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「まずは一夫多妻制にする」

 パァンと、目の前で空気が弾けた。


「おはよう蒼泉!」

「……お、おはよう」


 蒼泉はしばしツッコむことすら出来ずにその場に立ち尽くした。

 そんな蒼泉が面白いのだろう、目の前の友人は得意げに見下ろしてくる。

 蒼泉が目線を落とすと、廊下に色鮮やかな紙テープや丸くヒラヒラしたもの。

 鼻につく微かな火薬のにおい。


 周りを見たが、クラスメートたちは友人の奇行から素早く目を逸らしてしまう。

 蒼泉はため息をついた。


「秀一、何これ」

「マリモクラッカーだってよ。この丸くて緑なのがマリモみたいだからじゃね?」

「そうじゃなくて、何でこんなものを持ってるのかってこと!」

「おお、蒼泉! 聞いてくれるか!」


 ――しまった。墓穴を掘った。

 高橋秀一に思い切り肩をつかまれ、蒼泉はすぐさま自分の行為を後悔した。

 しかし秀一は気になどしていない。拳を握って熱く語り出す。

 ついでに鼻息も荒い。その鼻息で紙テープが飛んでいくほど。


「いいか、昨日はクリスマスだった。恋人たちと過ごす甘く白い甘美な日」

「甘く甘美って重複してるよね」

「しかし! 世の中全てが幸せだったとは限らない。中には涙と共に一夜を過ごさなければならなかった切なくも悲しい女の子たちが存在するわけだ」

「むせび泣いた男もいると思うけど」

「そこで! 俺は昨日の夜、そんな天使たちを慰めるべく立ち上がり必死になって声を掛けて掛けて掛けまくった。アイちゃんアミちゃんカナちゃんサナエちゃんツグミちゃんナオちゃんナギちゃんマキちゃんモモちゃん……」


