深く頷いた。

 本殿の中に二人で足を踏み入れる。

 ギシ……ギシ……ギシ……。

 俺たちが歩くのに連鎖して床が奇妙な音をたてる。その音は俺たちが侵入してくるのを拒む本殿の怒りを買っているようにも思えた。

 そして何歩か歩いたところでコナツは足を止める。

 「この辺りよ……」

 震えた声のコナツはそう言うと、その場に座り込んだ。俺も同じようにその場に腰を下ろした。

 「ここで願ったのよ」

 「どんな内容を願ったんだ?」

 お星さまにお願いをするお姫様の様に、目を閉じてコナツは祈りを捧げた。

 「……二人を……鳳蘭エリカと大南トラタロウを返してください……って」



 ――コナツが祈るように言葉を発すると、俺の目を強烈な光が襲った。



 まるで太陽を直視したようなその光線の衝撃に俺は倒れ込んだ。

 「な、なにが……」

 真っ暗闇でいきなりこれはキツい。ライトにでも照らされたのか?


 「お、おい! 聞いたか相棒よ! 女子の今しがた言い放った言葉を!」


 だ、誰だよ。俺に喋りかけてきているのは。

 次第に目が回復してきた俺は辺りを確認する。どうやらさっきまでいた本殿の中にいるらしい。今の今まで真っ暗闇だった本殿は明るい。外は夕方らしく黄金色に染まっている。そして次に目に飛び込んできたのは、倒れているコナツだ。

 『お、おい! コナツ! しっかりしろ!』

 大声でコナツを呼んだ、しかし反応は無い。気を失っているようだ。そしてよく見ると彼女はさっきまで着ていた私服ではなく、裏月高校の制服に身をまとっている。

 「鳳蘭の血筋は絶えておらんかったぞ! 余がいなくなった片方の世界で強く生きておったということだ!」

俺は声のする方へとゆっくり視線を送る。

薄い青の着物に白い帯、腰には刀、そして色白で男前……こ、こいつは月御門歳三じゃないか。

月御門はコナツ現象の中で会った時とは別人のような屈託のない少年のような笑顔で俺に喋りかけていた。

『おい! 月御門! 約束通りここへコナ……女子を連れてきたぞ! これでエリカを生き返らせることができるんだよな?』

 「何故そんなことがわかると申すのか? ふふ、相変わらず余を見くびっておるのだな。案ずるな、鳳蘭という性は二人としてこの世におらんからだ。……呪われた名だからな」

 俺の言っている言葉が全く聞こえていないのか月御門の応えはちぐはぐだ。確かに俺は脳で思ったことを普段通り言葉にしているのに何故だ? まるで今の今までいた世界とは時間が違う世界にいるようだ。

 「相棒に話すのは初めてかもしれんな。鳳蘭というのは余がこの世で一番愛していた女性の名だ。ふふ……なにか照れくさい気がする。七百年前、余は多くの女性に求婚され、とても幸せだった。だがな、余が心の底から愛していたのは華やかな貴族の女子ではない。庶民であった鳳蘭という、それはそれは美しゅう女子だった。余と鳳蘭は互いに魅かれあいながら相思相愛の仲、しかし世の中というのは残酷極まりない。庶民と余のような貴族とは断固として結縁することを誰も許さなかった」

 『相棒ってのはやっぱり俺のことらしいな。鳳蘭はそんな昔からの家系なのかよ。それより呪われた名ってのはどういうことだよ、って、言っても無駄か』

 「そんな時、鳳蘭は正体不明の病に見舞われた。病名も分からない。治し方も分からない。だが、弱りゆく鳳蘭から目を背けることはどうしてもできなかった。その時、余は陰陽師としての力を使うことを心に決めたのだ」

 陰陽師だと? 吉凶を占い、幻を現し、時には鬼さえも操ったと言われる古代の日本に実在した魔法使いのようなやつか……って、なんで俺はそんなに陰陽師に詳しいんだよ。

 「こうして七百年ものあいだ実体をもつことはできないが、悠久の時を生き、今現代で相棒と話せているのも余が陰陽師だからというのは出会った頃に話したな。しかし、余がこの力を使うには重要な素材が必要。それは光。陽の光を浴び、夜にひっそりと、はかなく輝く月と似ている」

