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いろいろな意味で死闘


 「勝負のおさらいをするわね。投手はトラタロウで打者はヒロシ、勝負は一打席でアウトならトラタロウの勝ちで……守備がいないからヒット性の当たり、もしくはヒット、フォアボールならヒロシの勝ちってことでいいわね」

 五月二日の連休真ん中の登校日。野球部のグラウンドのベンチ前でコナツは監督のように腕組みをしながら言った。

 時刻は夕方の四時を回ろうとしていて、下校ラッシュは過ぎ去り他の生徒は辺りにはもういない。気温は寒くもなく暑くもない、最近では珍しく雨の降る気配はなく東の空がほんのり夕焼け空に変わろうとしていた。絶好の勝負日和と環境だ。

 「オーケー。いつでもいいぜ」

 俺は余裕そうにコナツに応えて見せる。が、コンディションは……正直に言うと精神的につらかった。ふいに俺は校舎の昇降口に視線をやる。もしかしたらエリカがいるんじゃないかと思ったが、予想通り彼女の姿はなかった。

 昨日、裏月神社から輝き寮へと急ぎ足で帰った後ですぐにエリカを彼女の部屋で寝かせ、コナツに事情を言い看病してもらった。コナツにどういう顔をすればいいか、何て言って輝き寮に入ろうかなんてその時は微塵も考えていなかった。一刻を争っていたので輝き寮を飛び出したことなんてどうでもよかった。コナツも一緒の考えだったらしく俺とは何もなかったかのような素振りだった。俺の言葉を鵜吞みにしてエリカの看病に努めてくれた。その数分後にコナツからエリカはただの風邪と聞かされ、最後に明日の学校は休む、と、それだけ言い残してエリカの部屋の扉を静かに閉めた。

 まるでエリカに近づくなと言わんばかりに。そう思えた。

 「さっさとやるぞ。俺は自主練をやりにきたんだから。こんな茶番興味ねーよ」

 相も変わらずトラタロウはめんどくさそうに吐き捨てた。この日のためにどれだけ時間を費やしたかわかってんのか? すべてはてめーの天狗っ鼻をへし折るためじゃボケえ、とは言えずにいた俺はただひたすらにトラタロウを睨みつけた。

 「それじゃ、二人ともそれぞれの場所に行って。あたしはここで見届けるから」

 「え? ストライクかボールかを見極めるのに審判がいるだろ?」

 「キャッチャーもいないのにあんなところに立ったら死ぬでしょうが」

 「いや、そうだけどさ」

 「安心しろ。おまえなんかにボール球は投げねーよ。全球ど真ん中ストレートだ。言っといてやるよ」

 背中越しにトラタロウは俺にそう言うとマウンドへゆっくり歩いて行った。全球ど真ん中でしかも変化球なしだと? 笑わせてくれるぜ。そんなの俺が通い詰めたバッティングセンターのマシンと変わりないじゃないかよ。どれだけ通ったかといえばポイントカードが満タンになるぐらいだ! ゴルァ!

 意味不明な自画自賛をして心の中で鬨の声をあげた。そして俺もトラタロウに遅れをとらないようにバッターボックスへと歩き出す。

 「ヒロシ。待って」

 しかし途中でコナツに呼び止められる。なんだよ、人がせっかくモチベーションをあげて最高潮で決戦の地に向かおうとしていたのに。そうか、さては俺のこの姿に惚れたんだな。残念だが俺にはエリカという……。

 「あんた何で打つ気なのよ。はい、バット、それにヘルメット」

 スタコラとベンチに戻り、手渡された金属バットと黒いヘルメット。

 これがないと何も始まらない。もしかして緊張しちゃってるのか俺は? いや、そんなことあるわけない。あってはならない。なんなら金属バットなんて要らない。なぜなら、いましがたコナツに接近したせいで元気になった息子であいつの球をホームランにしてやろうか。……自分でバカみたいなことを思ってあれだけど、想像すると股間が痛んだ。

