ゴジラ女優
ドジをして反省中です。
現在連載中の物語を考えついた際に、時代がかったプロットなので、これはどの時代に当てはめていったらいいかと、二つ候補を思い付きました。一つは戦前の日本、もう一つはロマンチック時代のヨーロッパ。結果的にロマン主義時代のヨーロッパにして執筆中です。(書いてみたら、時代にズレがありましたし、勉強が足りないのが判明し苦吟中)
戦前の日本の、陸軍や華族について調べましたが、陸軍は史料が多すぎてどう手を付けたらいいか困りましたし、華族は記録が少ないというか公開されていないというか、史料を探すのに苦労しそうなので一旦諦めました。(諦めは悪いのです)
旧華族のお話といえば、現在の山形県上山市の上山藩の松平子爵家の顛末は「小説より奇なり」の見本みたいです。上山市の戦前を知る方々の昔がたりのレパートリーに齋藤茂吉と並んで、没落した上山の殿さんがあったらしいです。上山市出身の父方の祖母から詳しいところを聞きそびれていて、まことに残念です。
旧華族出身の女優さんと聞くと、まず久我美子が思い出されます。わたしは『また逢う日まで』しか観たことがないのですが、お話の内容の切なさもあって、美しい印象を残しています。
で、表題の『ゴジラ女優』ですが、初代の『ゴジラ』でヒロイン恵美子を演じた女優さんは河内桃子。美しく上品な女性が特撮に出演しているなぁ、菅井きんは昔から変わらないとか、思って観ていたのですが、旧華族のことを調べていてびっくり。河内桃子は大河内正敏子爵の孫娘でした。
大河内正敏子爵は大正天皇のご学友で、戦前、理化学研究所の所長を務め、研究所の研究結果で商業ベースに乗せられそうなものは乗せ、研究費を賄おうと理研を財閥化した人です。理化学研究所は、なんやかや、黒い霧があるのかないのか知りませんが、国からの補助に頼らないようにと工業・商業部門を作り、研究者の裁量で自由に研究させるようにしたそうです。敗戦後、GHQの財閥解体があり、研究所は研究所、会社は会社と切り離されました。
ユニークな人柄であった人の孫だから、偏見なく女優業に就いたのかしらんと思うのでした。
初代『ゴジラ』は、単に核の恐ろしさや戦争の悲惨さを出しているだけでなく、恋愛ドラマでもありました。芹沢博士と地下室に向かい、実験の様子を見て驚く恵美子の様子は、恋愛のメタファーだらけです。芹沢博士の眼帯も意味があるよね、と考えます。深読み、妄想好きの人には、たいへんドキドキしてしまう映画でもあります。
河内桃子は「ゴジラ」関連の映画だけでなく、後年手塚治虫の『アドルフに告ぐ』の俳優座の舞台でアドルフ・カウフマンの母役を演じていた記憶があります。
平和を訴える作品に出ていた女優さんとも言えます。
参考
『賭博と国家と男と女』 竹内久美子 日本経済新聞社
『華族家の女性たち』 小田部雄次 小学館