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豆腐の角で怪我するぞ  作者: 惠美子
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気になる名作

松本清張の『砂の器』、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』の内容に言及しています。二つの作品を未読の方はお読みにならないでください。

 皆様は今までお読みなった本の中で、素晴らしい作品だけど瑕瑾がある、ここがなければもっと良かったのにと、感じるものはございますか。

 わたしはあります。

 カトリーヌ・アルレーの『わらの女』は前評判でここに難ありと、指摘が入っているのを知っていたので、読んで成程、ミステリで模倣犯罪をする阿呆はいないだろうけれど、一応予防線なのか、程度でした。

 松本清張の『砂の器』。まずもって、わたしは映像作品を観たことがありません。原作小説を一回読んだだけ。佐々木蔵之介や玉木宏のテレビドラマは録画していましたが、まだ観ていません。

 どこが瑕瑾として気になるかというと、まず一つが「カメダ」という言葉のアクセント。わたしの小学生あたりから横溝ブームがあり、家にあった横溝正史の小説を十代の頃読みふけっていました。横溝の金田一耕助ものの代表作で、題名は伏せますが、昭和二十六年十一月から二十八年十一月にかけて雑誌で連載された作品だそうです。その中で、金田一耕助は登場人物の一人の素性を探り、言葉のアクセントについて、西日本での近畿地方と中国地方の違いを述べています。

「これはぼくと同姓の言語学者に聞いたんですが……」と。

 松本清張の社会派ミステリの興隆はその後であり、『砂の器』の連載は昭和三十五年ころからだそうです。わたしが『砂の器』を読んだのも、横溝の後であり、「カメダ」のミスリードはちっとも目新しくなく、そこまで頑張って出張しなくても、金田一春彦博士のアクセントの辞典読んだ方が早く真相に辿りつけたのではないのですかと、感じてしまいした。

 もう一つは、第二、第三の殺人トリック。映像作品では一切取り入れられてないと聞き及んでいます。社会派ミステリでこんなトリック使わないでくれ、と脱力します。伝奇小説やSF小説でも、もう少し捻って使うと思われる疑似(トンデモ)科学といっていいトリック。非常に重厚で、問い掛けられるテーマが素晴らしいのに、粗の方が気になってしまい、主人公の心情に思いを馳せられなくなって残念なのです。

 カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』。こちらは原作小説とイギリス映画と、両方を目にしています。

 まずわたしが悩んだのは、この小説はSFなのか、という疑問。日本では早川書房で出版されているからではありません。一応SF小説と言われているようです。しかし、SF小説にしては考証に穴が目立ちすぎるのです。だからといってファンタジー小説とも言い切れない世界観。ぎゅっと心臓を摑まれるようなかなしみにさいなまれる物語なのに、やっぱり設定が気になって仕方がないのです。

 健康管理が厳しいのに、「提供者」と呼ばれる人たちの恋愛や性交渉が禁じられていない。映画では言及がなかったようだけれど、小説では「提供者」は不妊であると告げられている。これはクローン技術の限界なのか、或は技術的にそのように施されるのか、第二次性徴期に何らかの不妊手術を施すのか、不明です。クローン技術によるものなら、生殖器があり、性欲があるのはおかしいと言えるかも知れません。また生殖器官と腎臓(老廃物を排出する臓器いうべきか)は胚から胎児へと成長する時期に密接な発達をするので、切り離してはいけないはず。

 ほかの施設で育った「提供者」が、ヘールシャムの出身者は特別と言うのは、何故なのでしょうか、もしかしたら、成人前から「提供手術」をする者もありという怖い話なのでしょうか。

「提供者」に魂があるのかどうか、の問。カズオ・イシグロがどのような宗教を信仰しているのか、いないのか、知りませんが、物語の舞台らしいイギリスではイギリス国教会が主なので、恐らくはキリスト教社会なのでしょう。

 魂の有無、キリスト教徒と異教徒の違いというより、これは人間か動物同然の物か、の問に近いのではないのでしょうか。「提供者」の魂の有無が言われるのは、魂が無ければ、よきキリスト教徒にはなれない、イコール人扱いしなくてもいいとなってしまうのではと、恐ろしい問題となってきます。

クローン生命体も人間と同じく命あるものと、訴える手塚治虫の『火の鳥 生命編』を既に知っていることもあり、難しく重いものです。


 映画、といってもテレビ放送時の録画を後から観たのですが、ヘールシャムの校長先生がどこかで観た女性だと、エンディングのタイトルバックで目を凝らしていたら、シャーロット・ランプリングと出ていました。老いても目力の強い女性です。

 小説ではキャシーが音楽を聞いているのを盗み見るのがマダムと呼ばれる女性でしたが、映画では施設の仲間の女の子になっていました。

 今夜放送される、日本を舞台に翻案された『わたしを離さないで』、観ようか観まいか、どちらにしましょうか。迷います。

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