 止まることなく流れていく女子の名前の数々。まるでお経だ。


 しかし今に始まったことでない。

 秀一は極度の女の子好きで、中学生にしてナンパに命を懸けている。

 テストの点は悪いが、女の子の名前を覚えるのだけは誰にも負けないという特技を持つのだ。

 蒼泉は常々、失礼ながらも彼は名前負けしていると思っている。

 名づけた親は一体どんな心境だろうか。


 ともかく、秀一は昨日も懲りずにナンパという名の戦へ繰り出していたらしい。

 しかし惨敗して今に至るのだろう。

 彼の尻ポケットに突っ込まれたクラッカーの数々がそれを物語っている。

 どれも悲しいことに未使用だ。


 秀一がなぜこうもモテないのか。

 それは決して顔の問題ではないはずだ。

 蒼泉の基準では何とも言いがたいが、たとえ「カッコいい」とまで評価は出来なくとも、それほど崩れた顔ではない。

 と、思う。背だって悔しいことに彼の方が蒼泉より高い。


 それでいて壊滅的にモテないのは、やはり彼の言動、特に女好きで半端のないナンパ癖が大きいのだろう。

 正直あれはいただけない。

 男の蒼泉から見てもそうなのだから、果たして女性からはどれほどひどく思われているのか。


 しかし言っても無駄なことは経験から実証済みであった。

 彼の脳内補完スキルはその辺のロボットより高度で精巧、いや精工だ。

 都合の良い解釈には新品の車より磨きがかかっている。

 それが単なる現実逃避なのかデフォルト状態なのかは定かでない。恐らく後者だろうが。


 そこまで考えたところで、ようやくお経が止んだ。

 蒼泉は肩をすくめる。

 何と返そうか迷い、結局無難なツッコミしか浮かばなかった。


「どうでもいいけど、そんな鼻眼鏡なんてつけてちゃ誰もついて行きたがらないって」

「甘いな蒼泉。クリスマスケーキより甘い、二十回かみ締めた米より甘い。今の男にはユーモアが求められる時代なんだぜ」


 もう訳がわからない。

 ハイハイと相づちを打ち、蒼泉は自分の席に鞄を置いた。

 彼の戯言をまともに取り合っていてはキリがないと、これもまた今までの経験から十分に理解している。

 鼻眼鏡を光らせて笑った秀一は、それを外してふうと一息ついた。

 彼は蒼泉の前の席に腰を下ろす。


「それで? 蒼泉くんは今日も朝からお疲れなようですが」


 意外と鋭い。

 蒼泉は瞬き、小さく苦笑した。


「そんなことないよ。また、家の前に知らない人がいたからうんざりしちゃっただけで」

「ふうん。大変だなぁ、若くてカッコいい政治家の親を持つと」

「……まだ親じゃないけど」


 呟くと、秀一は豪快に笑ってみせた。


「わかってるって、そう過敏になるなよ。ていうか、だからこそ騒ぎになってるんだろ? おまえが子どもになるかもしれないって」


 ――そう。

 最近はそのニュースがテレビや新聞でもちらほらと流れている。


 蒼泉の育て親にも値する松山孝泰、彼は政治家として有名な男だ。

 孤児院にいた蒼泉を引き取り、今まで彼の家に住ませてくれていた。

 だが、あくまでも引き取っただけ。

 蒼泉の戸籍は水沢のまま、中途半端に居候の形をとっていた。

 その生活を三年ほど続けていたが、最近になって本格的に蒼泉を養子にするという話が出てきたのだ。

 松山は若くて有能、おまけに女性に受ける顔だということで知られているため、そのニュースは瞬く間に広まった。

 政治家どころか芸能人のような扱いで報道されていることさえある。

 若いとはいっても大袈裟なものでなく、実年齢より若々しく見えるというのが正しいのだけれど。


(おかげで知らない人にいっぱい話しかけられるし……)


 蒼泉自身への取材は一切拒否ということになっているが、それでも情報の流出を止めることなど出来はしない。

 今朝のように家の前でジロジロと視線を投げかけてくる人も少なくなかった。

 最近はようやく落ち着いてきたようだが、しばらく心を休める余裕などなかったものだ。

 期末テストも散々だった。今日返ってくる成績表が恐ろしい。


「でも、何で今さら養子なんだ?」


 秀一が机に落書きをしながら首を傾げてくる。

 蒼泉はそれを遠慮なくゴシゴシと消した。


「ダシだよ、ダシ」

「ダシ?」

「選挙が近いみたい。オレをダシにして票を稼ぎたいんじゃないかな。私はかわいそうな子を養子にしてあげる、いい奴なんだぞっていうアピール」


 肩をすくめた蒼泉に、秀一は不満げな表情をする。

 この不満は松山へのものだとわかっているから、蒼泉はホッと笑顔になった。

 彼の、素直に友達に肩入れする性分は嫌いでない。


「……それに、静江さんがそろそろ限界だから……」


 松山静江。松山の妻。


 へえ、と秀一はうなずいた。

 特に深く踏み入ってこようとするわけでもなく、再び机に落書きを始める。

 まるでツチノコのような絵だが、本当は何なのかよくわからない。

 秀一も自分で上手く描けなかったことがわかったのだろう。

 顔をしかめ、すぐにシャーペンを机に放り投げた。


「よくわかんねーけど大変だな」

「うーん、でもオレもよくわかんないや」

「上等上等。それに騒いでるのってあれだろ、女ばっか。しっかし、政治家で若くて顔が良いからってそんなにいいもんかねぇ」


 ふん、と秀一が鼻息を荒くした。

 蒼泉が見やれば、彼はぐっと身を乗り出してくる。

 秀一はモテる男が気に入らないのだ。

 言ってしまえば単なる僻みであるが、さすがにかわいそうなので口にしたことはない。


「俺だって政治家の一人や二人になれば、日本をもっと良く変えられるぜ」

「二人になるなら分裂から始めなきゃいけないけど、例えば?」

「まずは一夫多妻制にする」


 …………。

 …………。


 大真面目に言うものだから反応に困る。

 本気で思っているのだから悲しくなってくる。

 蒼泉は肩を落とした。

 そろそろ本鈴が鳴らないだろうか。鳴ってほしい。


 しかし腕時計を見たところ、まだ時間に余裕はある。

 仕方がないのでもう少しこの友人に付き合ってあげることにした。


「女を侍らせたいなら脳内だけにしときなよ、それなら犯罪にはならないから」

「待て待て、これはただの欲望ではない。ちゃんと考えがあるのだよ」


 えっへん、と秀一は胸を張る。

 わざとらしい口調へツッコむ気力は蒼泉に残されていない。完膚なきまでにスルーだ。


「いいか? 一夫多妻制にすれば少子化対策になる! ――かもしれない。そうすれば年金問題の解決につながる! ような気がする。その心の余裕で経済効果抜群、景気回復。勢いで温暖化も落ち着く、環境にも優しい政治。ほら見ろ素晴らしい、俺って天才!」

