月御門歳三
「焼け跡からエリカちゃんと思われる遺体が発見されたの。遺体状態から判別が難しかったらしいけど、解剖結果から彼女で間違いないらしいわ。それと救助に向かった二人の消防士も発見、死亡が確認されたわ」
手を膝に当てながらパイプ椅子に力なく座っているコナツは冷たく吐き捨てる。
五月五日は雨だった。枕を背もたれにしてベッドに上体だけを起こしていた俺は窓の外の景色を眺めていた。申し訳なさそうに雨露が窓を濡らし続けている。
俺は緊急搬送されたらしく病室は相部屋ではなく、ベッド一つ洗面台一つ、来客用の椅子がいくつかある個人部屋だった。
「……ああ」
何の感情も無かった。ただ何か言葉で返答しようとしたら自然に出たのがその言葉だったので発しただけにすぎない。ベッド上で無気力の俺は相も変わらずに外を眺める。
「それと、真白先生なら下の階の病室で寝ているわ。一緒にお見舞いに来たトラタロウがそっちに行ってくれてるの。落雷が落ちた衝撃で頭をぶつけて出血がひどかったみたいだけど何とか一命をとりとめてね。よかったわ」
嘘だ。コナツは本気でよかったなどと思っていない。聞けばわかるさ、俺と一緒でその言葉に一切の感情がこもっていないのだから。
それにしたって、なんでこんなに冷静、というか、無表情でいられるんだよ。もっと泣いたり、激情を魅せたりできないのかよ。人間らしくさ。
「なんでだよ」
「何が」
思わず口にしてしまっていた。喋りたくなかったのに、あまりにもコナツが冷たい空気で室内を充満してしまっているばっかりに。
害虫を駆除するような目つきのコナツの反応は恐ろしく早く、口調はきつめだ。まるで俺が返答するのを待っていたかのように。
「なんでおまえは普通でいられるんだよ」
「……」
「エリカが……死んだんだぞ? わかってんのか?」
「さっき言ったじゃない。輝き寮の焼け跡から発見された三人の遺体の一つがエリカちゃんだったって」
「違う、俺が聞いているのはそんなことじゃない。なんなんだよおまえ」
輝き寮のエリカの部屋で起きた爆発を見た瞬間から一切の感情が無かった俺が久しぶりに感じた感情は怒りと苛立ち。この女に対するものだ。
「じゃあ、思い通りにしてあげようか」
コナツのそんな発言が聞こえた時、窓から目を逸らして、彼女を確認しようとした。
――パンっ。
顔面を手のひらで思いっきり叩かれ、乾いた音が病室に響いた。
コナツにビンタを喰らった、と理解するのに少し時間がかかった。
「あんたのせいよ……何もかも全部……意味不明な存在のあんたがこの世界にいたせいで歯車がくるったのよ……謝りなさいよ! 今すぐに私に謝ってよ! ううん、謝らなくていいから返してよ、鳳蘭エリカを……返してよ!」
途中から怒声に変わって涙声になり、コナツは俺の肩を両手で力なく揺すった。
さっき叩かれた左の頬がジンジンと脈をうっているのがわかる。わかるのはそれだけで、何故俺自身が責められているのか、それが全く理解できないでいた。確か昨日はコナツにお礼を言われたばかりだったよな。それなのに今では存在を否定されているこの現状が把握できない。この場合、しろと言われる方がおかしな話じゃないか。
「なんなんだよおまえ……気味悪いよ、ほんと」
「二回目だからかもね」
「は?」
「あんたがさっき私に言ったことよ。感情的にもなれずに平然を装えたのは、私が二回目だったからかもね」
「何言ってんだよ。二回目ってなんだよ」
人が死ぬのが二回目ってことなのか。親族の誰かが死んだのか? それか誰か親しい友人か知人が死んだのが二回目って意味なのか。
「エリカちゃんの死に目が二回目なのよ」
「何? 何を……おい、おまえ大丈夫なのか?」
会話が成立していないとかそういう問題じゃない。コナツの発言や感情のぶつけかたや俺への矛先が意味不明だ。俺は彼女がショックで頭がおかしくなってしまったのかと本気で心配し始めていた。
「ヒロシ……立川……ヒロシ……」
「おい、コナツ!」
俺の名前を連呼するコナツに恐怖すら感じた俺は枕元にあるナースコールを押した。
精神的にコナツは追いつめられているんだ。幸いここは病院だ。精神科だってあるはずだ。とにかくそこに彼女を連れて行ってもらおう。
だが遅かった。
「あなたは誰なの?」
決定的なその発言を正面からまともに受け止めた俺は、コナツの顔を見るや否や病室一面を真っ黒なペンキで覆われて、あの場所へと引きずり込まれた。
「また……か」
何日かぶりに招待されたコナツ現象はいつもと違った。以前との相違点は一目瞭然、コナツがいないことだ。真っ暗闇の中にポツンと座っている俺が腰を下ろしているベッドを除いて何もなかった。恐怖心がこみあげてくる。彼女の姿を血眼になって探すがどこにも彼女の姿は見当たらない。
俺はふいに後頭部を抑えた。
この空間で頭をよぎったのは、過去の経験から意識を失うほどの頭痛に襲われたことだ。それに怯えて手を当てたが、あの頭痛の発動条件のようなコナツはいない。そうだ、大丈夫だろ今回は。自分にそう言い聞かせたが内心は心からそう思えずに後頭部に手を回していたが、やはり怖かったのか俺はずっと手を当てたままだった。
