嬉しいんです
五月三日が終わろうとしていた。
岸辺に打ち上げられた魚のように俺はベッドに横たわっていて、まさにマグロ状態だった。何もやる気が起こらずにただ寝て、寝て、寝て……。
時計を確認すると時刻は六時――日が傾き始めている。
さすがに一日中家にいると退屈だ。別に学生からニートに転職したわけじゃない。昨日の事件の判決を受けた結果、こうしているだけだ。
俺に下されたのは停学処分。
金属バットで上級生をボコボコにした。聞いただけでは頭のイカれた下級生のようだ。そんなレッテルを張られていたのなら停学どころか退学にまでなるところだった。だが、停学に留まったのは俺が連れていかれた生徒指導室に勢いよく飛び込んでくれたコナツの証言のおかげだ。彼女は扉を壊れそうな勢いでこじ開けると俺を取り囲んでいた教師に対して必死に事の全てを涙声になりながら訴えてくれた。
『ヒロシは私を……上級生にからまれていた私とトラタロウを守るためにしたことなんです! 本当です! 一方的にやったわけじゃないんです!』
この言葉を涙声&目に雫をため込んで言われれば教師サイドも頷くしかなく、俺はなんとか停学の下位にあたる一週間自宅待機を命じられるだけに終わった。そして逆に川井先輩は前半のやりすぎた行為を目撃していた他の生徒の証言から、停学の上位にあたる処罰の一か月自宅待機を命じられ、さらに親も学校に呼ばれたとか無いとか。
なんにせよ、コナツにはとりあえず感謝だな。
俺は寝返りをうつと天井を見上げた。
「一日中ゴロゴロと……まるでひきこもりね」
頭上からささやかれた声に俺は肩をすくめた。
「おわっ! こ、コナツ?」
コナツはベッドに寝そべる俺の顔面にニョキっと顔をのぞかせてきた。
「なによ? そんなに驚かなくてもいいんじゃない?」
「驚くだろ! ってかその登場は確信犯だろ。前も言ったけど人の部屋に入るときはノックをだな」
「だったら部屋の扉を閉めなさいよ」
「それも言っただろ……その……暑くて」
「だったら掛け布団からでなさいよ」
「お腹を出して寝たらお腹壊すだろ」
「だったら窓を開けなさいよ」
「……蚊の侵入を許すだろ……」
「だったら蚊取り線香を焚きなさいよ」
「……寝てて火事にでもなったらどうすんだよ」
「……火事……」
コナツは俺の発言に黙り込んでしまった。
あれ? いつもように屁理屈が飛んでくると思って次の回避の手を考えていた俺はある意味意表をつかれてしまう。彼女は表情を一気に曇らせて物思いにふけってしまった。
「コナツ? どうした?」
「あ、ええ、なんでもない。それより、やっぱり扉を開けてたのはエリカちゃんを待ち望んでいたのかしら?」
「そ、それは……」
「その反応からしてご名答のようね。だけどね、エリカちゃんは朝からあなたと一緒よ」
「一緒?」
「勘違いしないでね、傍にいるっていう意味じゃないから。……ずっと部屋にこもりっぱなしってこと」
コナツの言葉を聞いて俺はベッドから飛び起きた。
「エリカが? なんで? 昨日のことが原因か?」
「落ち着きなさいよ! ってかズボンぐらい履きなさいよ!」
「は!」
思わず股間を内股で隠した。そういえば勃起していないのに股間の部位を隠すのは初めてだな。新鮮でレアな光景だ。
……じゃなくて。
「エリカが閉じこもってるってどういうことだよ」
「年頃の女の子が人前で放屁したのよ。そりゃ、ショックでしょうが」
違うな。俺はコナツの発言にそう否定してしまいそうになったが堪えた。
人前でオナラをするのなんて慣れている、って言えばそうではないかもしれない。でも、本当にショックだったのはたぶん、克服したはずなのに特殊体質が再発してしまったからだろう。例えば、『完全に完治しましたよ! 今後の人生を楽しんでください! 退院おめでとうございます!』と医師から言われた患者がいたとする。明日から今まで出来なかった旅行やスポーツをして人生を謳歌してやるんだ! と活き込んだ直後に胸に手を当てて苦しみだして病院生活に逆戻り、なんてことになれば心は病むだろう。