「一夫多妻制になれば、秀一よりいい男が女の子をみんな掻っ攫っていくかもしれないよ」

「なぬっ」

「余って寄せ集められた男たちは苦汁をなめることになりむさ苦しさ倍増、むしろ温暖化は悪化だね」

「……蒼泉、おまえ頭いいなあ」


 秀一は感心したようでしきりにうなずいている。

 蒼泉は彼のおめでたい頭にこそ心底感心した。

 こんな奴ばかりなら日本も平和になるかもしれない。

 ――いや、それは無謀すぎたか。


「聞いた聞いたー!?」


 ガラリと乱暴にドアが開く。

 そこから小柄な女子が飛び込んできた。

 彼女の手にはクシャクシャになった新聞紙が力いっぱい握られている。


「怪盗黒猫が出たって! 昨日!」

「あ、それ知ってる」

「クリスマスに盗むなんてロマンに溢れてるよねぇ」

「キザなことも黒猫がやるならサマになるっていうか」

「そうそうっ」

「黒猫は大切なものを盗んでいきました。それは私の心です」

「うわ、何言っちゃってんのあんた」

「でも本当にカッコ良さそうじゃん、目の前にいたらどうなるかなっ?」


 とたんに騒がしくなる教室。やたらと飛び交う〝黒猫〟という単語。

 蒼泉は瞬いた。


「……何?」

「げえっ」


 熊か蛙が潰れたかのような声を上げたのはもちろん秀一だ。

 実際に潰れたときの声を聞いたことはないが、きっと実物より秀一の声の方が不気味だろう。

 何となくそう思う。


「何さ、その反応」

「いや、だってよ。蒼泉知らねぇの? マジで?」

「そんなに有名?」

「そりゃなあ」


 うなずき、肩をすくめる。その様子は本当に呆れているようだった。

 悔しいがクラスの反応を見る限り、蒼泉の方が少数派のようだ。

 ここは秀一に教えを乞うしかない。

 目だけで促すと、秀一は得意げに片眉を上げてみせた。


「〝怪盗黒猫〟ってのは、まあ、ある意味文字通り。怪盗、簡単に言っちゃえば泥棒だな。予告状とか送っちゃうようなちょっとイカれたキザな奴。それでいて全然捕まらないからマスコミやらも騒いでるんだよ。しかも〝黒猫〟が盗むところは大抵悪さをしてるお偉いさんで、むしろそいつらの方が後々捕まっちゃったりするんだよな。ニュースでも時々やってるはずだぜ? 『現代のネズミ小僧か! 真の目的は一体!』みたいなノリでよ。ま、結局のところ愉快犯って話だけど。とりあえず悪いところから盗んでいるせいもあって、盗みは盗みなんだけど興味や好感を持っちゃう奴もいるわけよ。クラスの女子みてぇに。それで有名なんだけど……どうよ、本当に知らないのか?」

「テレビ、最近見てないもん」

「うぇ。おまえ現代っ子じゃないな!」


 それはやや偏見に満ちている気がする。

 蒼泉は眉を寄せた。

 突きつけられた人差し指を叩き落す。ベシリと音がする勢いで。


「仕方ないだろ。松山とか自分のこととか、ニュースで流れているのを見るのが嫌だったんだから」


 油断していると名前が耳に入ってくる。それはもううんざりするほど。

 それを避けている内に、何となく最近はテレビそのものを敬遠するようになっていたのだ。

 そこで秀一も納得の色を見せた。

 ふうん、と人差し指をさすりながらうなずいてみせる。なかなか痛かったらしい。


「それよりオレは、秀一がニュースを見ているってことに驚いたけどね。アニメとかじゃないんだ?」

「青いな蒼泉。青二才より苦く青い。最近のニュースキャスターは好みの女が多いんだ。俺、若くて綺麗なお姉さんもいいけど熟女もいけるっ! ニュースを読むような機械的な声で愛していると囁いてほしい!」


 明日から冬休みだというのに、友人の脳はすでに春。ほどよく溶けているようだ。

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