しかし、俺の意志に逆らうかのように手は後頭部から離れていこうとする。
「あれ? なんだよこれ?」
正確には離れていこうとする、ではなく、体が縮んでいく、が正しいのかもしれない。その意味不明な感覚は手だけで収まらずに足、あるいは首、顔までもが角砂糖のように溶けていく感覚に俺は陥っていた。
「な……くそ……体が……」
暗闇の世界で自分の体がどうなっているのかも分からずに、俺はひたすらにもがいていた。かろうじてまだベッドのシーツの間隔が皮膚から脳に伝わり、それがかすかな安心感を俺に与えていてくれていた。
そんな時、一筋の光が暗闇の世界に差し込む。それに俺は照らされず、照らされていたのは俺から五~十メートルほど離れた場所だった。スポットライトのように照らされたその場所に、一人の人影が現れ、やがてそれは成人男性の姿に変わる。
「お、おい! そこの人! 助けてくれ!」
恐怖心に支配されつつあった俺はその男に助けを求めた。
男は俺の声に気づいてこちらを見つめた。
薄い青の着物のような服装に身を包んだ男は襟袖は真っすぐに垂れていて、懐から何かを取り出しそうな装い、帯は真っ白で胸の辺りをふさふさのボンボンがついた紐でしっかりと結ばれている。そして腰には刀をつけていて、まるで過去からの使者のような恰好をしている。歴史資料館の等身大の人形が動き出した、と言えば想像がつく。顔は目がくっきりとしていて鼻が高く色白で、世の女性を虜にしそうな美男といったところか。
しかし、その二枚目の顔も魅力が半減してしまっている。まるで人生に疲れきってしまった人間のように悲痛な表情を浮かべているからだ。
「……だめだったか相棒」
一瞬耳を疑ったが聞き間違えとかではなかった。確かに男は俺にそう告げた。
「だめだった……?」
「ああ、そうだとも。途中まではとてもよかった。余の思った通りに事が進んでそなたならこの先も鳳蘭を守ってくれると心から思った」
「鳳蘭……だと? あんたエリカを知ってるのか?」
「存じているとも。何もかも。そなたが今までやってきたことも全て拝見させてもらっていたさ」
神か仏か? と思った。だが全て見ていたというのは戯言や虚言に聞こえなかった。それもそのはずだ。コナツ現象の中にいるこの男はただここに迷い込んだ一般市民とは考えにくいし、なによりこんな格好で生活している人なんて現代社会において絶対に存在しない。趣味でこんな装いをする人はいるだろうけど……それに、俺はこの男を昔から知っているような気がしてならなかった。この感情と似ている経験をしたことを思い出す。そうだ、裏月神社へ雨の日に逃げ込んだ時もこんな気持ちになった。
「余も迂闊だった。そなたを裏の世界に送り込めば、一人の新たな人間が世界に干渉して、いかに大差のない死期だったとしても影響される。そんな冷静に考えればわかったことでさえ、あの時は鳳蘭の血筋を助けたい一心で気にもしなかった」
「あんた何言って……かはっ! ……体が……と、とにかく助けてくれ! 体がおかしいんだよ!」
「安心しろ。元に戻るだけだ」
「戻……る……?」
「そう。そなたは今までの自分に戻るだけだ。消えてなくなったりはしない。また、裏月神社に入り浸って暮らすがいいさ。苦労させたな」
男は俺を助けようともせずに落ち着いた物腰で話した。しかし、表情はそれとは裏腹に悲痛な面持ちなのを俺は見逃さなかった。
「なにがなんだかさっぱりわからねえよ……」
「わからなくていい。ご苦労だった」
「もどる……って、どういうことだよ……おれは……なに」
「そなたは何も気にするな。表の世界で元通りに生きろ」
「だめなんだよ……えりかを……すくう」
体が縮小されていっている影響だろうか、俺はうまく喋れなくなってきていた。
「余も救いたかったさ。それ故、あの日に表世界であの女子が裏月神社に姿を現して口にした事柄を耳にした時は運命さえ感じたよ。……だがな、もう女子の光は使い切って何も残っていないんだ。安心してくれ、この世界で蓄えたそなたの記憶は消滅する。未練も何も残らない」
「あんたはどうなんだ……みれん……ないのか?」
「……」
男は黙り込む。しかし、その行為がすでに未練が残っている。
「某、もう少し時間をやろう。女子と一緒に裏月神社に来い。いいか、絶対にあの女子を一緒に連れてくるんだぞ。他の女子ではならんからな」
「いけば……おれわかる……えりかたすけれるのか?」
「そなたと女子の覚悟次第だ」
「わかた……あんたなまえ……」
「余は月御門歳三だ。ふふ……そなたに名乗るのは不思議な気分だな……もう忘れるなよ相棒」
それ以上、俺は何も言い返せなくなっていた。体が、脳が、口がもはや制御できなくなり、言葉を発することができなかったんだ。
女子とは誰のことなんだ。
それを聞こうとしたのに言葉がでない。
俺のそんな様子を察したように月御門は眉間にしわを寄せながら光の差し込む方へと歩き出していった。
ま、待ってくれ!
