ライブの落とし穴
去年、平成二十六年の九月に、仙台で京極夏彦の朗読会がありました。仙台市営地下鉄南北線沿いの施設で、『遠野物語remix』と『遠野物語retold』より自ら選んだ話を、津軽三味線と舞踏を交えて、京極夏彦が朗読する企画でした。それが第一部で、第二部は京極夏彦と東雅夫、荒蝦夷の土方正志を司会としての対談です。
この情報を耳にして、わたしは早速会場に連絡をしました。会場もチケット取り扱い場所も自宅から遠かったので、直接会場に問い合わせてチケットを手に入れました。五列目のやや真ん中よりの席でした。家族に説明し、万難を排して、当日会場に向かいました。
初めて向かう場所でしたが、流石に沿線の施設です。すぐに解り、会場に入りました。時間前でしたが、人は既に詰めかけておりましたし、関連本の販売をしておりましたが、並んでいて、とてもブースに近付けそうもなさそうでした。京極夏彦のサイン本は買えそうにないなと諦め、指定席に向かいました。
チケットと席の番号を確かめて、腰掛けます。ここだと前過ぎないし、出演者の表情もはっきり見えるいい場所でした。
やがて、開演の時間が間近になり、席が埋まりはじめました。
わたしの右側に座ったのは年配の男性のようでした。そしてあまり足癖がよろしくないようで、足を広げて、だらんと伸ばして座っていました。男性が膝を揃えて座らないのは常のことですが、伸ばされた足は行儀が良くないように思います。やがて男性の体臭が漂ってきました。気にはなりましたが、耐えられないほど酷いものでもありませんでした。こんなこともありますよ、と朗読会が始まるのを待ちました。
京極夏彦が舞台に現れ、舞台左手に準備された台とマイクで『遠野物語』の朗読を始めました。津軽三味線の旋律、舞踏も加わり、不思議な世界の幻想がわたしを幻惑してくれるはず、でした。
右隣の男性は、口呼吸の癖があるのでしょうか。スーハー、スーハーと寝息のようなはっきりとした息遣いが聞こえてきました。
わたしには右を見て男性の様子を確かめるとか、静かにと目で知らせる勇気がございませんでした。
もう、京極夏彦の美声に集中するしかありませんでした。
わたしの前の席の男性が、居眠りでもしているのかと、咎めるような視線で振り返りましたが、わたしじゃありませんよう。しかし、右隣の男性は我関せず。
スーハー、クーカーの息遣いと加齢臭、こんなもののためにここに来たんじゃない、京極夏彦の声と、幻想的な空間を楽しみに来たんだ、無視しようと決め込んで、舞台を見詰めるしかござんせんでした。
朗読や津軽三味線、尺八や横笛の調べと、自由舞踏のユニークな動き、わたしは夢中でした。しかし、次の話に移る合間合間の無音の時に、隣のオヤジの存在を思い出させる息遣いと加齢臭。
負けるもんですか。(いや、別に勝負する類のものではないんですけど、その時はもうそういう気分)
山間を笛を吹きがら歩いていたら、山から、面白いぞお、と褒める不思議な声が聞こえてきた。
軍隊に入っていた男が頭を打って意識不明になったが、魂は故郷に戻り、故郷でもその男の姿を見ていた。無事男は意識を取り戻し、その後不思議な体験を家族と語り合った。
亡くなった父が残された娘に、「あべ、あべ」(行こう、行こう)と声を掛け続ける。村のみなが娘の家に代わる代わる泊まり込んで、娘を守ろうとし、やがて父の姿は出てこなくなった。
突然男が母を殺すと鎌を研ぎだした。なんとか逃げようとしたが逃げられなかった。
ほかにも様々な物語が読まれ、楽と踊りが彩って素晴らしいひとときでした。右のオヤジさえいなければ……。
第二部の対談が三十分くらいで終わって、ちょっと残念。もっとお話を聞きたかったです。でも、『遠野物語』の九十九話、津波で亡くなった妻が昔の恋人と死後夫婦として暮らしている、とのお話を朗読で使わなかった理由や、母を鎌で切り付けた男の話は実際こうらしいなど、裏話や、ずっと小説で使っているテーゼなどを語っていってくださいました。
ホントに、ロックコンサートのような聴衆も立って声をあげるライブと違って、自分も含めて周囲の席の人がどんな人かで、気分が違ってくるものだと、しみじみ感じたものでした。