まただ、またベッドの上の生活だよ……と、気分は最悪に決まっている。
せっかく普通の女子高生として高校生活を送れると思った矢先の出来事だけに心が病んでしまっても当然だ。
「ショックだろうな……俺、ちょっとエリカと話すわ」
「そう言ってくれると思ったわ。男ねヒロシは」
紳士に受け止めてくれたコナツ。その彼女にとてつもない違和感を感じたのは俺だけだろうか? 絶対に拒まれると思っていた。だって、いつの日か屋上で「エリカちゃんにかかわらないで」的なことを言った人物から今度は会うことに賛成っておかしいだろ? 虫が良すぎる。
「え? いいのか?」
「何が?」
「俺とエリカが会って喋ること」
「なんで?」
「いや、なんでって言われると……わかった。話してくる」
「その意気やよし」
意味不明な見送り方をされてエリカの部屋の前まで移動する俺。一瞬、扉が開いてくれていることに期待したが、予想通り、扉は固く閉ざされていた。
勢いでここまで来たはいいが、なんと声をかければいいものか。よし、ここはシンプルにいこう。
「エリカ……俺だ……ヒロシだけど……大丈夫か?」
「いや、大丈夫じゃないから閉じこもってるんでしょうが。にぶい男」
横からコナツが鋭いツッコミを入れてきやがった。扉の向こうから聞こえてきたのかと思って背筋が凍って震えたわ。まぎらわしい。
「コナツかよ! ったく、人生終了したかと思ったじゃないか……あっち行けよ! これは俺とエリカの問題なんだから」
「なんでよ? あたしも友達じゃないのよ。まさかエリカちゃんと特別な関係にでもなったの?」
「ち、違う! あー! もうっ! ここで騒いだら出るのも出れないだろ! それに」
「それに?」
エリカの特殊体質を知ってる俺だからこそ話せることなんだよこれは! ……と、言おうとして心の奥底に気持ちを引っ込めた。
「と、とにかく部屋に行っててくれ! ゴー! ホームっ!」
「犬じゃないんだから。わかったわよ」
鼻息を漏らしてそそくさと自分の部屋に戻っていくコナツ。その仕草が動物だろ。
「あ、そうそう、ヒロシ」
「なんだよ」
何かを思い出したような素振りを見せてからコナツは俺に駆け寄ってきた。
「ついさっきまでスマフォでやりとりしてたからエリカは確実に起きてるわよ。だからこれで呼びかけて返事が返ってこなかったら無視されたと思いなさい」
と、俺に耳打ちしてからコナツは自室に戻っていった。
なんだよそのプレッシャーのかけかたは……。
気を取り直して、扉に向き直す。さっきの悪魔のささやきのせいで普通の一軒家の扉が魔王城のラスボス前の扉に見えてきた。中にいるのはお姫様だけど。
一回深呼吸をする。おし、行くぜ。
「エリカ……その……今、話せるか?」
まるで扉と対話しているかのごとく、俺の言葉に対して何も返答はなかった。
俺でもダメなのか……いや……心を許した俺ならこんな状況でも話してくれる。
再び扉に視線を注いだが、何の音さたもない扉に俺は次第に落胆し、トボトボ自室に引き上げようとした。
その時、俺の部屋に置きっぱなしになっていたスマフォから着信音が軽快に鳴り響いた。
誰だよ、こんな時に電話をかけてくる不届きものは、空気よめ――、
着信・鳳蘭エリカ
スマフォの画面の文字を見た瞬間にスライドロックがぶっ壊れるのではないかと思うぐらいに指で画面をスライドさせる俺。
「もしししもしっ!」
噛むとかそんなレベルではない。落ち着け立川ヒロシ。
『……もしもし……ヒロシ君』
画面の向こうから聞こえた声は今にも壊れそうなガラス細工のような声色だった。
その声色の様子から心配になった俺は再びエリカの部屋の前に電話片手に瞬間移動する。
「大丈夫かエリカ? って大丈夫じゃないからそこにいるんだよな」
にぶい男だと思われるところだった。危ない危ない。
『すみません……ヒロシ君の声が聞こえた時に部屋から出ようと思ったんですが……昨日からずっと寝ていたので顔がぐしゃぐしゃで……』
「泣いていたのか」
