「次はどんな色が見られるだろうね」
視線は痛いほど感じていた。
狙っている。ずっとこちらを見ている。
蒼泉はあえてその視線の主を見なかった。
ずっと前を見据え息を殺す。
まだ動けない。動いてはいけない。
周りの音はほとんど右から左へ流れていくばかり。
視線を巡らせ、出口の確保に気を配る。
ここからではやや遠い。だがもたつく距離でもない。
合図が、あった。
素早く荷物をつかみ、蒼泉は駆け出した。
視線の主もハッとしたのが気配でわかる。
立ち上がる音が聞こえた。
「待て!」
そう言われて待つほど蒼泉は馬鹿でない。
無視をして一気にドアを開け放った。走り抜けながら人混みに飛び込む。縫うように駆けていく。
「こら! 待ちやがれ! 蒼泉っ!」
「しつこい男は嫌われるよ!」
「何おうー!?」
声はどんどん離れていく。
勝った。しかし油断は出来ない。
手際よく靴を履き替え、履いていた靴を下駄箱に放り込む。
「……ふう」
外に飛び出し、――校門を出たところで蒼泉は息をついた。
空気は冷たい。歩道の端に雪が山のように積み上げられている。
「水沢くん?」
背後から声を掛けられ、蒼泉は思わず飛び跳ねた。慌てて後ろを確認する。
「あ、今井」
きょとんとした面持ちで立っているのは今井美冬であった。
制服姿を見るのは電車のとき以来なので二度目だ。
長すぎず短すぎてもいないスカートから、彼女は真面目なのだろうと想像がつく。
わかってはいたけれど。
「早いね。オレ、走ってきたのに」
「先生の話が短かったんで早めに終わったんです」
なるほど。
言われてみれば、蒼泉が廊下に出たとき、すでに随分と生徒が歩いていた。
「水沢くんはどうしたんですか? すごく急いでいたようですけど……」
「うん、ちょっと秀一から逃げてて」
鞄を抱え直し、蒼泉は苦笑した。隣に立って歩き始める。
美冬もそれに倣った。
「高橋くんから?」
「そう。……えーと。今井は見た? 今朝のニュース」
「あ……」
美冬が表情を曇らせる。それはニュースを見たからこその反応だった。
蒼泉は手をパタパタと軽く振った。
さほど意味のある動作ではない。ただ、あえて意味を乗せるなら「気にするな」だ。
「あの……松山さんが養子の件を取り止めにするという話ですよね」
「それそれ。秀一もそのニュース見てたらしくてさぁ。……いや、多分ニュースキャスターのお姉さんが目当てだったんだろうけど。とにかくそれで、一体どういうことなのかってしつこく詰め寄ってきて。始業式早々まいっちゃったよ。あまりにもしつこいから逃げ出してきたんだ」
一応蒼泉なりに説明はした。
だが〝黒猫〟の話抜きでの説明は難しく、どうしても曖昧になってしまう。
秀一もそれで納得が出来なかったのだろう。
それでも蒼泉にこれ以上の説明は無理だし、長々とする気もない。
――飽きっぽい彼のことだ。そのうちほとぼりは冷めるだろう。
蒼泉は楽観的に考えておくことにした。
「水沢くんはいいんですか? 一緒に住むこともなくなるんですよね。困るんじゃ……」
遠慮がちに掛けられた言葉に瞬く。
心配されるとは思っていなかったので少しだけ照れくさい。
「それは大丈夫。ちゃんと引き取ってくれた人がいるから」
「そうなんですか?」
「うん、むしろ伸び伸びと過ごせてるかな?」
――修行だと言われ、変なことをさせられることさえ除けば、の話だが。
思わず遠い目をした蒼泉だが、美冬はクスクスと笑った。
「そうですね。何だか水沢くん、前よりさらに元気みたいです」
「そう?」
「はいっ。前にも増して明るくなったというか、無理がなくなった感じといいますか……」
「……よく見てるね」
確かに自覚はあった。
最近は忙しい――というよりも賑やかな日々ばかりで、落ち込んだりヘコんだりしている暇さえない。
それがかえって楽しかった。
前と比べてずっと生き生きとした生活が送れているのだと思う。
感心の意を込めて彼女を見やる。
すると彼女は目を丸くした。顔が赤い。
「いえっ、ですからその、何となくです!」
「そうかなぁ。今井は人のことを見る目、あると思うけど」
「えええと、その、ええええと、あの……」
褒められたのが照れくさかったのか、美冬が慌てふためき始める。
その様子を見ているのは面白かった。
だが、笑われていることに気づいた美冬が顔を上げる。
彼女は話を変えようと口を開いた。
「あああの、そういえば!」
「うん?」
「私、実は今朝も痴漢に遭って……」
「え」
思わず足を止めた。彼女の顔を見る。
――が、蒼泉は瞬いた。
落ち込んでいるのかと思えば、美冬の表情は妙に輝いていた。
頬を紅潮させて笑顔を向けてくる。
「でも私、倒したんです!」
「た、倒した?」
捕まえた、ではなく?
