源氏物語の気になるところ
まずはじめにお断りしておきますが、これは学者や現代語訳をした作家が複数指摘しており、わたしが見付けたものではありません。しかし、実際に物語を読んでいくと、ちょっとこれって……、もしくはいきなり場面が変わったと思ったらこんな展開なのね……、と感じです。
まず、『帚木』と『空蝉』です。光源氏は雨夜の品定めの後、方違えで紀伊守の邸宅に泊まります。そこで紀伊守の継母にあたる伊予介の後妻の寝所に夜這いというより、寝込みを襲い、一夜を共にします。
その後、光源氏は伊予介の後妻(空蝉と呼ばれる)を忘れかね、その弟で十二、三歳の少年(小君)を手なづけて、再びその女性に会おうと工作します。空蝉は光源氏の接近を許そうとしません。光源氏は小君の手引がうまく行かなかったのを、「『よし、あこだに、な棄てそ』とのたまひて、御かたはらに臥せさせたまへり。若くなつかしき御ありさまを、うれしくめでたしと思ひたれば、つれなき人よりは、なかなかあはれにおぼさるとぞ」と、空蝉の弟を、「おまえは私を棄てないでくれ」と側に寝かせるのです。小君は光源氏を若くて立派な様子を嬉しいと思い、源氏は源氏でつれない女君よりかわいいと思うのです。ここまでが『帚木』。
で、次の『空蝉』の冒頭はこの続きで、源氏はこんなに嫌われているとは恥ずかしくて生きていられそうにもないとなんて言って、小君は涙を零して横になっています。それを見て源氏は、「いとらうたしとおぼす。手さぐりの細く小さきほど、髪のいと長からざりしけはひの、さまかよひたるも、思ひなしにや、あはれなり」と、姉の空蝉と小君を比較しています。
光源氏が十七くらいの時の話とされていて、高校生と小学生くらいの少年二人で何をしているのでしょう。
『末摘花』と『明石』では、お姫様の部屋の出入り口には戸締りがされ、お姫様は奥に引っ込んでいます。ところが、次の展開では光源氏が姫君と一緒に過している描写になっています。
全部引用すると長くなっちゃうのですが、『末摘花』では大輔の命婦が、「二間の際なる障子、手づからいと強く鎖して」と書かれているのに、源氏は、「やをら押しあけて入りたまひにけり」と部屋に入ってしまいます。
『明石』では、光源氏の接近に気付いた姫君は、「いとわりなくて、近かりける曹司の内に入りて、いかで固めけるにか、いと強きを、しひてもおし立ちたまはぬさまなり」と戸締りをして、奥の部屋に逃げ込みます。がっちり戸締りされて、源氏は「しひて」押し通そうとできない様子です。でも次の文章、「されど、さのみもいかでかはあらむ」と明石の君の描写や、「かうあながちなりける契りをおぼすにも、浅からずあはれなり」といつの間にか、わりない仲になっています。
姫君側の侍女が光源氏に味方して、部屋の鍵を開けてしまったか、当時の家屋構造から戸締りといっても襖や板戸に掛け金かかすがいをはめ込んだ程度でしょうから、源氏が体当たりか、蹴りを喰らわして、侵入したのかも知れないのです。
細かいところは書かれていません。想像の余地が沢山有ります。
光源氏と小君は、空蝉との密会を企むために一緒にいるだけで、何もなかったかも知れないし、BLの間柄だったかも知れない。
末摘花の姫君や、明石の君と初めて源氏が相対した夜には、姫君の侍女が源氏の味方をしたかも知れないし、源氏が部屋をこじ開けたかも知れない、それとも姫君の気が変わって、“Come in.”と言ったのかも知れない。(いや、ヘイ、カモーン! なんて性格の女君は少なくても『源氏物語』にいるだろうか、というより、この物語の美意識に反する)
はっきりと描写しない方が読み手の想像をかきたてていいのかも知れないけれど、でも描写が足りないのは書いていてうずうずしてしまう時もあるし、一杯書き込みたい内容の時もあるし、悩ましいものです。
原文引用は、新潮日本古典集成『源氏物語』からです。