 「どうしたの? 緊張でお腹痛くなった?」

 元気になった息子を隠すために得意の猫背を決め込む俺。

 「はは、いや、なに、バッティングは腰だろ。だからこうして柔軟をしてるんだ」

 「普通は座ってやるでしょうが。ま、緊張してるわよね。バットとかを忘れるぐらいなんだから」

「グランドの感触を確かめに行っただけのこと、別に忘れてたわけじゃないから」

 「スパイクも吐いてないのに感触もくそもないでしょ」

 冷静につっこまれてしまった。

 トラタロウが野球のユニフォーム姿に対して俺は家から持ってきたジャージを着用し、靴はスニーカーだった。そりゃあ、道具も大事だけどさ、俺の場合はやっぱりバッティングセンターに通ったこのジャージとスニーカーの方が打てる気がするんだよ。

 「ちょっとしたジョークだよ。……よし、じゃあな」

 ヘルメットを頭にかぶり、いよいよトラタロウとの勝負に挑むためバッターボックスに向かって歩き……。

 「ヒロシ、待って」

 コナツにまたしても呼び止められた。

「なんだよ! もう何も忘れてないぞ?」

「いや、そうじゃなくて……」

「はい?」

 「絶対に勝って。あいつの目を覚まして」

 やけに真剣な眼差しをこちらに向けてコナツは言った。

前にも同じことを思ったが何故彼女は俺の勝利を望んでいるんだ? 初めて会った時の輝き寮での自己紹介の時に彼女がトラタロウに好意を抱いているのは確信がもてた。恋愛経験は無いけど……いや、経験をしようとしている俺だからこそ言える、彼女はトラタロウが好きだ。しかし、何故俺に勝てと言うのか、それが謎だ。

ま、あと考えられるのはトラタロウへの恋心とエリカの気持ちを天秤にかけた時にエリカの方が勝っていたということか。

 「お、おう! あたりまえだろ!」

 曖昧な応えと気持ちのまま打席に向かう俺。だめだ……こんな気持ちじゃ……俺が勝負することになった発端を考えるんだ。そうだ、エリカのためにあいつと戦うんじゃないか。それだけを考えるんだ。

 一流アスリートと言わんばかりに自らの気持ちを奮い立たせた俺は打席に立つとホームベースを金属バットでコンコン、と二回叩いてからバットの先をトラタロウに向けた。

 恰好だけ決めた俺だったが、バッターボックスから見る景色はバッティングセンターのそれとは明らかに違った。当たり前と言えば当たり前かもしれない。でもそれが妙に緊張感を漂わせていて膝が震えてきた。

 相手は機械ではない、それでいてその機械よりもうんと速い球が俺に向かって投げられてくるんだ。

 そんな俺の気持ちを無視するかのようにトラタロウは大きく振りかぶった。

 ヤバい……そう思った瞬間にトラタロウの手元から離れた白球。き、きた! 

しかし白球はホームベースに向かわずに俺の頭上すれすれを通過していった。

 「うおっ!?」

俺はその場で豪快に尻もちをつく。

 白球は後ろの金網フェンスに当たりカシャーン、グランドに乾いた音が響いた。

 「悪いな。アップ不足で球が抜けちまった」

 ニシャっと笑うクソ野郎。

 「てめぇ! わざとだろ!」

 「ヒロシ!」

 緊張が怒りに変わり爆発しそうになった俺をコナツが尖り声で止めた。

 そうだ、冷静になれヒロシ……この勝負はエリカのためだろ。この手に持っている金属バットを使えばあいつをぶん殴って救急車送りにすることなんて容易いこと。でもそんなことをしても意味がない。勝ち負けは野球で決めるんだ。

これでワンボール、つまりあと三球ボール球を投げれば俺の勝ちじゃないか。

 スッと立ち上がり尻の部分の砂を払った俺は再びバットを構えた。前向きに考えろ、さっきまで緊張しかなかったが怒りが立ち込めてきてくれたおかげでまともにトラタロウを見ることができるようになった。視界が広がった俺は、よし、いける、と自らを奮い立たせた。

 さっきまで笑っていたトラタロウが二球目を投じようと大きく振りかぶった。

 そして手元から白球が放たれる。

 きた! 本当にど真ん中! 絶好球!

