『ダメージ』
映画『ダメージ』を観たのはいつ頃だったろうか。映画館ではなく、レンタルビデオだったから、日本公開時期とのズレを考えると、二十四、五歳の頃だろうか。当時気に入っていたジェレミー・アイアンズが主演と聞いて、借りた。
故郷の地元の映画館で出していた会報の中で、全裸のシーンに入る修正の是非の論争があり、『ダメージ』が例として俎上に載せられていた。大人の恋愛の映画らしい、おまけにジェレミー・アイアンズが全裸で映るシーンがあるらしい。その程度の予備知識だった。
ジェレミー・アイアンズはイギリス人の、もう少しで大臣になれそうな議員、政治家役。世話好きの妻と、二十代やっと半ばくらいのハンサムな長男とティーンに入ったばかりくらいの娘の四人家族。妻のお喋りで、長男が新しいガールフレンドを作った、今度は本気らしいと聞かされ、いつものように短期間で終わるよと会話している。
とあるパーティーで、黒髪の女性からジェレミー・アイアンズは声を掛けられる。
「マーティンのお父様ですね、わたしはアンナです。ご挨拶しておいた方がいいと思って」
とジュリエット・ビノシュ演じる長男のガールフレンド。
ここから始まる運命的な恋、といえば聞こえはいいが、背徳行為にほかならない。その後、アンナが電話を掛けると、男は住所を聞き、アンナの住まいに行き、言葉もなく、二人は体を重ねる。
それでいながら、アンナは男の長男マーティンと結婚しようとしている。映画にはアンナの母や、アンナの幼馴染の元恋人ピーターが現れる。やっとアンナが落ち着くのだと安心している。しかし、アンナの母は男の視線に気が付き、忠告をする。
そんな心配をよそに男とアンナは情事を止められないし、マーティンとの結婚準備も進んでいく。
「あなたといるためにマーティンと結婚する」とまでアンナは言う。
イギリスやフランスでは都市部でも古い建物にはエレベーターがなく、階段を昇り降りしなくてはならない。男とアンナが選んだ秘密の情事の部屋もそんな建物の一角にあった。マーティンがアンナへの連絡の行き違いで、その部屋に向かった。かれが目にしたのは、自分の婚約者が、自分の父に組み敷かれ、喘いでいる姿だった。
二人が来訪者に気付いた時には遅かった。信じられない光景に、後ずさりし、マーティンは階段の手すりにぶつかったが、勢いは止まらず、手すりを越えて落下していった。
男は息子を追って、全裸のまま階段を駆け降りる。若い男性の死体に縋る裸の中年男性。奇異の目で見られる。いつの間にかアンナは姿を消す。
男は全てを失う。家庭も、社会的地位も。
隠棲し、世間から忘れ去られ、旅先の空港でアンナを見掛けた。ピーターと子どもを連れた、普通の女だった、と呟きが終了を告げた。
ルイ・マル監督の映画はこれしか観たことがない。
理解し合う、心通じ合うより、どうしようもなく惹かれあい、体を重ねるしか方法がなかった。運命の恋が冷めれば冷たい現実が余生となる。
その後、ヴィレッジブックスで原作の小説が出て、読んだ。
出会ってから情事に至るまで、恋情がどうとか、倫理的な後ろめたさの説明はなかった。とにかく理屈抜きで会いたい、欲しい、それしかないようだった。
アンナは興味深いことを言う。
「ダメージを受けた人間は危険」
男は理由を問うた。
「ダメージを受けても生き残れることを知っているから。だから憐みの心がない」
というようなことを説明した。映画でも説明があったが、映画では少々そらぞらしく聞こえたアンナの弟の禁断の恋とその自殺が、アンナにとっての癒しがたいダメージであると、原作では生々しく伝わってきた。そしてその弟とマーティンが似通っていることも。
原作でも同じようにマーティンは亡くなり、男は社会的に死んだも同然となる。
ただ、ラストのアンナとの最後の邂逅のシーンの印象は違っている。アンナはピーターと夫婦となり、子どもがいるのは同じだ。しかし、アンナは男の中に残っている自分を取り戻そうと近寄り、男に触れ、そしてピーターの腕に戻っていく。
愛が終わった。と男は思う。
「ダメージを受けた人間は危険」
映画とは違った鋭さを持って、印象に残った小説だった。
傷付いて優しくなるよりも、自分だって苦しんだ、あなただけではないと辛辣になる人間。解らないではない。
『ダメージ』はジョセフィン・ハート原作の小説です。ヴィレッジブックスでの発売は十年以上前です。
映画と違い、男の妻はクールビューティー、娘は妙齢です。