 『光……』

 脳裏に浮かび、思い出されるのはエリカと図書室で話した裏月物語。ある貴族の男と結縁を結ぶには光を差し出すという幻想物語。まさか……。

 「余は最低な考えを思いついてしまった。いや、最初からずっと考えていたが禁断の手段として秘めていたことだ。今思うとあんなことをしたがために鳳蘭を地獄の苦しみに陥れてしまったのかもしれん。余は……求婚を迫る女子達に対して、余に光を差し出せば誰とでも結縁を結ぶと公言してしまった。そう……光というのは人が見ることのできる代物、つまりは瞳の光」

 俺は自分の唾液を喉が鳴るほどに呑み込んだ。光、それは視力だったのかよ。現代では考えることのできない代償でさえ七百年もの昔ならば可能であるように聞こえてくるから不思議だ。

 「結縁を結び、女子達の光を余が集めて鳳蘭に差し出す。そのかいあって鳳蘭は寝たきりの体であったが、翼が生えた雛鳥の様に自由を取り戻すように回復していった。……しかし、余の犯した罪を神は見逃さなかった。真相を嗅ぎつけた結縁を結んだ家柄の一族たちはその事実を知ると鬼のように怒り狂い、余は屋敷で追いつめられ、殺される寸前にこのもう一つの裏の世界に逃げ込んだ。しかし、鳳蘭を連れ出すことはできなかった。もちろん裏の世界にも鳳蘭はおった。しかしな、そこで見たのは余が結縁を結んだ女子達によって呪いをかけられ二度と異性に近づけない辱めの体にされた鳳蘭の姿。おそらく、他の陰陽師の力を借りて表と裏、両方の世界の鳳蘭に呪いをかけたのだ。すなわち呪いとは異性が近づけば放屁してしまうというもの」

 『おいおい、放屁って、そういうことかよ……』

 明かされたエリカの特殊体質の秘密を知った俺は迷宮入りを余儀なくされていた難事件を解き明かした探偵の気持ちになる。緊張でオナラをしてしまうとかそんな安易なものではなかった。七百年もの長い呪いを引きずってエリカは生きていたんだ。

 「後悔した……鳳蘭が生きることが彼女の幸せであると本気で信じていたことから招いた失態だ。余はその罪深き失態を一生抱えて生きることとした。この裏の世界で、裏月神社に居座ってな」

 月御門はそう言うと俺の方へと歩み寄ってきた。そしてさっきまで悲しい表情だったのが一変してニコリと口角を緩めると俺をひょいっと抱き上げた。

 『へ? ……俺……こんなに小さかったか?』

 まるで母親が赤子を抱き上げるような仕草で、俺は月御門に持たれている。

 「先ほど参った女子が口にしてくれたおかげで、あの日、忘れることなど到底できなかった鳳蘭の存在を見つけることができた。だから余は決めた。相棒、力を貸してくれ」

 『ちょっと待て、なんだよこれ……俺は……』

 疑心暗鬼になりそうなぐらいに自分自身の存在を疑った俺は必死に答えを求めて四方八方へと視線を張り巡らす。すると時間の経過によって夕焼けの光が本殿に差し込み始めた。おかげで月御門の後方に置かれている丸い鏡が俺の姿を映し出している。そこに映った姿……長く伏せられていた答えを一瞬で俺に教えてくれた。



 月御門に抱き上げられていたのは、真っ黒な体毛、大きな瞳、ひょこ、っと真っすぐにとがる耳。


俺は……猫だった。



 衝撃を強く受けた時に『声にならない』とはよく言ったもんだと思う。それを肌で実感した。起床して洗面台に向かって顔を洗う。鏡の前で何気なく覗いた視線の先の姿がまったく想像もしていなかったものだったらどう思う? 二度見どころではすまない。起床してすぐのことならばひょっとするとまだ夢の中なんじゃないかと思うかもしれない。頬をつねるかもしれない。

