「俺とヘブンという名の楽園を築き上げませんか!」
「何だおまえ。いきなりミーハーになったのか?」
そう秀一が言った頃には、机にたくさんの本が山積みになっていた。
一月分の新聞がまとめられた分厚い冊子だ。
数冊並べただけでもかなりの高さになる。
蒼泉はその一冊を手に取った。呻く。
小さな字がびっしり並んでいるのはやはり苦手だ。
とはいえ向かいに座る秀一はさらに頼りにならないので自分が精を出すしかない。
「何でオレがミーハーになるわけ?」
「だって〝黒猫〟について調べるったって、今まで全然興味なかったろ」
「うん、まあ……」
言葉を濁す。何と説明すればいいのか判断がつかなかった。
馬鹿正直に「今度盗みに来るんだ」と言うのはためらわれる。
松山をかばうわけではないが簡単に口に出せることではない。
下手に心配をかけるのも嫌だった。
代わりに蒼泉は質問を投げかけた。
「そういや秀一は〝黒猫〟についてどう思う?」
「あー? 別に。俺には関係なさそうだし。野郎なら特に何とも思わねぇ。でももし美少女ならイイ! お姉さんでもいいな。女怪盗とか想像するだけでたまらん。俺の熱い心も盗んでいってほしい!」
両手にガッツポーズ。
――聞くだけ無駄だったようだ。
(それにしてもないなぁ)
〝怪盗黒猫〟を扱った記事ならいくつか見当たった。
書かれているのは主に被害状況、その後の被害者の末路だ。
やはり多くが逮捕されているらしい。
中には奇妙な煽り文もあるが中身はあってないようなものだった。
〝黒猫〟について有力そうな情報はない。
倉田が言うような色についての話も載っていなかった。
探す材料が新聞であることがいけないのだろうか。
とはいえ他に思い浮かぶものもない。
「色かぁ……」
「あん?」
「あ、水沢くん」
秀一の声に被さったのは聞き覚えのある少女の声だった。
顔を向けた先には本を抱えた今井美冬が立っている。
紗雪といい、今日はどうやら人との出会いに縁のある日のようだ。
「今井じゃん。どうしたの?」
顔を覗かせて声を掛けると、美冬ははにかむように微笑んだ。
「私は本を返しに来たんです。明日から年明けまで休館になっちゃいますから、その前にと思って。それとせっかくなのでまた何か借りようかなと」
「何かって、それ?」
彼女の手にある本に目を向ける。
それは数冊の絵本だった。
温かみのある動物の絵が表紙を飾っている。
中にはウサギが大口を開けて歯をぎらつかせている物騒な絵本もあったが、蒼泉はそれを見なかったことにした。
気のせいだろう。あんな夢に出てきそうなイラストが子ども向けの絵本だなんて。
「そう、このシリーズ好きなんです」
「へえ……。絵本、よく読むんだ?」
「はいっ。絵本は萌えですから!」
わからない。正直なところ、彼女の好みがよくわからない。
だがニコニコと笑顔を向けられては野暮なことも言えない。
「もし良ければ水沢くんもどうですか?」
「いや、オレはあまり本とか読まなくて……」
「チェストー!!」
ドバン、と机が盛大な音を立てた。
それ以上に大きく響き渡ったのは秀一の声だ。
彼は椅子に足を乗せ高らかに叫ぶ。
目は大きく見開き人差し指を突っ張りそうなほど蒼泉に向け。
「蒼泉! 俺を無視して女の子と会話すんじゃねえっ! 何様のつもりですか俺様ですか蒼泉様ですか! 今後女子と会話するときは俺に許可を求めろ!」
そんな無茶苦茶な。むしろおまえが何様だ。
「そして今井美冬! 俺とヘブンという名の楽園を築き上げませんか!」
「え、あの」
「ハイハイ図書館で騒がない」
読んでいた本を頭上に振り落とす。
どごっと鈍い音と共に秀一が沈んだ。
さすが、分厚いと手応えも違う。
どうでもいいが彼は本当に女子の情報量がすごいようだ。名前が一発で出てくるとは。
「下手すりゃ死ぬわ!」
コンマ一秒。秀一が身を起こす。まるで背筋をするかのように。
相変わらず打たれ強い、というよりむしろ人間離れしている。
美冬も驚いて目を丸くしていた。さらに口がぽかんと開いている。
変なものを見せてしまったようだ。夢でうなされないといいのだが。
「蒼泉、人を化け物扱いするなよ!」
「その前に人の心を読まないでよ。――時間があるなら今井もどう? といっても大したことしてないけど」
「あ……はい、よろしくお願いします」
律儀に頭を下げた美冬が隣に腰を下ろす。
胸に抱いていた絵本を机に乗せた彼女は小さく笑った。
「どうかした?」
「いえ、やっぱり水沢くんと高橋くんは一緒にいるんだと思って」
「うっ」
そういえば、そうだった。彼女は蒼泉と秀一をワンセットとして見ているのだった。
しかも秀一の奇行のためやたら目立っている。
今の一連の流れのせいでその印象はますます強くなっただろう。
そんなことを知らない秀一は怪訝そうにしている。
彼は不機嫌そうに眉を寄せた。口を尖らせ目を据わらせる。
「ったく、蒼泉。ヤキモチで友人を殺すなよ」
「違うし殺してない」
「まあいい。もう蒼泉のせいで萎えるのには慣れたしな」
本当に人の話を聞かない男だ。
「つーか、いつの間に君らは仲良しになったわけ、んんー? 俺に詳しく細かく一から十まで教えなさい、さあほれほれ」
