奉納絵馬
山形県寒河江市に慈恩寺というお寺があります。奈良時代の創建と寺伝にあるそうですが、記録がはっきりと残りはじめたのが平安時代の後期からだそうです。
寺領を与えられた東北では大きなお寺さんです。
戦国時代には最上義光の庇護を受け、三重塔が建てられ、寺領は二千八百石以上あり、かつては大きな伽藍や僧房もあったそうです。
明治になってからは寺領が廃止されて規模が縮小されたと聞きますが、今でも大きく、本堂には様々な仏像があります。
家族とドライブで寒河江市を訪れて、慈恩寺に行きました。慈恩寺の奥の仏像を拝観しませんでしたが、本堂の入口までは入らせてもらえました。入口から仏様を拝みました。入口のところに多くの奉納絵馬が掛けられていました。その一つに、武装した男装の女性の姿を描いたものがありました。誰を描いたのだろうと眺めておりました。
「よっしー(最上義光の妹で、伊達政宗の母、義姫のことを言っているつもり)かな?」と長男が言いました。
「違うと思う」
いくら最上義光が寺領の安堵を保証したとしても、妹の武装姿を絵馬で奉納するとは思えない。巴か板額かと考えていました。そうしましたらお寺の方が教えてくださいました。
「神功皇后ですよ。今は(三韓征伐は)なかったとなっていますけど」
武装した男装の麗人といえばこちらが元祖でした。巴も板額も源平の頃の有名な女性の武人ですが、敗者の側なので、奉納絵馬には向かないですね。神功皇后ならば、神話上は戦に勝っていますので、勇ましくもめでたいものになるのでしょう。なるほど絵馬で奉納されると納得しました。
それにしても教えていただくまでさっぱり解らなかったとは……、我ながら情けない。皇国史観がどうとか問題にはなりますが、この絵馬の絵の劣化から見て、恐らくは明治以降の皇国史観とは違う、もっと以前の歴史観の頃の奉納絵馬です。歴史観が今と昔でがらりと違い、学んでおくべき歴上の人物も大きく違ってくるものだなぁと実感する出来事でした。
慈恩寺の近くには美味しい蕎麦屋さんが何軒かあります。そのうちの一軒に行って、お蕎麦を食べて帰路に着きました。