『おかしいですよね、勇気をもって、あの場に出て行ったのに……逆にヒロシ君に迷惑かけてしまって……本当に最低でバカです……わたし……』
「何言ってるんだよ。俺のほうだよ、バカでどうしようもないのは……また感情的になってエリカを泣かせてしまったんだ。最低だよな」
『違います。私なんです……だって……あんなに必死になって屋上で特訓してくれて、私なんかのために毎日付き合ってくれたヒロシ君に……あの場所ですべてを無駄にするような行為をしたんですから……私はそれが許せなくて……自分が許せなくて……』
途中からエリカは泣き声に変わった。
コナツの考えが間違っていて俺が正解なんて言えなくなった。エリカが閉じこもっていた本当の理由は俺との特訓を無駄にしてしまったから……俺に申し訳ない気持ちからこの部屋に閉じこもって、自分の殻に閉じこもっているんだ。
こんな時まで他人のために悲しむのかよ……自分はどうでもいいのかよ。
俺のために悲しんでくれているエリカにかける言葉が見つからない。
ありがとう、違う。
ごめんな、違う。
また特訓しよう、これかな……。
情けないな俺は、返す言葉すら決められないでいる。
エリカの部屋の前で迷走している俺は誰かに肩をたたかれた。またかよ、またコナツが部屋から様子を見に来やがったのか。俺はスマフォの送話口を手で押さえた。
「コナツ、今は待ってくれ。大事な時なんだ」
「俺も大事な話だ。代わってくれ立川」
野太い声。女の声ではなくて男の声が返ってきた。
へ? 俺は横を振り向く、視界に飛び込んできたのは昨日俺と勝負を繰り広げた男が少し顔を赤らめて立っていた。
「と、トラタロウ……」
「その……鳳蘭と話をさせてくれないか」
「あ、ああ」
立川? 鳳蘭? こいつが俺たちを名前で呼ぶだと? って、そんなことよりもこいつが自分から話があるだと? ありえないだろ。
「鳳蘭、俺だ。トラタロウだ。……昨日は……ありがとうな」
ドアの前で深々と頭を下げたトラタロウ。その光景が夢でなかろうかと俺は自分の頬を引っ張ったが、痛くて後悔した。どうやら夢じゃないらしい。
「鳳蘭があの時、川井先輩を止めてくれなかったら……俺は二度と投げることができなくなっていたかもしれない。本当にありがとう、それから……前に言ったこと……すまなかった、許してくれ」
謝罪を一通り言い終わった後も彼は頭を下げ続けた。
そんな夢のような現実を見ていると、かすかに俺のスマフォからかすれ声が聞こえてくるのに気付いた。トラタロウにバレないように後ろに下がり耳にスマフォをあてる。
『ヒ、ヒロシ君! ヒロシ君! 今、そこにトラタロウ君がいますか?』
「ああ、いるよ」
俺はトラタロウに気づかれないように声を殺しながら話した。
『ほ、本当にトラタロウ君なんですね』
「本当だよ。俺も驚いてる。今もエリカの部屋に向かって頭を下げてくれてる」
『ええ! ど、どうしましょう、私……』
「それはエリカが考えることだよ。この気持ちに応えるかどうか」
『それは応えたいですけど……こんな格好ですし……』
「大丈夫。俺も今は」
自分の下半身を確認する、トランクス一丁だった。勃起したらどうしようとかそんなレベルではなかった。
「いや、なんでもない」
『ヒロシ君がこの電話を通じてトラタロウ君に私の気持ちを言ってくれませんか』
「それはできないな」
『え?』
「相手が頭を下げてるんだからそれに応えるのはやっぱり顔を合わせてこそだと俺は思うんだよ」
『そうですよね……』
「それに、俺もエリカの顔見なくちゃ安心できないしな」
決まった……完全にエリカの心を射抜いただろう今のは。
『ヒロシ君……イジワルです』
その言葉を最後に通話が終わってしまった。
あれ? 少し言い過ぎたか……まさか怒らせてしまったとか?
エ、エリカにイジワルなんて言われたのは初めてで……いや、普段控えめな彼女からそんな本心にも似た感情を言われて少しうれしい気持ちもするな。言っておくがマゾではないからな。
でもやっぱり……怒らせてしまったのか?