 だが俺は頬をつねることすらできない。手がプニプニの肉球だからだ。できるのはせいぜい顔をかくことぐらいだ。

 「余はさきほどの女子から光を授かった。しかし、まだ年端もいかぬ女子、この先の人生も考えて光は微量にしておいた。したがって直接的な表の世界への干渉はできないのはもちろん、人間一人の決まった死期を変えるのだから容易ではない。そこで相棒、おまえを表の裏月へ人間として転生する。そう案ずるな、人間社会の知識は蓄えてやる。そして鳳蘭は現代においても呪いを受けて生活しておる。相棒にも同じ苦しみを分かち合う人間として鳳蘭の傍で支えになってもらう。そうさな……異性に近づけば不快感を与える体質をしてもらう。どんなだと? それは向こうに行ってから知ることにしろ」

 月御門は俺の目を力強く見つめた。

 「名は月御門……は、現代では目立つからな、それなりの名を用意しておく。そして猫であった記憶を思い出しそうになった時、すなわち、先ほどの女子に深く接触しそうになった時に強制的にそれを拒むから気を付けろ。いいか、おまえの記憶は消す。だがこれだけは忘れるな……」

 目を閉じてから、月御門は再びゆっくりと瞳を開き、俺を凝視する。



 「鳳蘭……鳳蘭エリカの運命を変えろ」



 その言葉を耳にした瞬間、またもや俺は強い光を全身に浴びる。

 その際に脳に飛び込んでくるいくつもの風景。アルバムをめくるようにいくつもの写真と声、動きが脳内で勝手に再生される。

 これは、猫であったときの記憶……時間……思い出だ。

 俺は裏月神社を根城とする野良猫。この表の世界で月御門に出会い、話し相手になり、一緒に暮らす。昼間は街を探索したり、日向で寝たり、雨の日は公園の遊具で雨宿りをしたりした。

 はは……思い出したよ……俺は人間なんて大層な生き物じゃなかった……猫だったよ。




 再び目を開けると、真っ暗闇の本殿でコナツが倒れている。さっきまでいた夕焼けが差し込んだ光景じゃないことを察すると、また裏の世界に戻ってきたと、自覚した。そしてすぐさま自分の姿を手探りで確認する。よかった……どうやら『立川ヒロシ』の姿をしている。五月五日の、病院を抜け出した時の裏月神社だ。それじゃ、さっき俺が見ていたのはコナツが一度目に月御門を訪問した直後のことだったのだろうか。

 「月御門の記憶を見ていたのか……」

 「そうだ。相棒に記憶を取り戻してもらいたくてな。少々手荒だったのは申し訳ない」

 後ろを振り返ると、月御門が亡霊のように気配を消して立っていた。

 「月御門全部思い出したよ。ありがとう」

 「容易いことよ。それより、余の願いだ。もう一度だけ相棒とそこに寝ておる女子に鳳蘭救出を頼みたい」

 「わかってる。俺も同じ気持ちだ。だけど光はどうする?」

 「女子から頂戴する」

 「ちょっと待て、コナツはもう光を与えたんだろ?」

 「ああ」

 「だったら、視力そのものが無くなるんじゃないのか?」

 「可能性はあるな」

 「そんなことできるか! 俺の視力を奪え、それでもう一度」

 「猫のおまえに人間の輝きがあるものか。不可能だ」

 「くそ……」

 俺は所詮、猫ということか。


 「いいわよ……あたしの光を……使ってちょうだい……」


 人間の容姿をしながら無力な自分を責めていると、コナツがむくりと重そうに体を起こした。

 「コナツ、大丈夫か」

 「驚いたわ、まさか……『あなたは誰なの?』の答えが猫だったなんてね」

 「コナツも今の見ていたのか?」

 「ええ……ただ、あたしの姿は猫さんには見えていなかったみたいだけど」

 「もっと驚かないのか? 俺が表の世界で猫だったことに……はっ! まさか本当は表の世界でコナツも猫だったんじゃ……」

 「そんなわけないでしょ!」

 俺でさえまだ受け止められていない事実なのに、コナツはいつもと変わらない。

 「ったく……驚きすぎた感情が一周回ってどーでもよくなってきたわよ。でも思い返してみればヒロシがエスカレーターを初めて見たとか野球の基本的なルールを知らないとか、常識が欠落してるところが何故なのかこれでわかったわ」