「はいっ。もらったスタンガンで倒してやりました!」
「使ったんかい!」
「え……、あの、駄目だったでしょうか」
「いや、うーん……」
駄目というわけではないが、スタンガンを容赦なく振り回す少女がたくさんいたら、それはそれで怖い。
しかもここまで無邪気に報告されてしまうと何と言っていいかわからなかった。
「今井ってすごいね?」
「ええ? いえ、そんなこと……!」
きょとんとしたまま慌てて首を振ってくる。
蒼泉は再び笑った。やはり彼女を見ていると面白い。
笑われた美冬は不思議そうな表情をし、だが、彼女もまた小さく笑う。
そこへ滑り込むように車が走ってきた。
歩道ギリギリに停まったため、蒼泉と美冬は若干下がる。
危ない。そう不満に思った瞬間、車のドアが素早く開いた。
「え?」
腕が引っ張られる感覚。
ついでにいつの間に回られたのだろうか、背を勢いよく押された。
よろめいた隙に引っ張り込まれる。
ドアは音を立てて閉まった。
ハッと身を起こした瞬間、車の外の美冬と目が合う。驚きに染まった彼女の顔。
「――ちょっと!」
声を上げるが、車は再び滑り出す。景色がどんどん流れていく。
「まだまだ警戒心が足りないな」
ニヤリと擬音が聞こえそうな笑みをミラー越しに向けられ、蒼泉は脱力した。
「朔夜さん……真昼間から何やってんの……」
「お出迎えに決まってるだろ?」
「こんな危ない出迎えいらないよ!」
周りからすればただの誘拐だ。
後で美冬に連絡を入れておかないと、彼女は心配しているに違いない。
「女の子とイチャイチャしてるなんて隅におけないんじゃなーいー?」
「深紅さん……」
「なかなかやるじゃん」
「紗雪さんまで……」
わかっては、いた。フリーダムすぎる人たちだと。
だからって……。
蒼泉はため息をつく。
――慣れてしまおうと決めた。
冬休み中に彼らと過ごしていたので、だいぶ耐性はついてきている。
こんなことでいちいち文句を言っていても埒が明かないと、蒼泉は随分前から学習したのだ。
「このままどこか行くの?」
「ああ。ちょいと下見をしに、な」
「今度の獲物もでかいわよー♪」
きょほほ、と深紅の高笑い。
紗雪も足を組んでうなずいた。
「次はどんな色が見られるだろうね」
「…………」
盗みを働き、それを楽しんですらいる彼ら。
どんな色を盗み出し、新たにどんな色を作り出していくのか。
蒼泉自身、きっと前とは違った色を描き始めている。
動き出している。
これから先、どんな色を描いていけるだろう?
蒼泉は窓の外へ目を向けた。眩しい光に目を細める。
これからどんな色を描いていくのか。まだわからない。
ただ、今のように――突き抜けた空のような色なら気持ちいいだろうなと思った。
■「黒猫は芸術家」完