 渾身のフルスイングが炸裂。

 ……しかし無情にも白球はホームベース上を通過し、俺の金属バットにはかすりもせずに金網フェンスにぶち当たる。

 「これでワンストライク、ワンボールよ」

 速っ! ……ここで俺の脳裏にひとつ言葉が浮かび上がる。勉強のために輝き寮のテレビで見たプロ野球中継の解説者の言葉だ。

『打者の手元で球がかなり伸びてますね~』

本当に意味が分からなかったんだ、最初に聞いたときは。

でも、今実感した。ああ、そういうことね。

 トラタロウから放たれた白球は俺に向かって来るや否や綺麗な直線を描いたまま後ろのフェンスに吸い込まれた。言葉で表現をしようと思えばそんな感じ。もっと言えば、飛行動物が低空飛行をするように美しく、スー……っと、優雅に飛ぶように俺の真横を通過していく。

 握っているバットでその飛行動物を捕らえられるわけがない。大きな網がいる。ましてやバットを振り下ろしてジャストミートなんてもってのほかじゃないか。

 再確認したぜ……野球の難しさとやらを。

 レベルの違いに愕然としていた俺を差し置いて、トラタロウはあらかじめマウンドの後ろに置いておいた白球に手を伸ばした。

 せめて少しでも油断してくれたらそこに付け込めるのだが。そんな気はさらさらないらしく、トラタロウの表情は笑いもせず、ひたすらに俺を睨みつけていた。無表情で真剣な彼に初心者に対しての力配分なんてものは皆無らしい。

 白球を拾い上げたトラタロウは再び両手を大空に上げ、振りかぶる。

 三球目がくる……。どうやってあの飛行動物を捕らえればいいんだよ。やっぱり大きな網がいるよな。しかし、俺が手に持っているのは真っすぐな金属バットのみ。考えれば考えるほどに無謀な挑戦をさせられているように思えてきた。

 いや、待て、あいつは俺に言ったじゃないか。「全球ど真ん中ストレートだ」って。その言葉どおりさっきの球はバッティングセンター同様にホームベースの真ん中を飛行していった。だったら球は必ずそこを通る。そこにタイミングよくバットを振り下ろせばいいだけのこと。簡単に考えるんだ。飛ぶ鳥の通り道が分かればこっちのもんよ。自分のスイングに自信をもてヒロシ。

 トラタロウはゆっくりと片足をあげる。その動作に連鎖するように俺も片足をあげてタイミングをとる。

 そして白球が放たれた。

 スー……っと、球の回転音が聞こえてくる。俺はバットを思いっきり振り下ろす。

 カシャーン。

 グランドに響いたのはまたしても白球が金網にぶつかる音。

 さっきよりもかなり早めに振ったはずのバットは空をきった。

 「……ツーストライク、ワンボールよ」

 「くそっ! なんで……なんで当たらないんだよ……」

 わかっていたはずだろ、ど真ん中に球が来ることは。それでも、わかっていても当たらない不思議な現象にトラタロウのすごさを垣間見た。あいつが先輩に対してビッグマウスなのも、自分に絶対の自信をもっていることも頷ける。野球初心者の俺でさえその野球の実力を肌で実感した。それは天狗になるよな。

 俺は一つの絶対に考えないようにしていた所に行きついてしまう。

 トラタロウに勝つなんて無理だったんだ。

 たかが二日、三日練習しただけの俺が中学でも有名だったやつの球を打てるわけがない。普通に考えればわかることじゃないか。

 すでに白旗をあげる準備はできている。あと一回このバットを振ってとっとと楽になろう。

 あきらめムード全開の俺は再びバットを握った。

 「っつ!」

握ると手のひらが痛む。さっきまで感じなかった手の痛みが脳に伝わる。手のひらには無数のマメができ、皮も数か所めくれている。こんなに手がボロボロになるまでよくやったもんだ。でも何故ここまでしたんだっけか……。

 その答えは一人の女の子のためだ。

 その時、風が吹いて、ふいにコナツがいるベンチの反対側に視線がもってかれた。視線がもっていかれた先に映ったのは誰かがフェンスにしがみついてこちらを見つめている姿。

 まさかと思った瞬間に予想は的中する。

 「エリカ……」

 視線の先にエリカがいた。

 彼女は学校を休んでいたにもかかわらずに制服を着ていた。ここに、この場所に来るためだけに輝き寮を飛び出して見に来ていてくれた。しかし彼女は不安そうな表情で俺を見ている。そんな顔しないでくれよ。