 そういえばそうだった。俺はコナツに不思議がられたことが度々あったな。それにどこの中学だったのか、両親の顔も実家もわからなかったっけ。記憶がないとか、そういうレベルじゃなかったということだ。

「それよりも、エリカちゃんを救えるのなら、もう一度あたしの光を使って、それで過去に戻してよ」

 「過去に戻すことはできない」

 「え?」

 「女子が裏の世界に一か月前に行けたのは表の世界と裏の世界との差がそれだけあったからだ。多くの人間は、過去に戻す、いくつもある並行世界に行く、などと幻想を抱いているようだが、この世にあるのは二つの世界のみ。表と裏だけ。したがって、女子は表から裏の世界に行っただけのこと。今いる裏の世界から行けるのは五月五日の表の世界ということになる」

 「嘘でしょ……じゃあ、もうエリカちゃんは救えないの?」

 「大丈夫だ」

 月御門の矛盾した言葉に首を傾ける俺とコナツ。

 「もったいぶらずに早く言ってくれよ」

 「さっきも言ったがもともと表と裏の世界では一か月以上の差が生じておるのだ。女子が一度目に裏の世界へ行った時も三月の下旬であったように。不幸中の幸いとでも言えようか。五月五日の現時刻ではまだ表の世界の鳳蘭は生きている。今の時刻のまま表の世界に行けば火事は起こっていないやもしれん、まだ鳳蘭は生きている。そこで鳳蘭を救出できれば未来は変わる。裏の世界で起きた火事が一日前だったことでこのような希望が生まれた」

 「エリカが救える……」

 ゴクリと喉を鳴らしてコナツを見つめた。

 「そんなもの欲しそうな目であたしを見ないでよ。セクハラで訴えるわよ」

 「いや、強要するようでごめん……光はコナツのものだ。コナツが決めてくれ」

「エリカちゃんが救えるのなら……光をあげるわ。でも一つ聞きたいの。本当に救えるの?」

 「鳳蘭の死因は火事による焼死。しかし、決定的だったのは爆発だ。そしてそれを引き起こしたのは皮肉にもあの呪い」

 「まさか……」

 俺は馬鹿みたいな仮説をたてた。

 オナラが室内の火に引火して爆発した、と。

 「放屁で放たれた気体が引火し爆発を引き起こしたのだ。裏の世界、表の世界両方で救出を試みた男が来た瞬間に巻き添えを喰って死んでいるであろう」

 見事に仮説は真実となってしまった。救出を試みた男ってのは若い消防士のことか。

 「それじゃあ、女のコナツが救出をすれば救えるのか?」

 「そういうことだ。余もなんとか女子に視力を残すように精進する。が、今の女子の残された光では必ずしも視力が残るとは言い難い。そこを覚悟しておいてくれ。そしてもしも女子の光が一握りも残されていなかった時、その時は相棒に託す。相棒ならば鳳蘭エリカを救ううことができるはずだ。だから次は失敗するなよ相棒」

 「俺に……ああ、するわけないだろ」

 当たり前のことを聞くな。俺は、たとえ人間じゃなくて猫であっても、鳳蘭エリカを愛しているからだ。

 やっと気づいたよ。これが人間の思うところの好きの延長線上にある愛ってやつなんだな。

 会いたい、一秒でも早くエリカに会いたいと強く思う。

 「早くして頂戴。あたしの決意が変わらないうちに……」

 再び祈るポーズをとったコナツは目を閉じていた。

 「承知した。女子、光をもらうぞ」

 「ええ……」

 淡い光がコナツを優しく包み込む。

続いて俺の体にもその光が静かに浸透していく。

 「頼んだぞ。二人とも」



 ――声がした後で目を開けると、裏月神社の鳥居の傍に俺は倒れていた。


こんちゃー!

RYOです!


お読みいただきありがとうございます。

今回の話でいろいろな真相が明らかになるのですが

少し説明文が多くなってしまいました。そこが不安です。

そんなことをつゆ知らず! 物語はついにラストへ!

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