ああ、どうしよう……。
不安でTシャツにに汗が滲み出したところまで切羽詰まった俺をよそに、エリカの部屋のドアノブが静かに周った。
そしてゆっくりと扉が開いた。
姿を現したのは金色の髪がピョンピョンと跳ねていて、頬はうっすら赤く、純白のパジャマに身を包んだ天使のような少女だ。彼女はトラタロウとある程度距離を保ったまま扉を閉めた。
たかが一日ぶりぐらいに見るのにすごく久しぶりな気がした。そして彼女は弱弱しくて、それでいて華やかで、なぜか俺の目は潤んでしまった。あれ? なんで泣いてるんだ? 俺は。
自分の涙の理由もわからずに、ただ、こんな姿を見られたらまたエリカに心配をかけてしまうと思った俺は急いで涙をぬぐった。
「トラタロウ君……こんにちは……」
「鳳蘭……その……改めて、昨日はありがとう」
「い、いえ、私は何もできませんでした……」
「そんなことないだろ。あの時に鳳蘭が勇気を振り絞って俺の前に立ってくれなかったら、俺は今頃病院のベッドの上で右肩には包帯が巻かれていたさ。本当に感謝してる。それに、前の放課後に言ったことを謝らせてくれ、本当にすまない」
今度はエリカの目の前で深々と頭を下げたトラタロウ。その行為に対してどうしたらいいかわからずにいたエリカは、俺の目を見てから慌てて頭を下げた。
あそこまで根性がひん曲がっていたトラタロウが頭を下げるなんてこんな日が来ることを誰が予想できたか。今でも超常現象を見ているようだ。
「ひゅー! 青春してるやんかお二人さん。見てるこっちも恥ずかしなってきたわ」
そんな微笑ましい光景にエセ関西弁の女教師が乱入してきた。
「真白先生、いいところをぶち壊さないでくださいよ」
それに連れられてコナツも二人に寄り添う。
「ええやんか。今までギスギスしてた寮内が、なんか、こう……一つになった気がして先生は嬉しいんやから」
両手を合わせて真白先生は感動しているようだ。
「それは私も嬉しいですけど」
「そや、せっかく仲直りみたいになったんやから、エリカちゃんとトラタロウで握手でもしーや、ガッチリと」
「握手? ダメだ!」
そんなことしたら確実にオナラしてしまうと思った俺はいきなり声を荒げてしまった。
「お、なんやヒロシ。妬いてるんか?」
「いや、そうじゃなくて……」
「それやったらええやないか。先生がカメラでこの記念の日を写しといたるさかい」
真白先生は嬉しそうにポケットからスマフォを取り出した。
「握手って、そこまでやらなくてもいいだろ」
「トラタロウまで何言ってるんや。本当に反省しとるんか? 反省してるんやったらこの場で言葉じゃなくて行動で示せや」
ヤバい、完全に悪ノリだしたぞ。ってか真白先生絶対飲んでるよな? 顔がうっすら赤くなってるのがその証拠だろ。完全にオヤジ化してる。美人なのに……。
「わかりましたよ……」
トラタロウはため息を漏らしながら右手をエリカに差し出した。
どうする……ここで握手なんかしてオナラしてしまったら、またエリカが悲しんで部屋に逆戻りだ……俺が間に入って強制的にやめさせるべきか……。
必死に打開策を考えている時――鈍い音が廊下に重く響いた。
エリカが力尽きたようにその場に倒れた音だった。
「エリカっ!」
誰よりも先に体が反応して、エリカに近寄る。あの時と同じで頬がうっすらと赤くなっている。おでこに手を当てて熱を確認すると、予想通り熱く、あの日の風邪がぶり返したのかもしれない。
……って、あれ?
大丈夫なのか?
濁音が聞こえない?
