Lonely hill
女性と男性の観点は違っています。
若い頃、女性から見たら「強姦」、男性から見たら「和姦」とはどんなシチュエーションか、と物語を考えたことがありました。真剣に考えて書いてみたけれど、読み返してみて無理があるかなぁ、と思ったりしていました。
辻原登の『寂しい丘で狩りをする』を読んだ時、非常に困惑しました。この作品は強姦の罪で訴えられて服役した男性が出所後、逆恨みのお礼参りをしにきたため、被害女性が殺された実際の事件に想を得て書かれたそうです。
物語の女性は、その日出会ったばかりの男性と話をしたけれど、それは別に雰囲気のあるバーでも、ナンパされての奢りで一杯といった、女性もその気があったのだろうと隙のあるような場ではなく、冬の夜の混んでいたタクシー乗り場でたまたま相乗りし、帰りの道すがら首を絞められ、乱暴されて、現場のゴミ捨て場に放置されたという、男性の視点からも女性の落度と責めようのないひどい被害でした。
女性は警察に訴え、裁判の証言台にも立ちました。男は警察に訴えるなんてひどい裏切りだ、女に隙があった、女も喜んでいた、と勝手なことを裁判で言い、懲役刑になりました。
そして、被害女性は、犯人の男性が懲役刑を終えて出所が間近い、必ず自分を訴えた女性に復讐すると言っているのを、法律関係のジャーナリストから知らされます。
女性は探偵事務所を訪れ、犯人男性を調べるように依頼します。担当することとなったのは女性の探偵。この探偵さん、仕事とは別に、私生活で交際している男性の暴力に悩まされています。泣きついたり、優しくしたりと別れようとしても、うまく切れない、ストーカー行為で行動を見張っているよう。
隣にいる女性は、自分に興味があるから隣に来た、どんなことをしてもいい、と考える男性がいるのか、と恐ろしくもなりました。
必殺シリーズと違って、現代が舞台です。デウス・エクス・マキナは登場しません。
読んでいる時は、怒りにかられて、男性たちの卑劣な行動に対抗措置を取る女性へ、もっと手厳しくてもいいよ、手ぬるいよ、と思ったくらいでした。でも現代は私刑を認めていません。その道徳を以て鑑みれば、この小説の結末はものすごぉく後味が悪いです。
まあ、探偵さんの方のDV男の運命は探偵さんも言っている通り、道徳的には責められるかもしれませんが、探偵さんは無罪です。むしろ、DV男はそれで済んだのだから、さいわいだろう、と言いたくなります。
罪悪感とは何、裁くのは誰、の問題を含みつつ、終わります。