「あのその、私は水沢くんに助けてもらっただけでっ……」
「ああ、いいよ今井。秀一が変なのはいつものことだから」
「……蒼泉が冷たい……」
今度は机の上に「の」の字を書き始める。いじけたらしい。
よくあの手この手と変えていけるものだ。
それに対し美冬がオロオロとしている。いい子である。
しかし彼にそういう反応を見せると調子に乗るのでオススメしない。
蒼泉にも素直に反応してあげていた時期があった。蒼泉は学習したのだ。
ハイハイ、と蒼泉が投げやりに呟くと彼も姿勢を正した。
切り替えが早いのは彼のいいところでもある。と、思う。
「てか、話勝手に戻すけど。蒼泉のさっきの何だよ? 『色かぁ』っていう意味深な呟き」
「あれ? 実は……」
蒼泉は倉田に話されたことを話した。
〝怪盗黒猫〟について。〝怪盗黒猫〟は色を盗むと言われていること。そして色は自分であり、自分の心でもあるということ。
聞いた二人は感心しているようだった。
へえ、と秀一が低く唸る。
「色の見え方の話はよくわかんねーけど。色を盗む、ねえ。何かかっけーな!」
「うん……。ただ、オレも自分の色がぼやけてるって言われちゃったよ。確かに自分でもわかんないんだけど」
「色ねー。俺なら何だろうなぁ。……おおっ、あれとかいいんじゃね? 何だっけか、ほら、『女色』! 女の色だぜ、世界中の乙女を愛して止まない俺にピッタリじゃん」
「ちょっと待って秀一、それ違う、何か違う。意味はオレもわからないけどそこはかとなく違う気がする」
そもそも彼の思い浮かんだ単語という時点で限りなく怪しい。
隣では美冬が顔を赤くしたまま俯いていた。
自分たちより頭の良さそうな彼女のことだ、単語の意味も知っているのかもしれない。
そうなるとやはり秀一は見当違いなことを言っていることになる。
「んでさ、今井はあれじゃね? ピンクとか赤とか。女の子らしいフワフワしたもの好きそうじゃん?」
「そうですか? 確かに好きですけど……。でも私、青や緑も落ち着いて好きです。あと黄色とかオレンジのような明るい色も元気が出ますよね。大好きです」
どの色もそれぞれの良さがあっていいですよね、と嬉しそうに美冬は笑う。
蒼泉は意外な気持ちでそれを聞いていた。
なるほど。そう言われてみればそうかもしれない。
気分によって好む色が変わることも、なくはない。
ただ、イメージからして彼女はほんわりと温かい色合いが似合いそうだなと思う。
「色を盗んでいる〝黒猫〟さんは、きっとたくさんの色を持っているということですよね。それって少し羨ましいです」
「たくさんの色かぁ。……たくさん色があれば、自分の色も見つけやすいのかなぁ……」
ぼんやりと呟く。
間髪入れず「はあ?」と間抜けな声が向かいから聞こえた。
見れば秀一が机に足を乗せてこちらを見ている。
ものすごく行儀が悪い。係りの人に見られたら即注意ものだ。
「そりゃまあ、何の手がかりもないところよりはたくさんあるところの方がいいのかもしれねぇけどよ」
「だよねえ。どうでもいいけど秀一、足」
「いて!? 払いのけるなよ、俺の長い足が羨ましいからって――ちょ、蒼泉タンマ! 本二冊はやめろ、マジでやめろ。俺が悪かったから!」
積まれた本に手を伸ばしただけで懇願される。よほど痛かったらしい。
美冬がクスクスと笑った。その笑いに悪気は感じられない。
だが、これを微笑ましい光景と思えるならそれはそれで大物だ。
「色を見つけやすいという意味でもやっぱり〝黒猫〟さんは羨ましいかもしれません。それに私、実は憧れるところもあるんです」
「憧れる?」
「はい!」
うなずいた美冬はぐっと両拳を握った。
「……盗みは良くないです。ただ、〝黒猫〟さんはいけないことをしている人を逮捕させるわけじゃないですか。いけないことをしている人に、はっきり、それは駄目だと事実を突き付けることが出来るというのは憧れます。……私だったら、怖くて何も出来ませんから……」
最後は眉を下げ、両手も下げた。困ったように笑う。
彼女は先日の痴漢のことを言っているようだった。やはりまだ気にしているらしい。
「……今井、前も思ったけどちょっとすごいかも」
「え? ええっ?」
「いや、こっちの話」
彼女は蒼泉の知らないことや考えたことのないことをさらりと言ってのける。
考え方の違いだと言ってしまえばそれまでなのだが、蒼泉は感心してしまった。
〝黒猫〟を善悪で考えるのではなく、そうした視点から見るとは。
そういえば倉田も、善悪という性質はないのかもしれないと言っていた。
(倉田さんに話してみたらどんな反応をするかな)
想像し、蒼泉は小さく笑った。
しかし、この日はもう倉田の姿を見ることはなかった。
松山の自宅にいる時間が急激に減ったからだ。
仕事やそれに関する準備が忙しいらしい。
必然的に倉田が家へやって来ることもなくなる。
結局この日以来、蒼泉が倉田、そして紗雪や深紅の姿を見ることはなかった。
それだけで何となく毎日――とはいってもたった二日のことだが――が平穏になったようで、彼らを忘れるわけではないものの、蒼泉が彼らを気にすることもなくなりつつあった。