そう心の中で叫んでも月御門には届くはずもなく。一筋の光は彼と共に完全にこの暗闇の世界から消え去ってしまった。
再び暗闇の世界に一人になった俺は、もはや立ち上がることも、思考能力すらも消え失せ、そのままゆっくりと目を閉じるしかなかった。
「立川――さん――ヒロシさん――」
名前が呼ばれて閉じていた目を開けると、コナツ現象は崩壊していて元の病室のベッドの上に寝ていた。
「どうなされましたか?」
「え……?」
「えって……ナースコールでお呼びになりましたよね?」
そうか、確かコナツの言動がおかしくなって暴走を始めたから連れて行ってもらおうとしたんだったな。俺のベッドに寄り添っている若い看護婦の合間から病室の扉付近を確認すると立ち尽くしている彼女の姿があった。
『彼女と一緒に裏月神社に来い』
着物に身を包んだ月御門の言葉が頭をよぎる。名指しではなかったけど、きっと彼女とはコナツのことで間違いはないだろう。あの暗闇の世界に迷い込む引き金にもなっていたのだからな。何か接点があるに違いない。
あいつと裏月神社に行けば、エリカを生き返らせることができるかもしれない。
さっきのが夢でも幻でもいい。俺が病んで苦渋の中でみた幻想だったとしても選択肢はあの月御門という男の言葉を信じるしかなかった。
「立川ヒロシさん? 聞いてますか?」
若い看護婦は困った表情で俺に問い詰めた。
「あ、ああ。もう大丈夫です。すいません」
「あ、わかりましたよ~立川さん出したいんですね」
「は?」
意味が分からずに素の「は?」を言ってしまった。
出したい? 出したい……出したい……出したい?
ま、まさか……。
「ちょっと待ってくださいね。はい、尿瓶です。若い人ほど躊躇するんですよこういうの、でも大丈夫ですよ私は看護婦なんですから」
「ち、違う! 違いますから!」
「立川さんはこれ必要ないんですけどね~昨日緊急搬送されたから今回は特別ですよ。はーい動かないでくださいね」
全く俺の言葉を聞こうとしない若い看護婦は俺の掛け布団をガバっと引っぺがす。
「さ! 我慢して膀胱炎にでもなったら入院が伸びますからね。遠慮しないでくだ……きゃ、きゃあああああああああああ!」
病室が相部屋でなくてよかったと心から思う。
まーそうなるよね。うん。
これだけ密着されれば俺の息子は一升瓶を股間に立てたようなとんでもないでかさになっていた。ベッドに勇ましくそびえ立つエッフェル塔のよう(少し斜めだった)になっており、ズボンのゴムはマックスまで伸びきってはち切れそうになっている。
「あ、俺、自分でトイレ行けるので大丈夫です。あと、尿意も無いので本当に大丈夫ですからナースセンターに戻ってもらっていいですか?」
悲鳴をあげた若い看護婦はコクコクと何度も頷いて尿瓶を片手に病室から足早に退却して行った。
あの若い看護婦……これがトラウマで二度と病人の下の世話ができなくなってしまわないだろうか……南無三。
そうして病室に残ったのは俺と、まだうつむいて立ち尽くしているコナツのみとなった。
月御門が魔法使いか霊媒師ならばエリカを生き返らせることができるかもしれない。わずかな希望に懸けた俺は無音の病室でコナツに問いかけた。
「コナツ。ちょっと付いて来てくれるか?」
「……」
予想はしていたが反応は無い。俺はキーワードを口にする。
「一緒に来てほしいのは裏月神社なんだが」
「裏月……神社?」
「ああ、信じてもらえないかもしれないけど、そこに行けばエリカを救える手段があるかもしれない」
「立川ヒロシ……あなたはやっぱり……」
「おっと! 『あなたは誰なの?』は言ってくれるなよ。もうあそこに行くのはごめんだからな」
「あそこ? 何を言ってるのかわからないけど。エリカちゃんを助けられるのなら……行ってやるわよどこでも。そこで、あなたの秘密もわかるのね」
「ありがとう。だけどな、まだ俺は誰なのかなんてのは自分でもわかってない。わかってるのは裏月神社に行けば全部解決しそうなんだ」