 見渡す限り一面の砂漠地帯で歩き続けて死の淵をさまよう。そんな時にオアシスを見つた旅人のように、俺は再び息を吹き返した。

 「負けられない……絶対に負けちゃだめんだよな!」

 まだあと一球チャンスは残っているんだ。最後まで何が起こるかわからないのが野球だ、と、どこかの実況者も言っていたじゃないか。

 もう一度、あの低空飛行してくる白球にこのバットが当たらなければそれでゲームセットだ。やつは絶対にこのホームベース上を通る。そいつに絶対にこの金属バットをぶち当ててやるんだ。

 でも今までと同じじゃだめだ。さっきの空振りの時にあれだけ早く振ったにもかかわらずカスリもしなかったことを考えると結果は同じになる。

 まてよ……通過する場所がわかっているんだったら……。

 「これに賭けるぜ……」

 トラタロウは最後の一球になるであろう白球を掴んだ。そして一呼吸落ち着かせる間もないままに振りかぶる。

 一瞬の閃きを実行するかどうかを考えている時間はなさそうだ。

 そして足を高々とあげると俺にとどめのラストボールを放った。

 「一か八かだ……」

 俺はバットを横に寝かせて自分の体の前に差し出す。

 「な、バントだと?」

 「当たれえええええええええええええええええええええええ!」

 低空飛行の白球は同じ空路を飛行し、俺の構えたバットに引き寄せられ。

 キンっ!

 今日初めて金属音がグランドに響いた。

 当たった……ついにあの飛行生物を捕らえたんだ!

 白球は力なく一塁側のフェアゾーンへと転がる。

 それを確認した俺は一目散に一塁ベースへと駆け出した。

 「うおおおおおおおおおおおおお!」

 「なめたことしやがって!」

 トラタロウもその白球を追って走り出した。

 あそこだ、あの一塁ベースに到達すればヒットと同じだ。コナツにもらった本が役に立った!


『セーフティーバント。バッティングの構えからバント姿勢に変更し、相手の守備陣の意表をつく打撃戦術の一つ~日本人メジャーリーガー監修! 野球超入門、打撃応用の章、百五ページより抜粋~』


 あともう少しだ、もう少しで!

 「これでタッチアウトだ!」

 背後からのトラタロウの声に恐怖を感じた。もうやつは白球をグラブに収めて俺にタッチをしようとしているらしい。それではアウトになってしまう。

 「く……届けえええええ!」

 「させるかよ!」

 一塁ベース目前で俺はヘッドスライディング。

 胸に強い衝撃を受けながらズザアアアアア! と頭から滑り込み一塁ベースにしがみついた。

 砂煙がグランドに立ち込めて、辺りは静寂に包まれた。

 結果は?

 勝敗は?

 俺は勝ったのか?

 すべて同じ意味だったが、どうなったのか知りたくて俺は顔だけを地面からあげて辺りを確認する。目の前にコナツがしゃがみこんでいた。

 「ナイスファイトよヒロシ」

 「ど、どうも……で、どうなったの?」

 コナツはその俺の問いに対して両手を大きく横に伸ばした。

 「セェェェェェェェェェフっ! トラタロウはヒロシにタッチしようとしたけど、あなたがヘッドスライディングをしたおかげで空タッチ、つまり体に触れられなかったの」

 「ってことは……」

 「ヒロシの勝ちよ!」

 その言葉に俺は跳ね起きた。そして振り返るとトラタロウがあぐらをかいて座っていた。しかし、彼は悔しそうな表情は浮かべておらず、むしろ消化不良のように思えた。

 そして一番に勝利を伝えたかったエリカに視線を送る。

 彼女は俺の方を向いて、恥ずかしそうに、小さくピースをしてくれた。

 その瞬間に初めて俺はこの勝負に勝ったことを実感した。バントだったけど。

 「なんだよおまえ。まさか勝ったとか思ってるのかよ」

 あぐらをかいていたトラタロウが俺に罵声を浴びせるように言う。

 「ええ、ヒロシは勝ったのよ。ちゃんと野球に則ったルールを使ってね」

 「ルール? 笑わせんなよ。だったら守備をしっかりつけろよ。ファーストが守っていたらただのファーストゴロじゃねーかよ」

 「それじゃ、守備についてもらったらよかったじゃない。あたしは言ったわよね、今日の日のために何人かの野球部の同期に守備についてもらうために頼んでってね。そしたらトラタロウはなんて言ったかしら」

