逆さまに流れないのが歳月
J1のベガルタ仙台の監督を以前していた手倉森誠氏が、U23チームの監督でも活躍中で、まことに喜ばしいと思っております。ベガルタ仙台の監督さんの時、双子の弟の浩氏も一緒にベガルタでヘッドコーチをしていたので、宴会芸で「幽体○脱~」とかしていたのかね、と不謹慎な想像をしたことがあります。
先週や昨日、雪掻きをしたって平気だったのに、今日は雪掻きをしたら腰が痛くなって、炬燵で亀になっており、妄想の方向が創作に向かっていないのです。
家事をして、炬燵で史料を読んでぼおっとしていて、そういや誕生日だった、ここまで年齢を重ねるとあんまり意味がないよなと考えました。現在同居の家族は誰も覚えておらず、単身赴任中の良人がおめでとうと電話をくれました。これはちょっと嬉しい。
普段していないことをして、腰痛、筋肉痛は珍しくないのですが、トシだよなぁ、元気があったらもっとしっかり雪を寄せるのにとシミジミしちゃいます。
題名は『源氏物語』の「若菜 下」で、光源氏の妻・女三の宮と密かに通じた青年をネチネチとイビる台詞の一部の意訳です。君は私を見て年寄りはみっともないと笑っているようだが、すぐに私のように年を取るものだと名指しで言って、酒を強要し、青年はそれまでも罪の意識に苛まれていたので、すっかり気落ちして寝込むのでした。だったら人妻に言い寄るなとなりますが、そうならないと話が始まらないし、聖人ばかりではそれこそオハナシにならないのでした。
光源氏が四十過ぎても自分はまだまだ魅力的な美男だと自惚れているあたりが、また皮肉なもので、案外モテていないし、女性から見限られていたりとているのですが、自覚が薄い。
自分が若いつもりでも、周囲はそう思っていない、いい例なんでございますね。
一昨年の暮れ、叔父貴から「惠美ちゃん痩せたんじゃない」と言われて喜んでいたら、「ほうれい線が」と続けられて、がっくり。若い人からオバサン扱いされても口惜しくても仕方ないかと諦められますが、叔父貴から言われて尚更ショックだったのでした。今回の年末年始の帰省時は叔父貴に会えず、「すっかりおじいちゃんねー」とか言えずにリベンジできないでいます。
自分が若い頃、映画やテレビの恋愛もので主人公役をしていた俳優さんが、現在は主人公の親の役をしているのだから、時間はちゃんと公平に流れています。自分ばかりが老けたんじゃない。
U23チームの決勝の結果は、起きてテレビを観ている気力が無いので、明日のニュースで聞こうっと。頑張ってください。




