白い手のイゾルデ
中世騎士物語の『トリスタンとイゾルデ』を知ったのは確か小学生の四年生の頃。当時購読していた少女漫画雑誌の中で、ヒロインの親友が演劇部に属していて、文化祭で『トリスタンとイゾルデ』を上演することとなり、その粗筋が紹介されていました。
愛の妙薬を飲み、禁じられた恋に落ちた二人の悲恋と死、古い叙事詩とはいえ、お話の筋を読むと乙女心をくすぐられるものでした。
その頃のわたしは十代で読書好きの頭でっかちでおデブさんで、癖っ毛。サラサラの髪の毛、葱の茎みたいなあんよやするんとした膝小僧も持っていない、勿論『赤毛のアン』に出てくるダイアナ・バーリーのようなレースふりふりのエプロンや手作りお菓子や手芸なんてしていない、夢物語に出てくるような「少女像」とは程遠い容姿、そして考えていることもおよそ少女らしくない知識欲と世の中に出てみたいとか、売文稼業で食べていきたいというへんちくりんな野心。
それでも『トリスタンとイゾルデ』の物語にはときめくものがありました。小学生だったので、小学校の図書室で中世騎士の物語を探して読みました。いくらか登場してきましたが、主役はアーサー王ですから当然アーサー王と次いでランスロットの出番が多く、トリスタンは挿話の一つに過ぎず、満足できませんでした。しかし、ここで『アーサー王』伝説や『ニーベルンゲンの歌』に触れることができたのは幸運でした。一、二年後に『燃えろアーサー』というテレビアニメがありましたが、日曜日の午後七時のゴールデンタイムの放送では、少年の冒険物語で、宮廷恋愛は流れません。家族の本棚にヨーロッパの伝承物語はありませんでした。
中学校時代は日本の時代小説に夢中になっていましたので、中世騎士物語は一時中断。高校生になった時に高校の図書館で、岩波文庫で『トリスタン・イズー物語』を見付け、読みました。一つの流れの、長い叙事詩でした。
実を言いますと、わたしは「金髪のイゾルデ」、或は「美しきイゾルデ」と呼ばれるヒロインよりも、「白い手のイゾルデ」の方が気になる存在でした。そう、どんな話かと読もうとしたのも、夫に向かって「黒い帆」ですと嘘を吐いてしまった「白い手のイゾルデ」がその後どうなったか気になって仕方がなかったのでした。
瀕死の重傷を負い、真に愛する「金髪のイゾルデ」の来訪とその治療を待つ夫トリスタン。嫁入りの途上の船で愛の妙薬を誤ってトリスタンと分け合って飲み、離れがたい恋に落ちながら政略のためにトリスタンの伯父マルク王の妃となった「金髪のイゾルデ」。夫の命のためならばと屈辱と嫉妬に耐えながら、「金髪のイゾルデ」を呼び寄せることにした「白い手のイゾルデ」。
「金髪のイゾルデ」を連れてくるのに成功したら船の帆は白、失敗したら黒と使者と約束していました。
窓から海原を見詰めながら「白い手のイゾルデ」は夫の看病をしていました。そして、使者の船が戻ってきました。
「帆の色は?」
「白い手のイゾルデ」には白い帆が見えていました。
「黒い帆です」
糸のように細い希望で命を繋いでいたトリスタンは絶望で命絶えました。やがて、船から降りてきた「金髪のイゾルデ」が駆けつけ、最愛の恋人の亡骸に抱きつき、同じように絶望で息絶えたのでした。
この後、二人のお墓がどうこうと話が続きますが、嘘を吐いた妻の「白い手のイゾルデ」はどうなったかは語られていません。
不公平じゃないか! どの本を読んでみても「白い手のイゾルデ」のその後は書かれていませんでした。
形だけの妻とはいえトリスタンを慕っていたし、「トリスタンとイゾルデ」の二人を嫉妬し、憎みもしましたが、トリスタンを喪って悲しまないはずはないのです。「トリスタンとイゾルデ」は死して天上で結ばれるのですから、一つの決着です。でも「白い手のイゾルデ」には何の決着にもなりません。
わたしが嘘を吐かなければ夫は死ななかったかも知れない、でもそうしたら「金髪のイゾルデ」と晴れて仕合せになったのかしら、どちらにしても「白い手のイゾルデ」には希望がありません。
ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』には、「白い手のイゾルデ」自体でてこないのです。
何だろう、この扱い?
子ども心に、「白い手のイゾルデ」が真実の愛を求めて漂泊する物語が思い浮かんだのでした。老いることなく、報われぬ恋を繰り返し、涙しながら、真実自分を愛してくれる相手を求めて、さながら「さまよえるオランダ人」のように時間を超えて生きていく。
藤本ひとみの『王女アストライア』や永野護の『ファイブ・スター物語』に酷似していると気付いて、実際書くのは止めました。(藤本ひとみはもうこのシリーズを書く気は無さそうですし、永野護の作品もどこに話が飛んでいるのかよく解らなくなってきました)
報われない恋の物語は古今東西、紅涙絞ってきました。時空を超えて現れる失恋ばかりする女性の物語は書かなくても、切ない恋愛談は書くかも知れない。
知的好奇心から中世ヨーロッパを学び、ちょっとしたストーリーづくりの練習をしたという思い出話でした。