 「うるせえな」

 「もしかして守備についてくれる人がいなかったんじゃないの?」

 「いらねえよ。他のやつなんて」

 「中学時代もそんな調子だったからこんな地元から離れた高校に入学して寮生活なんて送ってるんじゃないの?」

 トラタロウの表情が明らかに変わる。まるっきりコナツのことなど相手にしていない表情から話題にのめり込むような表情に。

 「いい加減黙れよ! なんでお前に説教されなきゃいけないんだよ!」

 「あなたの弱い部分を知ってるからよ。それにそのあなたの弱さが何を招くのかもね」

 「頭おかしいんじゃねーの? もう帰れよ」

 「いや、待ってくれ。俺が勝負に勝ったんだろ。だったら一つ頼みがある」

 咄嗟の発言に反応したトラタロウは俺を睨みつけた。

 「だから守備がいたら普通にアウトだって言ってんだろうが」

 「あの日のおまえの発言をエリカに謝ってくれ」

 「なにを……馬鹿々々しい」

 「おまえにとっては軽い発言なのかもしれない。でも、でもな、エリカはものすごく傷ついたんだよ。あいつって超が付くほど優しくてさ。だから頼む、エリカに謝ってくれ」

 俺は深々と頭を下げた。

 「あたしからもお願いするわ」

 コナツも頭を下げてくれた。

 「なんなんだよおまえらは……もうほっといてくれよ」

 トラタロウが了承してくれるまで頭をあげる気はなかった。

だが、グランドに俺たち以外の人間が侵入してくる足音がして、俺は頭をあげた。

「おろろ? 練習は休みなのになにしてるんだ?」

坊主頭に制服姿の五、六人ほどの集団がぞろぞろとニヤケた顔でグランドに現れた。

 「自主練……です」

 珍しく敬語の使うトラタロウにこの集団が野球部の先輩連中だと認識してまず間違いないと思った。

 「ヤバい……三年の川井だ」

 コナツが呟いた。

 「知ってるのか?」

 俺の問いにコナツは静かに頷いて、表情を曇らせていく。川井先輩なる者は坊主頭にプラス眉毛が無かったため、どう見てもヤ○ザにしか見えなかった。

 「野球部じゃない生徒にグランドで頭下げさせるのがトラタロウ君の練習メニューなのかな? やっぱりピカピカの一年生エースは練習もやることが違うね~」

 この発言に対してケラケラと他の坊主集団が笑い始めた。トラタロウは顔が赤くなり歯ぎしりを始めている。ヤバい、キレる寸前の人間の顔になってる。

 「先輩達……いい加減に……」

 「あ、すいませんでした。あたし達はもう帰るんで、逆にトラタロウ君の邪魔しちゃってて」

 「おろろ? よく見るとかわいいね。そのリボンの色は一年生だね。今日さ俺ら練習休みで暇なんだよ。今からどっか遊びに行かない?」

 「え、ちょっと、待って」

 うまい具合に仲裁に入ったコナツは先輩連中に取り囲まれてしまった。彼女の顔が引きつっている表情を初めて見た。

 「ね、いいでしょ。彼氏いるの? 俺らも野球ばっかだから彼女いなくてさ~たまの休みの日も暇で暇で。ま、こんな休みの日にもポイント稼ぎか知らないけど自主練とかしてるアホもいるけど」

 明らかに川井先輩はトラタロウを挑発していた。あの日も、トラタロウが袋叩きにされた日も、もしかしたらこんな感じだったのかもしれない。事の発端はトラタロウの不愛想で人を見下す性格が災いしたのかもしれないけどこれだけ言われたらさすがに誰でもキレるだろ。

