ロマン・ロランの戯曲
歴史の評価は時代が近いほど難しい。近現代史は史料が膨大で整理して目を通すのに時間がかかる、また、関係者が生存しているから直に証言を得られる反面、だからこそ証言を拒む、事実を隠蔽する困難が付きまとう。そして、調査する側も一種の偏見を伴わないではいられない。
現在の内閣総理大臣に対して、長州閥、と東北出身のわたしが眉を寄せたくなるようなものと言おうか。或は、県名と県庁所在地の都市名が一致する県としない県は新政府派か佐幕派かで決まったという都市伝説を信じている人たちがいるらしい、といった類に近いか。
ロマン・ロランの「フランス革命劇」と呼ばれる一連の戯曲を読んだことがある。(ロマン・ロランはこの戯曲集だけで、『魅せられたる魂』などの小説は読んでいない)
正直な感想を述べると、『花の復活祭』、『狼』、『愛と死の戯れ』、『花の復活祭』の後日譚である『獅子座の流星群』は面白かったし、革命のはざまで揺れ動く人間の心の動き、変わりゆく秩序の中でも懸命に生きていこうとする人々の台詞は素晴らしい。
同じ「フランス革命」ものでも、『ダントン』、『ロベスピエール』は難しかった。前述の諸作品に比べて、台詞が活きていないと、生意気にも感じた。ロマン・ロランはダントンもロベスピエールをも非難しているのではない。史実に忠実に、より中立の立場から描こうとして苦吟しているかのように感じた。
戯曲の執筆時期を計算してみると、フランス革命期から、(作品によって)多少幅があるが、120~150年くらいしか経過していない。日本でいうと明治初め頃の感覚に近いか。
日本でも明治から戦前にかけての評価は研究者や作家だけでなく、一般の人たちの意見が様々だ。
ロマン・ロランは革命期の政治家たちを高い理想を持った人物としては評価しているのは読み取れる。しかし、それとかれらの所業はまた別であり、どう評価するか、作家としての苦衷の元であったのだろう。滅びゆく者たちの姿が中途半端な印象に終わってしまった。史料や証言を集めるのに苦労しないが、どう描くかが時代の近さゆえの辛さや迷いを生んだのだろう。
フランス革命の志士も、日本の幕末の志士たちもそれぞれ魅力があり、欠点もある。人気がありながら、描き出すのが難しい。大河ドラマで幕末から明治のものが受けないと言われるのも、地域によって歴史、扱われ方に差がある、その所為だ。
ロマン・ロランの戯曲はもっと深い読み方ができるはずだ、のご批判・ご意見がある方はぜひ、感想欄にご教示をお願い申し上げます。
近現代史に一家言ある方も同様に願い申し上げます。