なんて説得力のない説明なんだ。曖昧とかそういうレベルじゃない。これではまるで裏心しかない女性を押し倒してヤバいことする輩の言いぐさじゃないか。
「なんでもいいわ。この最悪な未来が変えれるのならなんだってする」
それでもコナツは信じてくれた。と、いうよりは本当に可能性があるのならそちらに飛んでいく風見鶏のように何かにしがみつきたかったのかもしれない。その証拠に今の今まで死人のような目をしていた彼女の瞳に徐々に輝きが戻りつつあった。
「よし、こうしちゃいられない。早速行くぞ!」
俺はベッドから勢いよく飛び出る。
「待って! こんな昼間に病院を抜け出せれるわけないじゃない。一応ヒロシは緊急搬送された病人なんだからね。一応」
「……そこに一応っているのか? しかも二回も」
ボケの勢いも戻りつつあるコナツ。やっぱりもう少し黙らせとくべきだったか。
「ケガも打撲ぐらいだからヒロシは明日には退院できるって言っていたから明日退院したら早速行くわよ」
「だめだ。明日まで待っていられるかよ」
すぐに反論した。エリカに一秒でも早く会いたい、いや、助けたい。あの月御門という男がどんな方法でそれを実行しようとしているのかは知らないが、そんなに待てるほど俺は我慢強くない。
「じゃあどうするのよ?」
「今から行く」
「ばっか! 本当に病院を抜け出す気?」
「時間がないんだよ!」
「時間? それってどういうことよ」
確信のあることではなかった。そして会いたいという自分勝手な気持ちだけでもない。ただ、さっきのコナツ現象の際に自分に起きたことが俺を不安にさせていた。体が縮んでいくようなあの体験はなんだったのだろう。そして月御門の言っていた『元に戻るだけ』という言葉に俺は追い打ちをかけられるように焦らされていた。
エリカ、失敗、元に戻る。脳を刺激するのはこの言葉たち。連想ゲームさながらに自分なりにこの少ない単語で仮設を構築してみる。
俺は月御門に何かを任されてこの世界に来た。
完成したのはこんなところだ。となれば元に戻るということは、エリカ救出を失敗した俺は記憶を消されて元に戻る、そう解釈すれば事態は一刻を争うことになる。
しかし、戻る、と簡単に言うが俺はいったい誰なんだろうな。ここまで話がファンタジーになってくると悩む時間もない、悩む前に笑えてさえくる。月御門って人に相棒とも呼ばれていたからもしかしたらあいつの親友なのだろうか。俺もあんな着物を羽織って生活していたのだろうか。
と、そんなことを考え込んでいる場合じゃなかった。
「とにかく今から行かないと!」
さっきの月御門と会ったことや俺の解釈の説明をしている時間も無いと思い俺はまたもコナツに対して無理矢理な言葉を押し付けた。
「そう、だとすれば影武者がいるわね……」
意外にもすんなりとコナツは受け止めてくれた。
「この話にのってくれるのかコナツ?」
「もう後悔はしたくないのよ。すぐに裏月神社に向かうわよ」
「だとしたらさっき言ってた影武者だけど……」
――コンコン。
「沖田、立川の様子はどうだ?」
「ベッドで寝てて!」「ベッドで布団を被っててくれ!」
「な、なんだよ二人していきなり! 意味がわかんねーよ」
病室に入ってきたトラタロウはムっとした表情と驚いた表情を合わせた何とも言えない表情を浮かべた。
坊主頭というところが気になるが、背に腹は代えられない。影武者が決まったところで俺とコナツは病院から抜け出し、裏月神社へ急行した。
明けましておめでとうございます!
RYOです!
お読みいただきありがとうございます!
2017年はこのお話を完成させて受賞目指したいと思います!
と、今年の抱負を語ってしまいましたが、物語も終盤を迎えようとしています!
果たして立川ヒロシの正体は? エリカを生き返らせれる?ことができるのか!
最後までお付き合いいただければ幸いです!
感想等も待っております!
では~