 それでもまだトラタロウは耐えていた。

 となれば今度は俺の出番か。

 俺はコナツと川井先輩との間に入った。

 「す、すいません。これからこの子と予定があって。先輩方には申し訳ないんですが僕たち二人は帰らせていただきます」

 「は? おまえには聞いてねーよ」

 思いっきりガンを飛ばされてしまった。

 「ね、いいでしょ。名前なんていうの?」

 「え、あの……」

 「おろろ、わかった、もしかしてトラタロウ君の彼女? だからキョドってるの?」

 「いや、違います」

 「おろろ、違うんだったらいいじゃん、行こうよ、ね?」

 「きゃっ!」

 コナツは川井先輩に腕を強引に掴まれた。

 その時、他の先輩連中の一人が前のめりに勢いよくぶっ倒れた。怒りが頂点にまで達したトラタロウが後ろから尻に蹴りをいれたようだ。

 「先輩方……本当にすいませんが……練習休みならおとなしく帰ってくれませんか」

 「おろろ、ついに手を出しちゃったねトラタロウ君。また前みたいになるよ? それに今回は自分から手を出したから大好きな野球ができなくなるかもよ?」

 「手は出してませんよ、蹴り入れたんです。目、見えてますか?」

 「おろろ、そうか……そうか……おい、そいつ押さえろ」

 川井先輩の掛け声とともに残りの先輩連中がトラタロウ一人に対して後ろから羽交い絞めにしようとする。

 「触んじゃねーよ!」

 「黙っとけ一年! コラっ!」

すぐにトラタロウも抵抗するが数には勝てずに両腕を後ろから抑え込まれてグランドに顔の頬をつけられた。

 「おい、なにすんだよ! トラタロウを離せ!」

 いてもたってもいられなくなった俺はトラタロウを押さえつけているやつに飛び掛かり引き離そうとした。が、川井先輩に背を向けた瞬間に後ろから後頭部に重い一撃を与えられてしまった。たぶん肘うちか何かだ。足がふらついて、俺はその場に膝をついた。

 「部外者は黙ってろ。さて、先輩にたてついたことだしお仕置きしなきゃね。おろろ、いいところにバットがあるじゃない」

 川井先輩はグランドに転がっていた金属バットを拾うとトラタロウの前に立った。

 「さてと……ここからちょっとだけ個人的な話になるんだけどよ。お前が来なかったらよ、背番号一は俺のままだったんだよ。わかるか? 入学早々のやつにエースを譲る気持ちが?」

 「わかるわけないじゃないですか。だって俺が今エースなんですから」

 「そうだよな……それじゃ、嫌でもわからせてやるよ。今、ここでおまえの右肩をぶっ壊して二度と野球ができなくしてやるからよ」

 この坊主頭は正気か? こんなことしたら停学じゃすまないだろ?

 「ま、待って、待ってよ! ね、お願い! それだけはしないで」

 イカレた川井先輩の目の前にものすごい勢いでコナツが駆け寄った。

 「そんなことしたら川井先輩もヤバいですよ?」

 「なんで俺の名前知ってんだよ。まあ、いい、ヤバいってことぐらいわかってるっての。ただ俺は……どうしてもこいつだけは許せないんだよ! こいつさえいなかったら……俺はあのマウンドで今も投げてたんだ!」