俺はバッチリ勃起している。しかしエリカからはオナラが聞こえなかった。距離は十分に近づいているし、手だって体に触れている、にもかかわらずだ。
どうなってるんだ? と、自分の頭の中で整理がつかないでいると、真白先生が強引に割って入ってきた。
「ちょい、ヒロシどいて。……ん~……エリカちゃん、まだ熱下がってなかったんやな。ヒロシ、急いで部屋に運んでやり」
俺と同じようにエリカの額に手を当てた真白先生が俺にそう告げた。
「本当にエリカちゃんは大丈夫なんですか!?」
取り乱したようにコナツが慌ててエリカの傍に駆け寄った。
「大丈夫やって、ただの風邪や。あ~あ、トラタロウが似合わないことするからエリカちゃん驚いてしもたんやろな」
「いや、どう考えても先生が握手を強制的にさせようとしたことが原因っすよ」
「じゃかましい!」
痴話げんかにも似たやり取りを聞いていた俺は、自分を責めていた。エリカが体調を崩した原因は俺があの日に裏月神社になんて行ったからだ。必死に雨の中を駆け回って俺を探してくれたからに決まっている。
悔やんでも仕方がないと思い、俺は静かにエリカをお姫様抱っこすると、彼女の部屋に運んだ。
「ヒロシ」
「なんですか先生」
「襲うなや」
「しませんよ!」
こんな時に変なこと言いやがって。
エリカの部屋の扉を開ける。そういえばエリカの部屋に入るのは初めてだ。開けた先は真っ暗で何も見なかったのでドアの横のスイッチを入れる。
明かりをつけるとなんとも女の子全開の部屋の風景が俺の視界を占領した。なにがって、ピンクの時計、ピンクのベッド、ピンクのポスター……って、これはあれか、エリカの好きな魔法少女もののアニメのポスターか、女子高生というよりは小学生みたいな部屋の内装だな。ピンクが女の子という人間の概念がそうさせているのかもしれない。それと同じ輝き寮なのにいい匂いだ。
ゆっくりとピンクのベッドの上にエリカを寝かせて掛け布団を静かにかけてやった。そして彼女の顔を見ると、眉間にしわを寄せ苦しそうな表情を浮かべていたのでそのまま忍び足で部屋を後にすることとした。まるで誘拐犯みたいだな。
「ヒロシ君……」
しかし咄嗟にエリカに呼び止められる。
「また迷惑を……かけてしまいましたね……ごめんなさい」
「いいって、気にするなよ。もう安静にしてなくちゃだめだぞ。ごめんな、俺が顔を見てトラタロウの気持ちを受け止めた方がいいみたいなこと言ったばっかりに無理させてしまって」
「ヒロシ君は正しいですよ。それに嬉しかったんです」
「嬉しかった?」
「みんなが仲良くなれて……暖かくて……さっきの廊下の雰囲気にずっと憧れていたんです……この特殊体質が発症した日からああいう雰囲気で話せる友達なんていませんでしたから……だから……熱があって体調が悪かったですけど……もう少しだけあの廊下にいたいと思ってしまったから……倒れちゃって……」
「そんなの今からいくらでも味わえるさ」
「……え?」
「トラタロウが心を開いたのも、さっきの廊下での雰囲気も全部エリカががんばって勇気を出せたからできたことじゃないか」
「ヒロシ君……」
「だからまずは元気になったら」
ふいにエリカの部屋の魔法少女が写っているポスターが目に入る。
「これの映画を見に行こう。前に約束したやつだ」
「や、やった……みんなで……見に行きましょうね」
「お……おお!」
『みんなで』と聞いた俺は少しテンションが下がる。二人きりで映画に行けるものかと思い込んでしまっていただけに崖から突き落とされたように落胆……ま、エリカがそのほうがいいというのだから仕方がない。それにこの魔法少女アニメの劇場版を見てカップルがいい雰囲気になれるとは思えないしな。
「それじゃ……早く治します……楽しみ……なので……」
「ゆっくりでいいさ。映画は逃げないだろ」
「でも公開が終わって……かもしれないですよ」
「そんなに長い風邪も珍しいけどな」
「です……ね……」
エリカは少し笑ってくれた。
それが嬉しくてしばらく無言のまま部屋にいた。
この二人だけの時間が少しでも長くあってほしい、と願いながら。
秒針の音が聞こえるぐらいに静まり返った部屋で俺はふと思い出した疑問をエリカに投げかけた。
「あ、そういえばさ、何でさっき……」
俺が触れたのに特殊体質が出なかったな、と、言おうとしたがエリカは瞼を閉じていたので無理に聞いては可哀想だと思った俺は聞くのをやめた。
途切れ途切れの会話だったが、エリカの優しい気持ちを感じた俺はもう一度エリカの表情に視線を送った。
さっきまで眉間に寄せていたしわは無くなって幼顔のエリカは幸せそうな面持ちで眠りについていた。
何も言わずに俺は微笑みながら彼女の部屋を後にした。
お読みいただきありがとうございます!
RYOです!
今年の応募には間に合いません……
しかし、そのぶんしっかりと執筆していきたいと思います!