大きな声で言えない話
大きな声では言えないのですが、わたしは十八年ほど前、公立の保育園に落ちたことがあります。まだわたしは勤め人でした。二男が年度初めに生後半年に達するので、長男と二男の二人を公立の保育園に入園させることができないかと、良人と相談して申し込みました。
しかし、夫婦二人して公務員、そしてなにより既に子どもたちは私立の保育園に入園させて、お勤めしておりましたので、公立保育園の「保育に欠ける理由」に切羽詰まった感がないと見られたようでしたし、生後半年の乳児を預けるのであれば、夫婦の前年の所得からいって、保育料は私立と変わらないですよ、と釘を刺されていました。(つまり、入園できないと、言外に告げられていました)
だから大きな声で言えないことですが、公立保育園は落ちました。それ以降公立保育園は申し込んでいません。
「保育に欠ける理由」って言葉があって、保育園の申込書に必ず書かなければならないのですが、夫婦とも常勤で勤務だからと書くしかないじゃありませんか。当時のわたしは病気休暇取得するような精神状態ではありませんでした。
わたしの職場にも育児休業制度が設けられて三、四年経っていましたが、わたしは教諭や看護師ではないですので、当時は子どもが満一歳に達するまでの期間までしか育児休業取れないのでした。
退職するとか、近親者が子どもを預かってくれるとか、なければ、「保育に欠ける」ので、子どもを預けるしかありません。公務員を一度辞めたら再任用にゃなりませんので、普通の女性職員は辞めたくありません。
育児休業を三年取ったら、かえって職場復帰の時に浦島太郎状態になる、給与が停止する、職場の代替職員の問題もあるしで、誰だって二の足のでしょう。職場だってどんな影響を受けるのか、簡単に代替の利く仕事なら正社員じゃなくていいと思われたくないとか、実に微妙。
その後諸事情あって、育児休業を取らざるを得ない状況になり、三歳児と零歳児の世話をする日々を送りました。
良人に何度か言いましたよ。一月でいいから育児休業を代わってくれと。取り合ってもらえませんでした。一月くらいなら、良人が無給でも、わたしの給料と蓄えがあるんだから、干上がる心配はない、ただ、好奇心の塊で悪戯ざかりの長男と、まだ一人でなにもできない零歳児と毎日過して、振り舞われっぱなしの日常から一時でも離れられないか、良人も一人で二人の子どもの相手をしてみてくれないかと、夢を見たくなるものなのです。勿論、子ども達に愛情がなかったのではなく、仕事を理由に断られるのに癇癪起こしそうになっただけです。
大きな声では言えないですが、「一億総活躍」ってどんな活躍を望んで言っているんですかね。お金を稼いで、税金を納めてくれって意味だったら、公務員だって自分の給料から所得税、地方税を天引きされているのですから、わたしは税金を払ってきました。育児休業中や退職後は役所から通知されてくる地方税を納めに行きました。まだ払い足りないと言われたって、まだ病気を引きずっている身ではどうにもなりませんと答えるでしょう。
大きな声では言えないですが、沿岸部にお住いの方のお話。家の中や車の中で津波に巻き込まれた方はまだ体の損傷が少ないけれど、外で巻き込まれた方は損傷が酷く、手足が千切れた状態で発見されていたそうです。地震直後に停電になり、内陸に住んでいたわたしや家族は津波被害を観ていませんでした。沿岸部で実際目の当たりにした方々は別として、津波をテレビの画面でリアルタイムでご覧になった方は全国に沢山いらっしゃるのですか? 地震から一週間ほどで通電しましたが、その頃テレビに映ったのは福島の原子力発電所で、地震直後の情景はもう映されませんでした。
大きな声では言えないですが、五年前の三月はまだ小雪のちらつく寒さで、早春というより冬の感覚でした。水道が止まり、毎日寝汗に悩まされていたわたしは結構苦労しました。大判のウェットシートで体を拭いてしのいでいました。男性で、しばらく風呂に入らなくても平気なもんだと言った人がいたそうです。