 「お願い、あたしなんでもしますから! 今からも遊びにも付き合いますから、だからトラタロウの肩をあがらなくしないで! お願いよ!」

 肩があがらなくなる? そんなとこまでわかるのかコナツは。

 「知るか! もうここまできたらやってやる……なめられたままで終われるかよ!」

 川井先輩は目が血走っていてとても止められる様子ではなかった。しかしコナツは川井先輩にしがみつき始めた。

 「お願いっ! 絶対にそれだけはしないでっ!」

 「離せや! こらぁっ!」

 ぶん、と右手で思いっきり振り払われたコナツはグランドに叩きつけられた。

 「ひ、ヒロシ! トラタロウを助けてっ!」

 コナツは悲痛な訴えを俺に声にして託した。

 わかってる……でもよ……くそ! このままじゃトラタロウが……動けよ……動いてくれよ俺……ちくしょう、さっきの後頭部への一撃でまだ足がふらつきやがる……。

 「やってやる……なめやがって……ぶっ壊してやる……」

 金属バットを高々とあげた。

 「ぶっ壊してやる!」

 「トラタロウ逃げろ!」

 俺は叫んだ。だが両腕を拘束されているから逃げれない。

 くそ、なんでこんな事になっちまったんだよ。


 「や、やめ……やめてください」


 トラタロウがやられる、そう思って瞼を閉じた時、聞き覚えのある声が俺の耳にささやくように聞こえた。

 瞼を開けると小さな少女がトラタロウと川井先輩の間に立っていた。少女は怖いのだろう、とても震えていて足腰はガクガクしている。

 「なんだよおまえ」

 「わ、私は……トラタロウ君の……輝き寮の……仲間です」

 「エリカ! 危ないから下がってろ!」

 動けない分、俺は声を張り上げた。

 「いいからどけ」

 「ど、どど、どきません」

 エリカは金属バットを持ち、目が血走り、正気じゃない川井先輩に対して、一歩も退こうとしなかった。ましてや少しだけだが川井先輩を睨みつけているようにも思えた。

 「これは俺とそこで這いつくばってるやつの問題なんだよ。どいてろ」

 「い、いや、嫌です。あなたは暴力をふるった人です。ヒロシ君やコナツさんにも……もうやめてください。何か悪いことをしてしまったのなら謝りますから。だから……もうやめてください」

 「会話が嚙み合ってねーんだよ。いいから下がってろ」

 川井先輩はエリカを避けてさらにトラタロウに歩み寄った。

 その時、川井先輩の金属バットを持っている方の手をエリカが握った。

 「おい、何度も言わせんなよ」

 「お、おね、お願いで……あ、あれ? ……お腹が……嘘……いや……」

 急にエリカの様子がおかしくなった。お腹を抱えて……。

って、まさか……。


 「ブルッ! ブルウウウウウウウウウウブッ! ブルウウウウウウウウウウウ!」


 エリカから放屁の濁音がグランド一帯に響き渡った。

 女子高生が特大のオナラをするという珍事件的出来事に、ここにいた全員が目を丸くして耳を疑ったのは間違いない。しかし、誰よりも驚きを隠せないのは何を隠そう、この俺だ。

 なんで……だって、克服したはずだろ? 大丈夫なはずだろ? あの日のショッピングモールでも昨日の神社でもしなかったじゃないか。なのに……。

 エリカはショックを隠せないらしく、さっきまでの勇気を失ったようにその場にペタリとしゃがみこんで動けなくなった。

 「……はっ? アッハッハッハ! なんだこいつ、屁こきやがった! マジウケる! めちゃくちゃ気持ち悪いじゃねーか!」

 少し間が空いて、川井先輩が奸悪な言葉をエリカに浴びせた。

 殺してやる。

 さっきまでどうあがいても立ち上がることのできなかった俺はすぐに立ち上がり、何のためらいもなくやつの頬をぶん殴った。そしてやつが倒れ、握っていた金属バットがグランドに転がるとそれを拾ってやつの腹の辺りに振り下ろした。

 何の躊躇もなく、俺は殴った。

 殺してやる……殺してやる……殺してやる……殺してやる。

 今まで白球を打ってきたバットで、人間の体を殴り続けた。

 ただ一心不乱にその行為を続ける。

 が、後ろから誰かにしがみつかれる。

 「ダメ! ヒロシ! やめて……」

 コナツだった。彼女は泣きながら俺を止めてくれた。しかし、こんな汚物を生かしておいては世の中のためにならないと思った俺は激情を抑えきれずに彼女を振り払おうとした。

 「こいつは無理だ。エリカを……泣かせやがって……なんの気持ちも知らずに……踏みにじりやがって……」

 「わかる、痛いぐらいにその気持ちはわかるよ。けど……そのエリカちゃんが……あんたがこんな事したら嬉しく思ってくれるの……?」

 後ろから抱きしめられながらコナツにそう言葉をかけられた。その言葉で俺は我に返った。後ろでしゃがみこんでいるエリカに視線を落とす。

 俺を見て彼女は泣いていた。

 俺がトラタロウを殴ったあの日に見せた表情と何も変わらなかった。それが身にしみるように視界に飛び込んできて俺は後悔した。


 「コラぁ! なにをやっとるかぁ! おまえたちっ!」


 川井先輩が気絶したころ、男性教師たちが血相を変えてグランドに全力でダッシュしてきた。そして一番最初に俺が拘束され、校舎内へと連行された。ま、片手に鈍器のようなものを持っていたからあたりまえか。

 連行される時に頭の中で思っていたことはただ一つだけ。


 ああ……まただ……またエリカを悲しい気持ちにさせてしまった。


こんちゃー

RYOです!お読みいただきありがとうございました!


この季節は飲み会が多くなってきて、

さらに12月はもっと多くなって……

三期MF文庫に間に合わなくなりそうです。

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